警察は人的な繋がりを取り調べる


叱責と保護房

留置係は6名は見かける。
やすしとスポーツ刈りはコンビのようだ。

あとは、暗い目の広いおでこに、メガネに、体格がいい係に、205番が『部長』と呼ぶ留置事務室にいる係。

朝食がすんだあとだった。
奥の房のあたりで「おい!オマエ!」と怒声がした。

メガネの留置係だ。
普段はやすしに次いで軽快で、運動のときには被疑者との雑談に交じり笑いもしている。

その、メガネが怒声を上げているのだ。
房の皆が、無言で顔を見合わせた。
怒声が場内に響いた。

「おい!その手にあるものみせろ!みせろ!よこせ!これ、なにに使うつもりだ。つまようじだぁ、ふざけるな!これ、どこで、手に入れた?どこだ!あ!ふざけるな!それで隠していたのか?オマエ、規則守れんのか!あっ」

どこかで手にした金具を隠していて、爪楊枝代わりに使っていたのを見つかったらしい。

留置場では、先端が尖ったものは使えない。
雑誌のホチキスも抜かれるし、ボールペンの先端も引っ込めてある。

当然、爪楊枝も使えない。
しかし爪楊枝が規則に反してると言われても、事前にそこまで細かい説明はないし、冊子などあって周知されるわけでもない。

係に聞いて確めるか、これは多分いけないのだろうなと状況から自身で判断するしかない。

そんな不明瞭な規則でもあった。
守らなかった場合、まずは叱責となる。
叱責に反抗するようであれば、保護房に入ることになる。

警察の保護房
鉄の扉となっている保護房

保護房は留置場の隅にあって、運動にいくときに目にするのだけど、これでどうだというような重厚な鉄の扉に《 保護室 》というプレートがついている小部屋。

中でどのような扱いになるのか知らないが、灰色の鉄の扉を目にするだけで入りたいとは思わない。

叱責された留置者が「すみません、すみません」と謝り続ける声が聞こえてくる。
そのような方針でもあるのか。

1度でも叱責されたら、係のきつい態度が続く。
そうなると、萎縮して過ごすようにもなってしまう。
叱責は避けたかった。

開業の経緯はけっこう訊かれる

いつもは9時過ぎには取り調べがはじまるが、今日は遅い。
「332番!調べ!」と係から声がかかったのは、10時前ほどだった。

留置6日目の調べは経営について。
まずは開業への経緯から。

分厚いファイルからは、私製の賃貸契約書のコピーが机の上に出された。

架空でもある私製の賃貸契約書は、わざと店内に保管してあったので、しっかりと押収されていた。

「これ、店の賃貸契約だな」
「はい」
「岡田洋二と契約を交わしているだろ?」
「はい」
「この岡田は、どういう立場の者だ?」
「立場ですか?」
「ん」
「前の経営者ってだけですけど」
「そうか」

そもそもが、自分は岡田とは面識がない。
すべては裏付けがとれないことを答えることになる。

「きっかけは、この岡田から物件を借りたと」
「はい」
「なんで、岡田は物件を貸した?」
「わかりません」
「そうか」
「はい」

経営についてといっても、人的な繋がりを訊いてくる。
ついにきたか。
いちばん気をつけなければならない部分だ。

供述では電話の発信は重視される

窃盗の常習で住所不定の岡田。
風俗店と裏ビデオの名義人を同時にやっていた岡田。

両方の店の金を盗んで歌舞伎町からトビとなり、以来、行方不明の岡田。

都合の悪いことは全て岡田にかぶせよう、盗んだ金の分のことくらいはしてもらおう、とオーナーと話してあった。

「それは、田中君から貸してくれとお願いしたのか?」
「岡田のほうから電話がきました」
「電話がきたのはいつだ?」
「去年の秋くらいだと思います」
「なんといってかかってきた?」
「風俗店をやらないか、とのことでした」
「いきなりか?」
「いえ。そのまえに、最近どう、みたいなことは話しました」
「ほかには、どういうこと話した?」
「これといって覚えてません」
「なにか覚えてるだろ」
「会おうということにはなりました」

座談会でも話題に挙がったが、すべての物事は『電話がきた』としたほうが、なにかと都合がいい。

供述では、電話の発信が重要視される。
発信については通信会社に照会して通信記録も照会して裏付けもとるし、話した状況から内容まで細かく訊かれるが、着信となるとそこまではない。

というよりもノータッチ。
どういうわけかはわからない。
通信記録のせいかもしれないし、裁判の判例からかもしれない。

「岡田と知り合ったのはいつだ?」
「2年か3年ほど前だとおもいます」
「2年か3年のどっちだ?」
「う・・・ん」
「だいたいでいい」
「3年くらい前かもしれません」
「それから今まで、どういう交友があった?」
「とくにありませんでした」
「飲みにいったとかないのか?」
「ありません」
「それで、今になっていきなり電話があったのか?」
「はい」
「どうして、田中君に電話したのだとおもう?」
「わかりません」
「突然で不思議じゃなかったのか?」
「たぶん、風俗にくわしいからだとおもってました」

そこまで訊かれるとは予想してなかった。
3年くらい前だと、岡田は店の経営者で自分はスカウトなので、知り合うのは不自然ではない。

確か携帯キャリアの通信記録の保管は3ヵ月前までなので、裏付けのために照会もしないだろう。[編者註43-1]

交友については、何度か飲んだくらいのほうかよかったのか。

でもこの様子だと、どこで飲んだのか、会計はいくらだったか、どっちが払ったのか、などと細々とはじまる。

「岡田とは、どうやって知り合った?」
「どうやって・・・、ですか?」
「うん、最初のきっかけがあるだろ?」
「女の子のスカウトを頼まれました」
「どういう状況で頼んできた?」
「状況ですか?」
「たとえば、誰かからの紹介があったのか?」
「いえ、本人がスカウト通りに来て声をかけられました」
「直接きたのか?」
「ええ」
「1人でか?」
「はい」

さらに岡田と知り合った経緯も詳しく訊いてくる。
そこまでとは予想してなかったので、返答に口ごもってしまった。

違法営業風俗店の大家は被害者の立場

昼食をはさんで、午後になっても聞き取りは続いた。
係長はバインダーのメモを見直している。
なにかの線を引いている。

「この140万の家賃は岡田に払っていたのか?」
「はい」
「振込みか?現金か?」
「現金です」
「持参するのか?」
「はい」
「どこまで?」
「持参というか、店にきました」
「岡田本人がきたのか?」
「はい」
「どうやって連絡をとった?」
「いや、直接きたので」
「連絡もなしにか?」
「はい」
「領収書はもらったのか?」
「いえ、もらいませんでした」
「どうしてだ?」
「必要ないとおもったので」

店に電話があったのほうがよかったのか。
領収書は、どこかにいってしまったのほうがよかったのか。
すべてが裏付けがとれない。
嘘が丸わかりの気がする。

「あのビルだけどな」
「はい」
「大家との面識はあったのか?」
「ありません」
「どうして?」
「とくに不都合がなかったからです」
「そうか」
「・・・」
「どうして、大家と直接契約しなかった?」
「う・・・ん、そこまでは、考えてませんでした」

店が違法営業だと摘発されても、大家は『店が違法に営業しているとは知らなかった』とか『勝手に営業されて困っていた』とでも言えば責任は問われない。

逆に被害者の立場だ。
そのための転貸しである。

暴力団との関係はデメリットしかない

係長は分厚いファイルを開いて「んんん」と唸っている。
心なしか、どうしようか悩んでいるようでもある。

とぼけすぎたか。
やりすぎたか。
裏付けがひとつもない。

なにかひとつでも裏付けがとれることはあるか考えたが、思い浮かばなかった。
会ったこともないない岡田が相手なのだから仕方がない。

「田中君は、暴力団との関係は?」
「ありません」
「まったくか?」
「はい」
「個人的にもか?」
「はい」

歌舞伎町の違法営業の風俗店といえども、優良店の看板を出して客商売をしてる限りは、暴力団との繋がりを持つのはデメリットのほうが大きい。

この場で暴力団との関係を明かすのも、デメリットのほうが大きいと容易に想像がつく。

「今までもか?」
「はい。暴力団が大嫌いなんで」
「そうか」
「はい」
「それで、店をやるのは大丈夫だったのか?」
「はい」
「ちょっかい出されなかったか?」
「はい、なにもありませんでした」

実際には関係はあるのだが、毎月3日の3万のミカジメを払っているだけの関係に過ぎない。

支払ったところで何らかの便宜も恩恵もあるわけでもない。
あったとしても求めてもない。

歌舞伎町の風物詩というのか、郷に入らば郷に従えで支払っているだけというのか、深い付き合いをお断りしたいがための捨て金の3万でもある。

だいたいが歌舞伎町で頑張っている暴力団員などは、かの業界の底辺の底辺。

関係を持つと厄介ごとが増えるだけなのは実際に身近に目にしている者の実感だった。

「もし、向こうからきたら、どうするつもりだったんだ?」
「なんていってくるんですか?」
「ショバ代だの、ケツモチ代だの払えって」
「ありませんでした」
「歌舞伎町だったらあるだろ?」
「そのときは警察に相談しますけど。それじゃ、ダメですか?」
「いや。かまわない」
「そのつもりでした」

ここぞとばかりに、善良な市民の顔をして答えるのは気持ちがよかった。

ミカジメを受け取る側の新宿三光会の代行も、店側が支払う意味をわかっているのか、あるいは法令の都合もあるのか、払うときに顔を合わせる以外の関係を持とうとはしない。

せいぜいが歌舞伎町の街路を歩いるときに顔を合わせて、自分が「ちわっす」と目礼をして、代行も「おお~、がんばれよぉ」などと手を挙げるところをすれ違う程度の関係だった。

係長もそれを心得ているのか。
こちらが『ありません』と言っているので、それ以上は暴力団との関係を訊いてくることはなかった。

取り調べ中の沈黙に耐えられなかった

肌寒かった。
天井の業務用エアコンからは、冷風が吹き出し続けている。
温度調節がきかない業務用エアコンのスイッチは切られた。

「村井君な」
「はい」
「村井君は店で何をしていた?」
「アルバイトです」
「石垣さんは?」
「関係ありません」
「店への出入りは?」
「お客さんとしてきてました」
「そうか」

急にオーナーの名前が出てきた。
背面にある鉄格子の窓のすぐ近くにミンミン蝉がとまったのか、大きな鳴き声を響かせている。

「竹山君は?」
「アルバイトです」
「小泉君は?」
「アルバイトです」

小泉は摘発の際、店にはいなかったのに。
どこまで捜査したのだろう。
不安になったきた。

「田中君が店にいない間は、誰が責任者だった?」
「いませんでした」
「村井君は?」
「アルバイトとしてなので、責任者とはいえないです」
「うぅん・・・」

係長は口を一文字にして唸っている。
自分が経営者で、あとは責任がないアルバイトでいいのではないか。

なんだろう・・・。
この唸りは。

ファイルをぱたっと閉じた係長は、パイプ椅子の背にうつかった。
パイプ椅子がぎしっと音をたてた。

「田中君なぁ」
「はい」
「歌舞伎町浄化作戦って知ってるのか?」
「知ってます」
「そこでな、今、問題となっているのがな」
「はい」
「大元まで検挙しないと、結局は、またすぐに店の営業がはじまるじゃないかってことなんだよ」
「はい。・・・私が経営してましたでいいんじゃないんですか?」
「うぅん・・・」
「ダメなんですか?」
「全容の解明ってのが必要なんだな」
「・・・」

まさか、オーナーの追及をされるのか。
なにか証拠でも出てくるのか。

逮捕されたら熟年離婚だな、と呟いていたオーナーの寂しそうな顔がちらついた。

ミンミン蝉はどこかに飛んでいったようだ。
係長は目を閉じて、腕を組んで沈黙が続いている。

本部長指揮ってなんだ?

今までにない沈黙だった。
沈黙も一定の長さになると意味を持つ。

この沈黙は手口かもしれない。
そうは思ったが、不安になっていた自分が口を開いてしまった。

「係長」
「ん」
「逮捕されたときですけど」
「ん」
「刑事なのかな、名前はわからないんですが、その方に自分が経営者だと調べで言うようにって念を押されました」
「どんな人だ?」
「40代の半ばくらいで、スーツのオールバックで、四角い顔っていうか、申し訳ないんですが上野の西郷さんっていうのか・・・」
「ああ・・・」
「わかります?」
「んん、そういってたかぁ・・・」

係長はゆっくり目を開けた。
腕は組んだままとなっている。

「村井君は、身柄になっていてな」
「え、もう出たんじゃないんですか?」
「いや、身柄になってる」
「どこの署の預けになってんですか?」
「それはいえない」
「・・・」

今まで余計なことは話さなく訊かなかったというのもあるが、まだ村井が勾留となってるのを知らなかった。

自分1人が22日勾留、あとの者は当日の事情聴取のみ。
最悪で逮捕されたとしても、起訴猶予で48時間勾留までではなかったのか。

「村井君も時期がわるかったな」
「・・・」
「これなぁ・・・」
「・・・」
「本部長指揮なんだよな・・・」
「・・・」

つぶやいてから係長は立ち上がり、壁の内線で井沢君を呼んだ。
が、井沢君は離席しているようだ。

代わりにその辺にいたらしい署員がドアをノックして入室してきて、係長の椅子に座った。

どっちに言っているのか、係長は「雑談でもしといてくれよ」と言い残して取調室を出ていった。

– 2020.11.1 up –