無店舗型性風俗の届出書


待機所

レンタルルームの内装は、完成までに1ヶ月かかった。

想像以上の出来だった。
少しばかり壁が薄いが、風俗の個室だったらそのほうがいい。

デリヘルの事務所のほうの準備は、2週間も経たずに完了していた。
間仕切りの壁の造作をして、電話を引いて、元店舗から運んできたソファーや机とパソコンと棚を設置するくらいだった。

有線放送のチューナーのスイッチをいれるとスピーカーから音楽が流れてきて、もうそれだけで店の雰囲気がしてきて、いつでもオープンできる気にもなる。

女の子の待機所、・・・休憩室でもなく、控え室でもなく、いつの間にか待機所という名称になっていた、・・・で、ともかく待機所は、さくら通りの元店舗を転用することとしていた。

元店舗をレンタルルームに転用するのは摘発の対象になるが、待機所だったら問題ない。

それに元店舗だったら個室が5つあるし、フロントと待合室も合わせると7名が個室で待機できる。

しかし、いずれは元店舗からは退去しなければならない。
ビルオーナーからは退去を促されてもいた。

摘発のあと、ビルオーナーには警察が訪れて、今後テナントが違法営業をすれば無断で転貸しされていたといえども幇助の疑いで逮捕すると警告を受けたらしいのはジュンさんから聞いた。

新しい待機所はマンションの一室も考えたが、女の子同士が顔を合わせる集団待機はいいことないし、当の女の子も嫌がる。

レンタルルームまでの距離も、マンションからだと遠ざかり小回りが効かない。
営業を開始してから、新しい待機所をどうするか考えることとなっていた。

無店舗型性風俗特殊営業営業開始届出書

陽が落ちるのも早くなってきた。
もう11月になっていた。

自分とダーさんが同時に届出をして提携を疑われてもいけないので、先に自分が新宿署に出向いてデリヘル事務所の届出した。

5日を置いてから、次はダーさんがレンタルルームの届出をする。
受理されたあとには、それを証明するための届出書が交付されて営業ができるようになる。

2件の届出の方法までも、サンライズ中山が風俗コンサルタントみたいに指南してくれた。

『無店舗型性風俗特殊営業営業開始届出書』というのが提出する届出書の名称。

届出用紙は警視庁の公式サイトからダウンロードできるし、記入方法も公式サイトに掲載してある。

見たところ、それほど難しそうな書式ではない。

無店舗型性風俗の届出書
無店舗型性風俗特殊営業営業開始届出書という長たらしい名称の割には記入方法は難しくない

こういった警察への手続きは、行政書士に依頼するものだと思っていた。

が、サンライズ中山が言うには、許認可制だったら行政書士に依頼も必要だけど、届出制は審査がない書類提出だけなので、当人が届出しても不備さえなければ受理されるとのこと。
だったら提出書類の作成くらいはやってみたい。

警視庁の公式サイトから、無店舗型性風俗特殊営業営業開始届出書をダウンロード。

プリントした届出用紙はA4サイズで1枚。[編者註69-1]
5項目を記入する。

代表者の氏名、事務所の所在地、広告に使用する名称と電話番号、営業を開始する年月日。
代表者の身元を確認できる公的書類のコピーも持参するとある。

とくに不明な点もない。
10分もかからずに記入が済んだ。

あとは新宿警察署の生活安全課の窓口に提出すればいいだけなのだが、そのときに係長への挨拶はどうしようか。

するしないでいえば、したほうがいいに決まっている。
しかし、せっかくの挨拶がヤブヘビとなってもいけない。

もし、係長があれこれ突っこんできたら厄介だ。
脱法の営業だし、提携も隠さなければだし。

もしも後で警告がきたときの『知りませんでした』のごまかしのワンチャンスを自らなくしてしまうことになる。

窓口の係を飛び越えることも避けたほうがいい。
挨拶なしで、いたって事務的に届出することにした。

ファッションヘルスの発祥は?

届出書に記載されている業種は、正式には『派遣型ファッションヘルス』となっている。

よく見聞きする『デリバリーヘルス』は、広告で使用されている俗称となる。

ここで素朴な疑問が。
『派遣型』はわかるが、本番がない性的サービスがどこがどうなって『ファッションヘルス』と呼ばれるようになったのだろう?

法令にも記載される『ファッションヘルス』という名称は、そこからきたのだろう?

ネットで検索してみても『ファッションヘルス』の起源ははっきりしない。
元祖も本家もない。

まとめてみた。
源流は1980年代前半の昭和の頃に大流行した『ノーパン喫茶』に辿り着く。

『ノーパン喫茶』は通常の喫茶店に見せかけて、コーヒーを運んでくるウェイトレスが超ミニスカートの素人娘。

超ミニスカートの下はノーパンだ。
チラリと見える生尻を鑑賞するというのか、視姦をするというのか。

今からすればたわいもなくも感じるが、当時は新風俗として広まった。
後のノーパン喫茶は、床が鏡張りとなったり、トップレスとなったりと過激になっていく。

その過激となっていったノーパン喫茶から派生して、個室での性的サービスが登場したとある。

ノーパン喫茶が個室を設けるようになったのはうなずける。
現に今だって、おっぱいパブでも個室ありの店が歌舞伎町には増えてきた。

1980年代の昭和の当時を想像してみる。
エロ事にも熱かっただろう。

素人娘のノーパン尻を鑑賞して堪能してくださいの主流派から“ ノーパン尻を触れます派 ” が分離独立。

同派により個室の設置となる。
個室を設けると、さらに一部の “ 我慢できない派 ” が急進的となった。

我慢できない派は、射精主義を標榜して一定の支持を得て、手と口による性的サービス体制を樹立。

このとき、ファッションヘルスが勃興した。
NHKの『映像の世紀』風に解説すると、このような感じだろうか。

フェラチオは斬新なプレイだった

1980年代前半だったら、素人女性が手と口で施す性的サービスは斬新だったに違いない。

その頃を描いたエロ小説を読んだところによると、性器は排泄物を出す部分なので、すごく汚いところという認識が一般的で、男も女も性器を舐める行為には多くの人が抵抗感を持っていたとある。

フェラは特殊プレイだったのだ。
1980年代前半が小学生の頃に差しかかる自分も、エロ本探検隊で発見した週間宝石の記事の記憶がある。[編者註69-2]

その発見したブツには、 “ 今どきの女子大生の半数以上がオーラルセックスをする! ” との記事が衝撃を持って書かれていて、湿ったページをめくって貪り読んだ記憶がある。[編者註69-3]

ちなみに、セックスを『エッチ』と言いもするが、元々は『変態』のHからきている。

1970年代くらいまでは、男性が “ セックスしたい ” と口にするだけで、女性からは “ ヘンタイ! ” と非難されてしまう感覚があったのだ。

そこから1980年代になって性的行為の許容が広がったとしても “ チンコ舐めて ” と男性が口にしたものなら “ ヘンタイ! ” の烙印を押す女性も多かったのではないのか?

やはり、ファッションヘルス勃興のころ、口と手で行なう性的サービスは、斬新かつ変態っぽい性的サービスだったと考えるのが妥当かもしれない。

疑問が脱線した。

なぜ、届出書の業種の正式名称がファッションヘルスとなったのか?
なにがファッションで、どこがヘルスなのだろうか?
気軽な性的サービスという意味あいなのだろうか?

1980年代前半にファッションヘルスが勃興したとすると、その頃の『女子大生ブーム』も関係ある気がする。

女子大生のファッションモデルを主人公にした『なんとなく、クリスタル』という小説も大ヒットして、クリスタル族なんていう流行語もあった。[編者註69-4]
昔のことで、よく知らんけど。

クリスタルつながりでいえば、『アメリカンクリスタル』というファッションヘルスの店舗もある。

ほかには、『USA』『ニューヨークニューヨーク』『プレイボーイ』という店舗もある。

これらの、なんとなくの雰囲気の新風俗を総称して、ファッションヘルスという名称が法令にも正式名称としてなんとなく採用されたのか?

ただネーミングには、なんとなく訳にはいかなかったのではないか?

1984年には、『トルコ風呂』という名称が、トルコ人の抗議運動により改称されることになって、新しい名称が公募されて『ソープランド』となった事件があった。

そんな時勢での『ファッションヘルス』との名称には、慎重を期したのだろうと想像できる。

話が脱線した。

そもそも『ファッションヘルス』に意味などないのかもしれない。
あるのは、手を変え品を変えてた新しい風俗だけだ。

とにかく今、とにかく新形態の風俗である『脱法ヘルス』がはじまろうとしていた。[編者註69-5]

刑事に協力すべきか?

その日、新宿警察署の生活安全課がある4階までエレベーターで上がった。

廊下にある手前のドアには『申請窓口』のプレートと『ご用の方は入室してください』とすすけた張り紙がある。
対応したのは、やはり先月の相談のときと同じ亀井静香氏。

風俗の届出は、警察OBの行政書士を通さないと細かな理由をつけて1回は突き返される、と以前に聞いたこともある。

突き返されたらどうしよう、と少し心配していた。
しかめっ面の亀井氏は、黙ったまま届出書を手にする。

書面を指で追いながら確認をして、不備がないとわかると、あっさりと「ええ~、では受理します」とダミ声を発した。

「届出書は、いつ位に受け取れますか?」
「ええ~、1週間後に来てください」
「そうですか、では、よろしくおねがいします」
「はい」

しかめっ面のまま亀井氏は答えた。
こういうところは、警察といえども、お役所的な手続きを感じさせるあっさりさだった。
さっさと帰ろう。

エレベーター前にいると「あれ?」と足を止めて「田中くん」と声をかけてきた署員がいる。

「どうも」と会釈をしたのは、摘発で逮捕されたときに顔を合わせた刑事の1人だろうと見当がついたからだったが、正直、どの場でどうしたのかまでは覚えてなかった。

それほど多人数いたのだ。
全員は覚えきれない。

しかし向こうは、自分の顔も名前も覚えていて声をかけてきているのだから、簡単にスルーするわけにもいかない。
届出をして、また店をやることにしました、と話した。

係長にも挨拶をと思ったけどお忙しいでしょうしと、慇懃無礼に取りつくろった。
幸い係長は不在とのことだった。

よろしくお伝えくださいと一礼して帰ろうとすると、なにか言いたげだった刑事は用件を切り出してきた。

「それでさ、田中くん」
「はい」
「歌舞伎町で、本番とか未成年の店は知らない?」
「いや、知らないです」
「知らないんだ。田中君だったら知ってるとおもったのに」
「ええ、案外と知らないもんですよ」
「そっかぁ。もし、あったら教えてよ。田中くんにとっても、そういう店がなくなればいいでしょ?」
「そうですね」
「謝礼もだすし」
「はい」
「まあ、1万ほどの謝礼だけど」
「そうですか。じゃ、あったら電話します」

了解はしたが、本番の店があったとしても、未成年の店を知っていたとしても、謝礼の1万が10万でも知らせるつもりはなかった。

競合店が減るでしょと、少しの親切も込められた申し出なのは感じたが、どこかで腹立たしさがあった。

軽くみられたのか、という腹立たしさだ。
取調べにすんなりと応じたからか。

警察には協力するつもりはないし、かといって違法店を悪くいうつもりもないし、商売敵だとも思ってない。

かといって歌舞伎町の優良店の味方をしてるつもりもないし、もちろん仲間だとも全く思ってないし、足を引っ張ることをしたくもないし、正々堂々と競争したいわけでもない。

断りの適当な理由が思いつかない。
どうして違法店を警察に知らせたくないのだろう、と考えながら新宿警察署を出た。

東京都公安委員会の印

届出書を提出してから1週間が経った。

もし、もしも。

ここまで準備しときながら、大金をかけながら、今日になって『受理できません!』なんてなったらどうしよう、と悪い方向へ想像が止まらない。

が、サンライズ中山は「大丈夫です」と言い切っている。
届出制は審査がない書類提出だけというから、今になってダメなんてことはないか。

でも心配だ。

くよくよしながらウチを出てからは、西向天神社で賽銭を投げて手を合わせてから石段を下りた。
新宿署の4階の生活安全課へは、その足で向かった。

心配をよそに、申請窓口の亀井氏からは、あっさりと届出書を受け取ることができた。
新たな届出書が交付されると思っていたら、提出した届出書が返ってきただけだった。

書面の右下に、届出番号の印と、東京都公安委員会の印が朱色で押されているだけ。

こうして受け取ってみれば、たわいもない簡単な届出書だが、ちょっとした感動交じりのうれしさがある。

今まで違法とされていたのが、一転して『東京都公安委員会』とやらのお墨付きの店となったのだ。

大袈裟ではなく、椅子を蹴って立ち上がって『オッシャーッ』と叫んでガッツポーズをしたい気分だった。

亀井氏にはお礼をいい頭を下げた。

「いやぁ、よかったですよ!」
「ん」
「ありがとうございました!」
「ん」
「真面目にやりますんで!」
「はい、よろしく!」

めずらしいことに、亀井氏がニヤリとした。
こんな可愛らしい亀井氏を見たのは初めてかもしれない。
実はいいやつかもしれないと感じさせた。

相談にきたときは「殺人がおきたらどうするんだ」と口走っていたが、あれは本気で女の子の身の安全だけを心配していただけなのかも。

あのときは『警察は敵だ!』と憤りがあったが、届出書を交付してもらったとたんに一転して警察が味方にも思えてきた。

係長にお礼をと嬉しい気持ちがさせたが、届出が済んだものなら後はやるだけだと、そのままエレベーターに乗った。

届出書の交付

スキップ交じりに新宿警察署の正面入口を出て、小躍りしながら前の横断歩道を渡った。

渡った先の右手には階段がある。
真っ直ぐ進めば歌舞伎町だけど、その階段を駆け上がりたくなった。

階段を駆け上がってからは、小走りは全速になった。
住友ビルの脇を走りながら、店に向かっている途中のオーナーと、店で待っている竹山に電話した。

新宿駅西口にかかるカリオン橋で大きく息を吸って、階段を駆け下りて、ションベン横丁の脇の小道を抜けて、地下道を抜けて、アルタ前広場へ出た。

晴天のスクランブル交差点には、多くの通行人が行き交っている。
いよいよ店が再オープンができると、ずっと小躍りが止まらなかった。

スカウト通りの人混みの中を歩いているとき、勝手にやりたいんだ・・・と突然わかった。

勝手にやりたいから、だったんだ。
1週間前の届出書を提出したときの帰りに、声をかけてきた刑事の申し出に協力するつもりがなかった理由は。

本番店だって勝手にやればいい、未成年の店だろうが勝手にやればいい、悪質店だって勝手にやればいい、自分らは自分らの考えで勝手にやる、客だって勝手にくる。

警察は勝手に捜査して勝手に摘発すればいいし、係長だって勝手に取り調べすればいいし、あの小山田光輝だって勝手に捜査資料をつくればいい。
そういうことなんだ。

店、いや、まだ事務所としておく。
事務所に戻り、竹山と小泉と西谷に届出書を見せた。

やはり、たわいもない簡単な届出書に、竹山も小泉も感動交じりの声をあげる。
壁面に掲示するために額縁が必要だ。

額縁なんてどこに売ってるんだと3人で言い合って、新宿3丁目の『世界堂』まで西谷が買いに走った。
オーナーも新宿駅についたと電話がきた。

とりあえず、ささやかに乾杯をしようとなって、缶ビールとつまみを買いに竹山と小泉が信濃屋に向かった。

– 2022.12.14 up –