検事が作成する調書とは?

法廷で多用される「そうだと思います」の意味合い

チケットセンターの支払いを暴利と認めたのはまずかったのか?
おかしくありません、のほうがよかったのか?

いや、そうすると屁理屈の天才の検事は、さらにこねくり回して訊いてくる。

“ 思います方式 ” でいこう。
今からは、“ 思います方式 ” に切り替えよう。
留置場の座談会が役に立ちそうだった。

『~と思います』と、弁護士は法廷で多用する。
1種の法律用語に近い。

法廷
『思います方式 』は屁理屈の天才の検事には、さほど通用しないかも

普通に「はい」と言うところも「そうだと思います」に変えて発言をする。

「はい」という明確な意思表示を1度してから、その点を質問で突っ込まれて訂正をしたものなら、多くの裁判官は「今、証言を覆したな」という心証を受けるという。

「はい」が「そうだと思います」だったならば、あとになって訂正しても、なんてたって自分1人が心の中で思ったことなのだ。

人の記憶は曖昧でしょ、人は勘違いだってあるでしょ、人の心はあとで変わることもあるでしょ、証言を覆したのではありませんよ、という理屈が裁判での審理では通るらしい。

法曹界というのは不思議な世界だ。
自分からすれば「~と思います」を多用されれば、曖昧にごまかしてる言い方に聞えるのに。

ともかく今は、検事からの質問には「はい」はやめて「~と思います」を多用しよう。

「君は、岡田に家賃を支払い続けたのはなぜか?」
「なぜ・・・?」
「うん、なぜか?」
「なぜって・・・、家賃だからだと思います」
「うん。ほかには?」
「ほかにって・・・、まあ、契約ですし・・・」
「うん。契約だから履行しないといけないと」
「はい、だと思います」
「その契約は、なぜ、履行したのか?」
「なぜって・・・」
「なぜか?」
「契約は契約だからと思います」
「うん。君は契約は履行するが、契約でなかったら履行しなくてもいいと思っているのか?」
「そんなことはないです、と思います」
「では、契約以外では何を履行するのか?」
「約束も履行しますし・・・、と思います」
「約束は守らないといけないと」
「そうだと思います」

なんだ、なんだ。
今度は禅問答か。

上下関係とはなんなのか?

またすぐに検事は「供述」と発した瞬間には、事務官は指をキーボードに置いていた。
検事と事務官のコンビネーションは抜群だった。

背筋を伸ばして指を組んだ検事は、机上のディスプレイを見ながら、また少しだけ口述をした。

「やちんは、てん、ひゃくよんじゅうまんで、・・・もとい、ひゃくよんじゅうまんのまえにつきをいれて、・・・ん、・・・そこから、てん、おかだにしはらってました、まる、わたしは、てん、そうばよりもたかいやちんとはにんしきしてましたが、てん、おかだとのやくそくでしたので、てん、しはらいつづけました、まる」

こんな質問には答えたくないが、今になって黙秘はしたくない。
かえって不自然だ。

黙秘は正当な権利です、とはいっても心証は悪い。
否認と同等にとられて「反省の色なし」と刑量は5割増となる、と座談会で経験者は語っていた。
検事からすれば、言いなりに供述することが反省してるとなるらしい。

だからといって、すべてを認めるわけにもいかない。
どうしよう・・・と空中を見ていると、キーボードの音が止まった。

「君と、岡田の間には上下関係があったのではないか?」
「上下関係ですか?」
「そう、上下関係があったのではないか?」
「いえ、ありません、と思います」
「君は、岡田との約束を守るために、店の儲けがなくても、赤字でも、高額な家賃を払っていた」
「そうともいえると思います」
「一方で、警察と交わした店を閉めますという約束は守ってない」
「そう・・・、です・・・」
「君は、店を閉めなければ警察に逮捕されることを知っていた」
「・・・」
「警察で説明を受けたはずだ。始末書も書いている」
「はい・・・」
「うん。それなのに君はだ、逮捕の可能性がありながら、生活が苦しくても、そこまでして岡田のほうの約束を守るのはどうしてか?」
「ど・・・、うして・・・、でしょう?」
「2人の間には上下関係が存在していて、それが影響をしていたといえるのではないか?」
「そう・・・、ともいえますと思います」

それをいったら、世の中の多くは上下関係だ。
上下関係っていっても程度もある。
しかし、そもそもが関係がない岡田なので、本当は上下関係もないのだが。

「うん。君は、売上の1部を、家賃の名目で岡田に渡していた、という認識があったのではないか?」
「ない・・・、ように思います」
「うん。岡田は店舗を用意した」
「は・・・、い」
「店長となる人間も、アルバイトとなる人間も手配した」
「は・・・、い」
「そして、君に経営を任せて売上の1部を得ていた」
「そ・・・、うだとも思います」
「うん。岡田は、上下関係が基にある実質的経営者といえる立場ではないのか?」
「そ、うとも、いえないことはない、と思います」

揚げ足取りというか、こじつけをしてるようでもある。
検事が考える事件の筋書きに従わせるために、返答させようとしているのだ。

すでに検事の頭の中で全体が整理されていて、順序だてて実質的経営者を認めさせてくるのは、ああ、すごく頭がきれるのだなと感じる。

「わかりません」といいたいが、そうすると裁判の脚本家でもある検事は、さらに事件をこねくり回して脚色してくるに違いない。

検事が考える事件の筋書き

質問をやめた検事は、机上で指を組んだ。
「供述」と発した瞬間には、事務官は指をキーボードに置いた。

「そうばよりもたかいやちんのしはらいため、てん、わたしはくるしいせいかつでした、まる、しかし、てん、わたしとおかだのあいだには、てん、じょうげかんけいがえいきょうしていたため、てん、しはらいをやめるわけには、・・・もとい、そこのまえ、やくそくのといれて、・・・ん、・・・そこから、・・・やくそくのしはらいをやめるわけにはいきませんでした、まる」

どんどんと検事の調書は変な方向にいく。
「違います」と言いたいが、そうすると検事がさらにこねくり回して訊いてきて、岡田のでっちあげまでがめくれてしまいそうだ。

それだけは絶対に避けたい。
では前もって架空の人物の供述をしていればよかったのか、というとそうでもない。

存在の裏付けがない人物がいる供述調書は信用性がなくなってしまい、検事の追及だってどうなっていたのかわからない。

今、岡田が死んでくれたら一番いいのだけどな・・・とうなだれた。

検事の口述は一気に続く。
事務官のブラインドタッチが軽快に聞こえる。
結末がわかっているかのように、訂正部分もなくキーボートの音をさせている。

この人たちはプロなんだ。
どうでもよくないが、どうでもよくなってきた。
検事の作成する調書は、それほど長文ではない。

「わたしは、てん、やちんがたかいのはきにしてませんでした、まる、じっしつてきなけいえいしゃともいえるおかだに、てん、うりあげのいちぶをふくめて、てん、こうがくなやちんをしはらっているとにんしきしていたからです」

係長の調書の信用性を落とす内容ではなかった。

さほど触れてなかった岡田の存在を浮き彫りにして、上下関係が基にある実質的経営者とした形で締めくくられた。

事務官がプリントして、自分の机の上に調書が置かれた。
署名と指印をしたときには、歌舞伎町浄化作戦なんだ・・・と諦めの息を飲んだ。

岡田だからいい。
窃盗の常習で、住所不定の行方不明の岡田だからいい。
裏ビデオの名義人もやっていて、両方の店の売上を持って歌舞伎町からトビとなった岡田だからいい。

都合の悪いことは全て岡田にかぶせよう、盗んだ金の分のことくらいはしてもらおう、とされている岡田だからいいのだけど、とにかく、エラいことになった。

岡田!ごめん!死んでくれとはいいすぎた!そのまま逃げてろ!しばらくは絶対に捕まるな!と、供述調書に指印してからはブラインドの向こうの夏の空を見た。

10日間の勾留延長通知

検事室から地下の檻の中に戻った。
座っていても、前回みたいな反省の念など出てこない。
同設の裁判所からの呼び出しは、前回と比べたらすぐだった。

裁判官は前回とは違った。
勾留尋問は簡単に済んだ。
接見禁止のまま、10日間の勾留延長が告げられた。

退室してから手錠と腰縄をして「はい、ここまっすぐ」との指示でエレベーターに向かった。
「そこ、止まって」連行の警察官が背後からいう。
こちらも止まると同時に壁を向く。

エレベーターに乗ると、指示がなくても壁を向いて立つ。
「はい、前へ」との声で回転してエレベーターを出た。

廊下の曲がり角では手前で止まって壁を向くのだったが、連行の警察官の指示がなくても勝手に行なっている。

もう慣れたものだった。
半歩ずれて窓の外を見た。
霞ヶ関のビルに真夏の快晴だった。
ビルの間には真っ青な空に白い雲。

なにかを思い出しそうなまま地下の詰所につくと「はい、止まって」と言われると同時に両手の手錠を差し出して検身。

檻の中に座って、また心の中で歌などを歌っていると思い出した。
17歳の夏だ。
あの空だ。

地下のコンクリートの打設のあと、全体の鉄骨が組まれて、土方の作業は上階に移っていった。
9階か10階の床面のコンクリート打設をしたその日、真夏の快晴だった。

鉄骨組みされただけの現場には、音楽が聴こえてきた。
中央合同庁舎に隣接する日比谷公園には『野音』と呼ばれる野外音楽堂がある。

そこからの楽曲なのは、それまでにも聞こえてきていたので知っていた。
ところが、その真夏の快晴の日の楽曲はボリュームがすごく大きい。

桁外れの爆音が霞ヶ関のビル群に反響し合って、入り乱れて混ざり合って、曲調もなんなのかわからないほど。
あれほど大きな音には出会ったことがない。

1年ほどしてから、あの桁外れの爆音はRCサクセションだったと知った。[編者註48-1]

化粧に長髪が気持ち悪くて、もともと好きでもなかったRCサクセションだった。

彼らの楽曲には、素晴らしい意味がある、深いメッセージが込められている、とも称賛されてもいるが、自分にとっては真夏の暑い中でコンクリ打ちしながら聴いた爆音は不快だった。

RCサクセションに、はっきりとした反感を抱くようになった。
思い出したのは、そんなことである。

あの夏が素晴らしかったら違う人間になっていたのだな、やっぱ人間って環境が大事なんだな・・・と他人事のように、檻の中のコンクリートの天井を見上げた。

元々がそんな人間なのだ・・・と開き直ることもできた。
前回の送検で感じた、あの深い反省の念はなんだったのだろう。

逮捕された当事者にとって事件とは?

護送車が合同庁舎を出たのは早めだった。
帰りの道路も空いていた。

留置場の房内に戻ってしばらくすると、留置係が「332番、これ、裁判所から」と勾留通知を持ってきた。

「これな、10日間の延長な、接見禁止もついてるからな」と鉄格子ごしに提示して、「じゃ、これ、ロッカーにいれとくな」と去っていった。

夕食が済んでから19時30分になると本とノートが回収されて、洗面をしてからは房内には布団が敷かれた。

布団に座り座談会となる。
「どうだった?検事調べは?」と205番が訊いてきた。

「しっかし、検事って頭いいですね」
「そうだな、司法試験とおってるからな」
「それもそうですけど、いくつもの事件を扱っているはずなのに、それをぜんぶ把握して同時進行でこなすのだから、そこだけはすごいなぁっておもいました」
「そこだけはな」
「そう、そこだけ」
「うん、そこだけ」

そこだけ、という部分で全員が深くうなずいた。
やはり、皆も感じているのだ。

そこだけと限定するのは、逮捕された当事者にとって事件とは、大いに矛盾にあふれていて、不合理さも最大限になっている行為であるから、そこをわざわざ突かれてもなあという困惑も同時に抱くからだった。

矛盾だって不合理だって、本人も重々と承知している。
かといって明解な説明もできなくて、不思議にも感じている部分でもある。

やってはいけないを知りながらやってしまったという逮捕者が『なぜ、あなたはやってしまったのか?』と改めて問われても、とても一言であらわすことはできない。

理由がわからない『なぜ?』もある。
ずっと後になってから理由がわかるときもある。

逮捕の直後には、犯行をおこした理由は『心が弱かった』などの一言で片付けて、動機は『お金がほしかった』と後付けできる。

しかしそれでは、事件の本当のところは埋もれてしまうものだった。
本音を言えなければ、反省はしずらいものだった。

– 2021.4.23 up –