風俗店の名義人


違法風俗店の実質的経営者

明治通りで交差すると、毎回のように信号待ちするこの道は、大正の頃には路面電車が走っていたと聞いたことがある。

突然そんな記憶が頭に浮かんできた。
この道は電車道だ、と名付けてみると歩くのに勢いがついた。

やはり信号待ち。
2月の乾いた風が吹く横断歩道を渡る。

横断歩道の先が歌舞伎町と改称したのは、たしか昭和の20年代。[編者註01-1]
歌舞伎座誘致失敗の名残りの地名とも覚えている。

渡った先の電車道を進むと、今からの用件がどうなるのだろうと、また元の考えごとに戻った。

九州ラーメンの角の五差路から、電車道は緑地の遊歩道に接続される。[編者註01-2]
遊歩道となった電車道は斜め左にカーブしていき、ゴールデン街の脇を抜けて、靖国通りを渡ると新宿駅東口へと続いている。

五差路からは電車道を外れた。
そのまま真っ直ぐ進むと、目の前には風林会館の信号が見えてくる。

歌舞伎町風林会館
歌舞伎町の風林会館の信号

乾いた空気に、湿った熱気が微かに交わるのは気のせいではない。
右手は晴れた午後のラブホテル街となっている。

風林会館の前には、約束の時間の15分前だというのに、オーナーらしき人が立っているのが見えた。

オーナーとは、歌舞伎町さくら通りの中ほどにある風俗店「ラブリーガールズ」の実質的経営者というのだろうか。

『ラブリーガールズ』は大手系列でもなく、グループ展開しているのでもない。
単独の店。

今までに、ラブリーハート、ラブリー娘、ラブリーエンジェル、と店名が変わっているが、いつも頭にラブリーが付いていて『素人系』と銘打ったヘルス。

れっきとした違法営業。
けど、店員の愛想もよくて料金明朗の優良店。

スカウトしていた2年前までは、素人系というだけあって見た目より雰囲気重視という入店基準だったというのもあり、風俗未経験や、ちょいブス、いや、いい意味でのちょいブスを面接に連れていってた。

そのときに店に居合わせたオーナーとは、簡単な挨拶をした程度しか面識がない。

風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律、略して風適法

こちらに気がついたオーナーが会釈をした。
区役所通りを小走りで渡った。

歌舞伎町の違法営業の風俗店オーナーというと、どうしてもヤクザチックな風体をイメージするが、実際は腰が低くて、バーコード気味の七三分けの黒縁眼鏡の中肉中背。

50代半ばぐらいだろうか。
ずっと年下の自分にも敬語で接してきて、丁寧な言葉遣いには温厚さが漂っている。

「あずま通りのルノアールにいきましょうか?」とあっちを指差したオーナーは、花道通りの向こう側にある狭い路地にひょいと入っていく。

狭くて暗い路地には、不気味に裏DVD屋が並び、入りにくい中華屋がある。[編者註01-3]

深夜になるとバラックの立ち飲みバーがオープンするこの一角は、地権者が入り乱れてることから未開発地域とされており、古い木造建屋が密集したまま取り残されている。

「こういう道がすきなんですよ」とオーナーは、笑いが含まれた声で、バラックのトタン屋根のひさしを避けた。

「私もすきです」と自分も答えて、陽が差さない狭い路地の湿り気のある空気を嗅いだ。

『ラブリー』の名義人をやってくれないか、というのが今日の用件。

条件は給料が90万。
期間は最低でも6ヵ月。

もし摘発となれば逮捕。
容疑は『風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律』、略して風適法の違反。[編者註01-4]
禁止されている地域で営業したのが違反となる。

もし逮捕となれば、相場の罰則としては、勾留22日で略式起訴の30万の罰金刑。

取調べでオーナーの存在さえ黙っていれば、釈放後には慰労金が100万支払われる。

勾留分の22日の日割り分の給料も支払われて、罰金30万はオーナー持ち。
引き換えに前科がつく。

スカウトをやめてから

スカウトは2年前にやめていた。
気が落ちる出来事があったからだった。

突然に気力が萎えて、女の子どころか人と話すのがどうしようもなくダルくなり、誰とも関わらなくなった。

追いかけるのをやめた女の子からの連絡は全くこなくなる。
AVプロダクションと風俗店からのスカウトバックもあっという間に先細り。

思っていたよりブラブラできなくなって、2台の車も売ったときには1年近くが経っていた。

生活のために働くにしても、やる気も責任も持って働きたくなかったし、新たに人間関係が発生するのも考えただけでわずらわしかった。

ダラダラとバイトがしたい。
ただ生活のために、誰とも話すことなく、なにも考えることもなく。

自宅から歩いて10分のところにある、暇そうなコンビニのバイトの面接ですら落とされたのも、そんな鬱屈した魂胆を店長に見抜かれたからかもしれない。

疲労感が滲む50がらみの店長に応募の動機を訊かれて、そういわれても全く大層な返答を考えてなかったので「家から近いのもありまして」と正直に答えたのも良くなかった。

「うかうかしてるとすぐ40になっちゃうよ」と50がらみの説教がはじまった。

たぶん、コンビニがどれほど大変かを聞かせたかったのだろうけど「さっき肉まんを手で触ったらすごく熱かったけど我慢したんだよ」と語りはじめて「たかがコンビニ、されどコンビニですよ」と締めくくられて「採用の場合は電話します」と帰らされた。

おそらく電話はこないだろうとは察した。
自分はコンビニのバイトすら、あっさりと落とされる人間だったのだ。
世間からの評価を受けたようだった。

面接の態度は悪くなかった。
姿勢もよく言葉遣いも丁寧だったし、鬱屈はしてるが見た目は健康だし体力もありそうだし、それなりにやる気を見せていた。

履歴書には、学歴は高校卒とか、職歴は架空の会社の営業とか、趣味は読書とか、さんざんと嘘を記入して真面目さをアピールしたのに。

「給料をもらうって大変だよなあ」と、腕を組んで首をかしげながら、夕暮れの道をトボトボと歩いて帰った。

求めていた意味のないバイト

コンビニの面接を落ちてからは、登録制の派遣バイトを1年ほどしていた。
派遣バイトの面接は落ちなかった。

派遣先は、江東区の物流倉庫の夜勤。
広い倉庫には、昼間に納入された軽めのダンボール箱が山となっている。

その一角が受け持ちになる。
積んであるダンボール箱に『割符』と呼ばれる小票を紙テープで貼り付けて、それぞれを引き取りにくる配送業者に個数を確認して渡して、伝票にサインをするという作業。

といっても、引き取りにくる配送業者にお任せしても、何ら問題はない。

配送業者のほうが派遣バイトより慣れてるし、引き取る個数はあらかじめわかってるし、個数も1つか2つか3つなので間違えることもないからだった。

それでもほんの稀に、配送業者のうっかりもある。
1つのところを2つ引き取ったりして、後になって残りの個数が合わないときもあったりもした。

その場合は録画カメラを社員がチェックして、間違えた配送業者に連絡をして調整すれば難なく解決できるので、派遣バイトがいる意味もあまりないのだった。

そもそも貼り付けした割符も意味がない。
必要ないのだ。

ダンボール箱を引き渡したその場で、割符は剥がされて床に捨てられてるからゴミとして掃除をしなければならない。

貼るのが間に合ってなかったとしても、なければないで別にどうってこともない。
どころか、割符のせいで、引き取りが滞るときもあった。

配送業者が3つ引き取りにきてるのに、割符は2つしか貼ってないときなどは、倉庫の隅にある事務所まで確認に向かわなければだった。

確認してみると、それらの混乱の原因のほぼすべてが、派遣バイトの思い込みや適当さで間違えて貼り付けされた割符だった。

割符を貼り付けるのが余計。
しないほうが、むしろ引き取りはスムーズだった。

バイトをはじめて3日目になって、実は割符はパソコン管理がない時代の名残であるのを知った。

どうやら派遣バイトの雇用は、行政からの助成金のためだけらしい。

派遣バイトは頭数さえ揃っていればいいのであって、作業は適当に手を抜くことを察したときには、この意味のなさこそが自分が求めていたバイトだったと小さく喜べた。

それなのに、派遣バイトのベテランの中年男達はどういうつもりなのか。

割符の貼り付けに効率を目指していて「こうやればテープを無駄にしない」とか「ああすれば早くたくさん貼れる」だの、どうでもいい効率で鼻くそみたいなやる気をアピールしている。

あげくには「誰々の割符の張り方が真っ直ぐで美しい」などと休憩所で延々と話している。

人だけがうっとうしかった。
誰とも親しくなるつもりはなかったから、出勤時に「ざす」と素っ気なく挨拶して1センチくらいは頭を下げもするが、休憩所での雑談に交わることもなく、休憩時間にはさっさとベンチで寝ころんで仮眠をしていた。

3日もしないうちに、誰も話しかけてこなくなったが、作業するのにはなんら不都合がない。

そのベンチは指定席になったし、夜の静けさも明け方の澄んだ空気も気に入ったりで、気を遣わないだけ居心地はよくなった。

やりがいってなんだろう?

半年経つと『やりがいサポート制度』という珍奇な社内制度の対象となるらしい。

「会社が費用負担してフォークリフトの免許が取得できます」と喜々としたベテラン派遣バイトの班長に言われもした。

壁に張り出されている『やりがいサポート制度』を告知するポスターには『あなたの成長を応援します!』とポップな字体で書かれていた。

やりがいを強制されているようだったし、成長の意味もわからなかったので、珍奇に感じていたのかもしれない。

それに時給が上がるのでもない。
もっともらしい名目でいいように使われるだけ・・・と斜に構えている自分だった。

どうでもいいが、貴重な休憩時間がはじまったばかりだった。
班長には「むりです。乗り物を医者に止められているので」と即座によくわかない嘘の断りをして、居合わせた皆が無言のなか、いつものベンチに寝ころんだだけだった。

『田中Bさんは、協調性もなくて向上心もない』と、前々から班長が陰口を言っていて、皆が同調してるのは知っていた。

この田中Bとは、自分である。
派遣会社には田中が2名いて、先の登録者が田中Aさん、後の自分は田中Bさん、などと当然のように社員が呼んでいて、現場でも当然のようにそう呼ばれるようになっていた。

鈴木にいたっては、鈴木Aさん、鈴木Bさん、鈴木Cさんが空いていて、鈴木Dさんまでいる惨状。
なぜか馬場が、馬場Aさん、馬場Bさん、馬場Cさんまで揃っていた。

ベテラン派遣バイトの鈴木Aが班長だったが、彼の「やっぱ仕事ってコミュニケーションが大事だからさ」との聞こえよがしの半笑いのかん高い声が耳に入る。

寝ころんだベンチの窓の向こう側には倉庫の大屋根。
その向こうの夜空には、ベイエリアの高層マンションの上階が見える。

まばらに灯りがついた窓が広がっている。
社会の人々は、寝てる時間なのだ。

社会生活からも、一般家庭からも、隔離されてる気もしてくる。
隔離されてる中の、さらに隔離されてる疎外感が心地よかった。

やりがいって持たないといけないのか?
協調性って人の言うことをきくことなのか?
向上心ってそんなに大事なのか?
コミュニケーションと、あつかましいのは似たようなものではないか?

脱力のため息をして、いつでもクビになってもいいか・・・と目を閉じると、気持ちよく仮眠ができた。

3日おきくらいにウチにくる智子だけには、そんなやる気のなさの数々を話せて「賢さんらしいわ」とニコニコして聞いてくれた。

休日には2人で鈍行列車で小旅行をしてみたり。
都内を街歩きをして小さな発見をしたり、シーズンオフの観光地を巡ったり、動物園とか水族館にいってみたり。

あちこちの美術館にもいって、ミュージカルというのも初めて観たりして、静かでささやかな日常は、それはそれでほっこりと充実していた。

– 2017.7.24 up –