騒がしい席とざわつきのある席
靖国通りを渡ってイタトマに行くが、店内は込んでいた。
騒がしい店内を見て、もっと静かな店がいいと思った。
「混んでるな」
「・・・」
「ビールの一杯でも飲むか?」
「・・・いいよ」
どこいこうか。
近くに日比谷バーがあるが、だいぶ静かすぎる。
ざわつきがある静けさが欲しい。
「西口のさ、京王プラザいくか?」
「うん」
「タクシーのろ」
「うん」
これで自分がトンチンカンなことを話したら、もう彼女はついてこないだろう。
あとワンチャンス。
これを逃したら次回はない。
東口のタクシー乗り場から、ワンメーターで手前で降りてから静かなビル街を歩くと、少なくとも自分は落ち付いてきた。
彼女は動かせる。
脱ぎに対しての引っかかりはない。
だた、なんといっていいのかはわからない。
これほど「バレが・・・」に拘るのは、以前の店でなにかあったのだろうか?
ちょっとだけ彼女の機嫌をとりながら歩くと、京王プラザのロビーだった。
ロビーを抜けて、エレベーターで42階のエントランスに着いた。
案内された席は、足元からの天井までの大きな窓に向かって、2人掛けのソファーが据えられている。
並んでソファーに座る。
足元から夜の都庁舎が迫ってくる。
ガラス1枚隔てた向こうには、風が強く吹いているようである。
「オレさ、千尋が風俗に抵抗あると思ってさ」
「・・・」
「バレが気になるっていうし、心の準備だってあるでしょ?」
「・・・」
「気持ち的にちょっとというのも、まあ、当然あると思うよ」
「・・・」
2人とも窓に引き寄せられる気がしていたのか。
話たのは、オーダーの後はしばらく黙っていてからだった。
「条件なのか、稼げる額とかね、業種なのか」
「・・・」
「あとは気分なのか、あの店の雰囲気がいやだったとかさ」
「・・・」
「やっぱ、田中はうさんくさいからとかさ」
「・・・」
「いきなりだったからさ、気分悪くさせたとも思う。それは謝る。お酒ぐらいしかオゴれないけど」
「・・・」
目の前の夜景は、一見すれば殺風景だった。
大窓いっぱいに隣の都庁舎が組み込まれているだけ。
「その、なんていうのかな。千尋のことを掴めなかったら、スカウトは諦めるよ」
「うん」
「バレのさ、なにが引っかかるんだろう?」
「わたしね」
「ウン」
「AVだってできるよ」
「え」
「ヘルスだって、なんだってできるよ」
「なんでも?」
「うん。・・・なんでも」
「ウン」
「だけどね、今の仕事辞めてからじゃないといやなの」
「ウン」
「それからだったら、バレても平気なの」
「え、バレても?」
「うん。ぜんぜん平気だよ」
「ウン」
ハッキリとした大胆な言い方だった。
「バレても平気」と口にした彼女の目にも口には、わずかに怒気がこもっている。
バレるのを前提に話している。
『お金のため』という言い訳を女性のほうから言わせる
曇ってきているのか、妙に暗い夜だった。
足元の先にある都庁舎には、疎らに明かりが灯いている。
「保母さんってさ、辞めることできるの?」
「ウーン」
遠望ではない夜景だったが、それはそれで飽きることがなかった。
暗い中で発光する建物を、お互いに見つめながら話を続けた。
「辞めることはできないな、さすがに」
「お父さんが許してくれない・・・」
このとき。
前々から感じていたことが、はっきりとわかった気がした。
彼女だけじゃなくて、多くの女のコが口にする「バレ」の意味するところが。
「お父さんか」
「お父さん、うるさいんだもん」
「仲悪いの?」
「口きいてない」
「そう」
AVに心が決まりかけている女のコが口にする『バレ』というのは、世の中の人とか、周りの人とか、将来の彼氏だとかいう漠然とした広範囲ではない。
『誰か』に限定されている。
言い換えてもいい。
『バレ』が漠然とした広範囲だったらスカウトできない。
『誰か』と限定されているようだったらスカウトできる。
彼女の場合の『誰か』とは父親で、そこを早い段階で探るべきだったし、できたのを逃していた。
そうすれば、余計な手間もかけずにスカウトできていた。
「まえ、サロンにいたときね」
「うん」
「どうしようもない人達ばっかりだっけど」
「うん」
「なんか、・・・すごく気が楽だった」
「・・・うん」
「ほんと、どうしようもない人達ばっかりだったんだよ」
「うん、そっか」
父親は厳しくて、普段は父兄に評判がいい保育士なのだろうな・・・と思っていた。
そんな女のコが、いきなりAV嬢になったり、風俗嬢になったりというのもありなんだろうな、と人ごとのように考えていた。
なんで、どうして、などの理由など明確にはわからない。
なにが、などの答えもすべてを知ることなど出来はしない。
このときは、そんな彼女の、なんというのか死角とでもいうのか、ただ死角があったと気づいただけだった。
「今の仕事がさ」
「うん」
「イヤでしょうがないとか、そういう訳じゃないでしょ?」
「うん。みんな、いい人たちだよ。子供も好きだし」
「いい保母さんなんだろうな」
「フフ」
「・・・」
「・・・」
ときどき会話が途切れた。
彼女に影のように存在していた死角と結びつけられるのは、やはりAVだった。
「バレでもいい」に合わせた怒気がこもっている目は、AV向きだった。
だからといって。
ここで自分から安易に風俗からAVの話に戻したものなら、ワンチャンスしかない彼女に “ ブレ ” を感じさせてしまう。
多くの女のコは、ブレは嫌がる。
彼女のほうから風俗を断らせてから、慎重にAVにひっくり返すのを意識していた。
「吉原にしようか?」
「ソープ?」
「うん」
「えー、コワーイ」
「なにいってんだよ。生娘じゃああるまいし」
「ひどーい」
「なんでもできる」と言った彼女の言葉が残っていたが、「ソープ」のイメージに彼女の顔は曇るという気がしていた。
しかし、ソープの拒絶はしない。
おどけた感じをするものだから、つられて自分は少し笑いながら返した。
「バシッと稼いでさ」
「でも、ソープは・・・」
「ヘーキだよ」
「ウン」
「だってさ、今の仕事辞めるわけだからさ」
「ウン」
そんなこといっても、注意してスカウトしなければ・・・という気が一方でしていた。
未だに、全く、彼女からはお金のことを確めてこない。
父親へのわだかまりの感情が先走っている。
両者の感情を決定的にこじらせるのに、お金という言い訳なしに介在してしまうと、なにかあったときにスカウトマンという悪者になってしまう。
「もちろん、ウチでたいんだろ?」
「ウン」
「吉原近辺には、ウィークリーマンション多いし、滞在ホテルも多いし」
「そっかぁ」
『お金のため』という言い訳を彼女の口から言わすまでは、このあたりの距離は保っておかないと、後々になって恨まれることもある。
いったん切り上げたほうがいいかな・・・とグラスを手にした。
話がブレるのを女性は嫌がる
それから彼女のことでお祈りもしてない。
3回ほど電話しただけ。
詳しいことは、なにも話してない。
次の約束のタイミングを測っただけ。
それに、彼女ばかりをスカウトしてるわけじゃない
そうこうしてるうちに気がつけば1ヶ月ほど経っている。
ああはいっていたけど保育園もやめれないだろうし、このままフェードアウトかな・・・とも考えあぐねていた。
彼女だって途中まではAVを考えていたのだから、最初からブレることなくAVで話を通せばよかった。
安易に風俗を振って、すぐに面接にいくのではなかった。
スカウト失敗した。
そんなことをやってるから先月はAVのスカウトがゼロだったんだ。
そんな反省もあった。
すると以外なことに、彼女のほうから電話があった。
「はい、田中です」
「わたし、千尋」
「どーも」
「あのね」
「うん」
「仕事ね、来月で辞めることにした」
「ほぉぉ。よくお父さん許してくれたね」
「ううん、言ってない」
「そっか」
「そしたら、どこか紹介してくれる?」
「うん、いいよ。面接だけでもいくか?」
「うーん」
自分は南口のAVプロダクションにいた。
折り返しがなかった女のコから思い出したようにして連絡がきて、面接に連れていき、宣材写真を撮っている最中だった。
「店の都合もあるしさ、吉原っていったことないでしょ?」
「うん」
「100件以上ババーっとならんでいるんだから」
「そうなの?」
「うん。すごいよ」
「へえー」
勝手にソープの話を進めた。
彼女は拒むことなく、電話の向こうでうなづいている。
「日曜日だったらどう?」
「日曜かぁ」
「道空いているからさ、オレ、クルマ回すよ」
「・・・」
「行って店を見て、まあ、遅くはならないよ」
「・・・」
「遅くなるとお父さんに怒られるからね」
「お父さんはいい!」
彼女に父親のことをいうと、彼女は口調を強めて言う。
父親と何かがあったのだろう、と想像できた。
だからといって、ここは注意しないと。
自分が彼女の父親を少しでも悪くいうのは、逆効果になる気がした。
「でもね」
「うん」
「ソープってどのくらい稼げるものなの?」
「あのね、ソープとAV事務所を両立させたほうが稼げる」
「そうなの?」
「AVやってるってだけで、お客さんが指名するから。それだったら15はいくな」
「え、1日で!」
「うん、現役のAV女優ですってのがいいんだよ」
やっとお金のことを、彼女のほうから訊いてきた。
途端に、話の流れがスカウトの方向になってきた。
もう決まりだろう。
お金の価値を教わってない女性
電話の向こうでAVにもうなずいている彼女だったが、はっきりと応えてきた。
今までにない声をしていた。
「AVもいいけど」
「おお」
「でも条件があるの」
「え、なに?条件って?」
「わたしの最初のお客さんになってほしいの」
「お客さんって・・・、ソープの?」
「うん」
「そ、れ・・・」
「お金はいいの、わたしだすから」
「で、も・・・」
「でないとAVはやらない」
このとき。
なんとなくわかった気がした。
1年も2年も前から積もっていた不思議さが。
なにが不思議かって?
だって、お金が必要でなくても、生活に困ってなくても、AVをやる女のコっている。
風俗はやらないけど、AVだったらやるって女のコもいる。
知性も、学力も、学歴もある女のコでもAVをやる。
ちゃんとして職業を持って、そつなく社会生活をしてる女のコでもAVをやる。
彼女のように良識もあって、優しい気持ちに溢れていて、人の気持ちがわからないでもない女のコでもAVをやる。
これらにはアンバランスさがないか?
不思議ではないか?
実際はスカウトするときには、不思議さは押しのけられていた。
不思議なままでも、首をかしげながらでも、スカウトは十分にできた。
彼女のスカウトで、それらの不思議さには、ひとつの共通点があるのに気がついたのだった。
お金の価値を教わってない女のコがスカウトできるようである。
それも、父親から教わってない傾向がある。
父親がいるいないは関係ないし、金持ち貧乏も、社会的地位のあるなしも、学歴も教養のあるなしも、人格の優劣も関係ない。
人並み以上にそれらを持ち合わせている父親であっても、以外とお金の価値を教えてないのだった。
お金の価値を教えるといっても、それはモノやサービスの値段でもなくて、貨幣や経済の意味でもなくて、一言でもない。
お金を稼ぐこともあるし、お金の使い方もあるし、それらの延長にある仕事のあり方や向き合い方にも及んでいる。
こういうお金は幸せになる、または不幸になる、こういうお金は喜ばれる、あるいは悲しむ人がいる、という価値観の部分も含まれる。
ここを教わってないと、AVで得たお金も、風俗で得たお金だって、お金はお金でお金でしょっていう話が通用しやすい。
お金なんだから、お金を払ってるんだから、という極論も通用しやすい。
これ以上は長くなるのでやめておくが、とにもかくにもだ。
その電話で、彼女はソープの面接の前にAVプロダクションにも所属することになった。
別室からは、撮影のストロボを焚く音がする。
どういうわけかスカウトというのは、いったん勢いがつくと3人目4人目と連続するものだった。
彼女で、今月のAVのスカウトは5人目になる。
電話で話しながら、ストロボを焚く音を耳にしながら、そんな足し算をしていた。
-2003.8.13 up –