歌舞伎町浄化作戦とは?


摘発されたときの逮捕要員である名義人

住んでいる新宿6丁目と歌舞伎町は隣同士。
明治通りを挟んだだけ。

だけど、オーナーと会うこの日まで、1年以上は立ち入ることがなかった。

風俗店からのスカウトバックは途切れていて集金に行くこともなくなったし、家庭の奥さんをしていた智子との生活範囲に歌舞伎町は含まれてないからだった。

数少ないスカウト仲間とは、3回か4回ほど電話で近況を伝えあっただけ。

ヒロシと佐々木だけは、ちょいちょいと電話を寄こしてきた。
2人ともスカウトをやめて、それぞれ金融会社と称したサラ金の紹介屋と、六本木のキャバクラの内勤で働いていることは知っていた。

摘発で閉店した『ラブリー』が再オープンのため名義人を探していることを聞いたのはヒロシから。
2週間ほど前の電話だった。

やると手を挙げた候補者が「やっぱりできない」と言い出して、再オープンが延び延びになっていて、そうなると在籍していた女の子も離れてしまうので急いでいるということだった。

また電話してきたヒロシは「田中さん、名義人どうですか!」と推す。

自身には紹介料など入らないことを強調して「パクられても平気って人は、田中さんしか知らないんで」と悪びれずに笑う。

店側は、名義人探しがうまくいってないらしい。
歌舞伎町内では名義人に手を挙げる者は何人かいるが、20代前半で若すぎたり、前科5犯6犯の常連すぎたりで断っているとのことだった。

「オレだって、パクられるのは平気じゃない」
「だって、田中さんいってましたよ」
「なんて?」
「オレがスカウト通りで男連れの女に声かけて、なんかモメたときがあるじゃないですか、へんなヤクザみたいなヤツで」
「よくおぼえてないな」
「そしたら、田中さんきて」
「んん」
「殴って気がすむんだったら、自分を殴ってくださいって、それで済ませたんですよ」
「へえ・・・、そんなこといった?」
「そしたら、ウチらはイザってときは体張るしかないって」
「よく、おぼえてるな」
「オレ、田中さんがスゲーっておもったのは、あんときだけですよ。ホントに、あの一瞬だけ。一瞬の一瞬だけ」
「・・・」
「あとは、ダメな人だなって、ずーとおもってますけど」
「・・・」
「とにかく、田中さん、考えてくださいよ」

違法営業に摘発はつきもの。
だけど歌舞伎町では恒例のローテーションがあった。

春には風俗が数店舗、夏には裏ビデオ屋が数店舗、秋にはゲーム喫茶がやはり数店舗で、そこを乗り切れば、摘発など1年に1回あるかないかの感覚だった。

しかしこのときは、歌舞伎町浄化作戦が開始されていて3ヶ月が経っていた。

まさかのときの逮捕要員である名義人候補が、やっぱりできないと尻込みしたのは、この歌舞伎町浄化作戦の影響であることは想像がつく。

都庁に設置された緊急治安対策本部

2期目の東京都知事となった石原慎太郎が、都行政の重要課題に治安回復を唱えて『歌舞伎町浄化作戦 』がはじめられていた。[編者註02-1]

発端は2001年の『歌舞伎町ビル放火事件』。[編者註02-2]
44名が死亡。
犯人は逮捕されることなく未解決のまま。

石原慎太郎によると、歌舞伎町には三国人がウヨウヨといて、夜などは危なくて歩けない街となっていて、凶悪犯罪も起きているし、騒擾事件も起こるかもしれない。

もしそうなれば治安維持のためには自衛隊の出動もありえる、ということらしい。

もちろん問題発言とされていたが、歌舞伎町に犯罪に治安回復の組み合わせは説得力もあり、一定の支持はあるようだった。

翌2002年には、全国に先駆けて、55台の防犯カメラが歌舞伎町の街頭へ設置された。

警察による公共の場所である街頭への防犯カメラの設置は、それまでにはなかったこと。

抵抗感を持つ人が多くいて、プライバシーの侵害だの、監視社会の到来だの、海外ではそうなってるだの、犯罪の抑止力だの、連日のようにニュースで騒がれていた。

そのために、管理者である警察は条件付きで運用をしなければならなかったが、1年もすると当たり前のように防犯カメラの設置台数が増加していった。[編者註02-3]

防犯カメラが設置されるのと同じくして、石原都知事が招いた警視官僚出身の竹花副知事が本部長となり、都庁には“ 緊急治安対策本部 ” が設置された。

竹花副知事
歌舞伎町が『悪の蓄積』でもいいけど風俗店が矢面に

竹花副知事は『悪の蓄積』と歌舞伎町を名指して、治安回復のため『歌舞伎町浄化作戦』を開始して、違法行為の取締りを徹底的にやると気炎を上げているのをテレビニュースで見た。

いきなり店長になるのは歌舞伎町浄化作戦があるから

その日の19時過ぎ。

夜勤の派遣バイトにいくために地下鉄の駅に向かい歩いていると、電話してきたヒロシが「村井さんがおねがいしますっていってましたよ!」と弾んだ声で言ってきた。

村井とは面識がある。
いってみれば店の番頭みたいな立場の村井とは、スカウトのときに女の子の面接に同席した程度で、これといって親しいわけではない。

「田中さんは女にはひどいことするけど、仲間内には不義理しない人なんでと保証しときました」
「けなしてるのか、なんなのかわからんな」
「まあでも、摘発だって大丈夫ですって、あんな浄化作戦なんて、いってるだけですぐ終わりますって」
「ん」
「石原だって暗殺されるって、週刊誌にのってましたよ」
「そりゃない」
「それに浄化作戦があるから、いきなり店長になるんじゃないですか、フツーは、3年とか5年かかってやっとなるんですよ」
「ん」

本人は気がついてないだろうけど、紹介屋とはいえ違法金融の端くれになったヒロシは、こんなときの喋り方が巻き舌になっている。

「そんな倉庫だか夜勤だか知らないけど、いつまでやるんですか?」
「そういうけどな、旅行もしてみたり、筋トレもしてみたり、けっこう充実してるぞ」
「筋トレって、そんなもん、なんになるんですか?」
「なんもならんけど」
「やっぱり智子さんですか?」
「え」
「智子さんがいいっていってるからですか?やれっていってんですか?田中さんはどうなんですか?」
「いや・・・」

スカウトをやめた理由の気力が萎えた出来事は、ヒロシには話してない。

ある日、突然、スカウト通りから去るようにして顔を合わせなくなったヒロシからは、40代の熟女にうつつをぬかしている姿に見えてるだろうなとはずっとわかっていた。

「名義人だっていっても、店長だからいいじゃないですか、オレだって協力しますよ」
「んん」
「今、スカウトやってるヤツだって紹介しますよ。女、店に入れればいいじゃないですか。そしたら名義人っていったて、ああ、やっぱり元スカウトは違うなってことにもなるじゃないですか」
「んん」
「田中さんは、女、いじってナンボですよ。ぶさいくだけど」
「ひとことおおいな」

自分がスカウト通りにいかなくなってから半年ほどして、ヒロシもスカウト通りを離れて今の紹介屋で働きはじめたのは、子供ができた彼女に「籍をいれるならスカウトなどやめろ」と迫られたから。

5歳年上の気が強い彼女の言いなりにスカウトをやめたのは不本意だったのが、ヒロシは口にこそしないが端々から伝わってくる。

「考えてはいる」と返事をしたときには、地下鉄の若松河田町の駅だった。

名義人をやるべきなのか

この時間、上がりとなるホームと車内は空いてる。
都心に差しかかると乗車客が増えてくる。

倉庫がある最寄の駅で降りたときには、1日の仕事が終わった勤め人の話し声で騒がしい。

ざわついている駅前広場を抜けた。

急に暗く静かになっている片隅には、無言のまま並んで立っている20数名の男の集団がいる。
多くの者が、くすんだ黒っぽい服装。

埃っぽくて縒れたジャンバー、しわくちゃなズボン、手垢がこびりついたリュック、ボサボサの髪、ボロボロのスニーカー。

目にしただけでも臭うような格好をしている。
実際に周辺は臭い。

ワキガの者が複数人、風呂に入ってないらしき者も複数人、この集団には交ざっているのだ。

異様な空気が漂うこの一角が、倉庫へ直通する派遣バイト専用の無料送迎バス乗り場だった。

寝てるのか起きているのかわからない薄目の者。
目を見開いたまま携帯をいじっている者。
意味もなく薄ら笑いをしてる者。
ずーと下を向いているだけの者。

20数名の生気がない姿が、薄暗がりに静かに並んでいる。

いつの間にか、その集団に加わって並ぶのに慣れていて、気が滅入ることもなくなっていた。

帰宅途中らしいコートの奥さんが、一角を通りかかった。
臭うような空気を感じた横顔の目の端からは、冷ややかな視線が集団に向けてられているのがわかる。

ヒールの音に、集団からいくつかの目が無遠慮に向けられた。
奥さんは視線を感じて、コートの襟を押さえて胸元を隠す仕草をしながら足早に去っていった。

拒絶するヒールの音だった。

この集団に自分もそろそろ同化するのか、と一角に立ち並ぶと『いつまでやるんですか?』とのヒロシの言が浮かんできた。

無料送迎バスが到着した。
ノロノロと全員が乗車する。

埃っぽい、染み付いた匂いが漂う車内の、黒ずんだシート。
車内清掃などしてなく、もう回復できないほどに汚れきっているが、これに座るのも慣れてしまった。

重い空気のなか、無料送迎バスは発車した。

ずっと冬の夜を眺めていた。
車道に並ぶマンションの窓からは、淡い灯りが透けている。

通常の社会生活を、こんなふうに傍観してるうちに、もう1年が過ぎた。

いつまでやるのだろう?

無料送迎バスは、倉庫のゲートをくぐった。
構内の奥まった場所に停車。
降車した派遣バイトの集団は、無言のまま控え室まで構内を歩く。

派遣バイトの集団の脇を、帰宅する社員のセダン車がスピードを上げて走り過ぎていった。

控え室でタイムカードを打刻して、錆の浮いたロッカーを開けて灰色の作業服に着替えて、開始時間までベンチに寝転んだ。

ベテラン派遣バイトの中年男が、輪になって座りお喋りをしている。

吉野家の牛丼の味が落ちただの、松屋の牛丼にはカルビのタレを交ぜるとうまくなる、などとぺちゃくちゃと話してた。

– 2017.8.15 up –