供述調書には動機が必要


「そういうときには、なんといって話す?」

分厚いファイルを開いた係長は、資料に目を通している。
もちろん分厚いファイルは立てているので中身は見えない

「そうだな・・・」
「・・・」
「トモミは、お金で割り切るとはいってないな」
「・・・」
「シホも、そうとはいってない」
「じゃ、なんていってるんですか?」
「そこは教えられない」
「なんでですか?」
「ん・・・」
「いいじゃないですか、教えてください」
「というか、そこまでは書いてないんだよな」
「そうですか・・・」

トモミとシホは、お金でなかったらなんと思っているのだろう?
辞書がほしい。
『割る』とは、計算で使う割るで、物を分ける割るでいいのだろうか?
だったら人に対しては、使い方が違うのではないのか。
数字や記号が当てはめられないのだから。
「お金で割り切る」と強引に答えを迫るのではなくて、どうしても「お金で割り切れない」と残る部分の存在を示すのが、人に対しての本来の使い方ではないのか。
いやちがう。
国語の文法など、どうだっていい。
そんなの学者が研究していればいい。
今のことだ。
係長も首をかしげる。

「たとえば・・・」
「はい」
「店の女性の相談に乗ったりもする」
「ええ」
「当然、嫌なお客さんもいたりする」
「はい」
「もう、やりたくないってときもある」
「はい」
「そういうときには、なんといって話す?」
「お金で割り切るですか?」
「いや、田中君の言葉で」
「なんだろう・・・」
「・・・」
「がんばろう・・・、とはいいましたけど」
「ん・・・」

「お金で割り切る」と、自ら言いきる女の子は時々いる。
言いきる女の子に限って、どこか気負っている様子で、事後になると割り切れない部分が噴出してくるものだった。
気持ちに蓋をして溜め込んで、吐き出すこともできずに、自身でなだめようとする。
次第に本当の気持ちを見失う。
風俗で働いて疲れきっている女性に、よくあることだった。

風俗の女性が保護すべき弱者でないのなら

「お金で割り切る」とは、現場から離れたところにいる部外者が使う言葉。
当事者がそんなこと言えば、女の子を無駄に疲れさせてしまう。
そばにいる者としては「お金で割り切らなくていい」と言いたい。
お金を稼ぐのは当たり前のことだから。
当たり前のお金に、ずうずうしく割り切らせてやる必要がない。
だから女の子に「お金で割り切る」など言ったことがない。
一方では、係長の言わんとしたいことは伝わってきてた。
動機が必要なのだ。
今回の事件で、風俗の女性が被害者とならないのなら、保護すべき弱者でもないのなら、この調書には動機が必要だった。
そういうところでいうと「がんばろう」という言葉は動機とはなりずらい。

現金
『お金のため』が一番わかりやすい動機

女性が風俗で働く動機は “ お金のため ” であって、店側も “ お金のため ”と管理をしていた。
お互いに “ お金のため ” と割り切っていました。
そう書くのが簡潔でもあるし、誰にとっても理解しやすいし、一般的な正解でもあるのも十分にわかってもいる。

「係長」
「ん」
「書きやすいように書いてもらっても、かまわないです」
「・・・」
「署名も指印もするんで」
「・・・」
「細かいこともいわないですし、あとでゴチャゴチャいいませんし」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「あのな、田中君」
「はい」
「俺は、本当のことを知りたい」
「・・・」
「こんな調書なんて関係なしに知りたい」
「・・・」
「警察官の渡辺じゃなくて、ひとりの男として本当のことを知りたい!」
「・・・」
「男としてだ!」
「・・・」
「でないと、これ以上は書けん!」
「・・・」
「書けんぞ!そんな調書!だったら調書とるのをやめる!」
「すみませんでした」

血色ばんで机上にペンを投げた係長からは、書くことに真剣なのが伝わってきた。
書くことを簡単に言ってしまった。
謝ったのは、半分は自分に対してである。

動機はお金のため・・・でいいのか?

書くことを簡単に言ってしまった。
自分だって日記を書くだけでも気力も体力も大きく減る。
書くこととは、コーヒーでも飲みながらのんびり座ってただ指先を動かしているだけではない。
気分よく書けることなどほとんどない。
根気がいる重労働なのだ。
係長が調書を書くというのは、重労働なのはわかっていた。
今までの自分の周囲には、それが重労働だということも知らずに、文章を書くことを小馬鹿にしてしまうタイプの人間ばかりしかいなかった。
だから日記の存在は誰にも話したことがなかったのだが、同じことを係長に対してしてしまった。
それに、興味がないこと、納得できてないこと、本心でないこと、それらを書き続けるのは自分にとっては苦痛でもあった。
調書なんて関係なしに知りたい、1人の男として本当のことを知りたい、という係長の言は信じれた。
謝ってからは目線は下に落ちた。
係長は、机上に投げたペンを手に取った。
目線を落としたまま、なんて言ったらいいのか考えていた。
気持ちが鬱々としてきそうだったので、今度は上を向い目を閉じて考えた。

「さっきのな・・・」
「はい」
「シホみたいに、怒ってばかりいる女の子もいる」
「はい」
「でもな、トモミみたいに、泣く女の子もいる」
「はい」
「そういうとき、女の子が泣いているとき、なんと言う?」
「なんと・・・、んんっ・・・」
「田中君の言葉で」
「んんんっ・・・」
「・・・」
「んんんんんん・・・」
「じゃ、どういうふうに思う?」
「強いなぁとおもいます」
「女の子が泣いていてもか?」
「はい」
「うーん・・・」

答えになってない。
目を閉じたまま、自分だけがおかしいのかとも考えた。
やはり「お金で割り切る」でいいのか?
ひょっとして女の子は「お金で割り切る」という言葉を、ごまかしなどと感じてないのだろうか?
もしかしたら、世の中の大多数は「お金で割り切る」という言葉が腑に落ちているのだろうか?
自分は「お金で割り切る」とは思ってなくても口にしたことがなくても、他人から見ればやってることが「お金で割り切る」と同じなのか?
さっき自分は、お金を稼ぐのは当たり前のことだから、当たり前のお金にずうずうしく割り切らせてやる必要がないと書いたが、これがすでに「お金で割り切る」という状態かもしれない。

女性の管理など一言でいえるほど簡単にはできない

目を閉じたままでいると、係長がバインダーにメモを書き込んでいる音が聞こえた。
引っかかっているのは、あの真由美だってヘルスからソープで働かせたが、AVだってさせたが、その後のスカウトでAVプロダクションには100名以上は連れていったが、風俗店には300人、いや400人は面接に連れていったが「お金で割り切る」なんて一度も言ったことがないという事実だった。
それも、もしかすると「お金で割り切る」と話していたなら、あの真由美とはもっと良好な関係が続いたのか?
スカウトだって、2倍も3倍もできていたのか?
そうとも思えないのも確かだった。

「田中君の経験が、そうおもわせているのだな・・・」
「・・・」
「泣いている女性がかわいそうだというのが、麻痺したのかもしれないなぁ・・・」
「ちがいます」
「それも、ちがうか?」
「はい」
「どこがちがう?」
「女性だから・・・」
「うん」
「かわいそうだ、というのは・・・」
「うん」
「女性は弱いと、どこかで見下しているとおもいます」
「そうか?」
「男は強いからという、上から目線だとおもいます」
「なるほどな」
「・・・」

そうだ。
女性は強いんだ。

「うーん・・・、女性を対等に見てるってことか・・・」
「・・・」
「だから、管理してるっていう意識が薄かったということかな・・・」
「ちがいます」
「ちがうか?」
「対等ではないです」
「対等じゃない?」
「女性のほうが上です」
「上?」
「男性よりも、女性のほうが強さがあります」
「精神的にってことか?」
「・・・」

精神的にか。
女性の強さに比べたら、精神的にというのは上辺のことの気もする。
女性にだけにある芯からの強さってある。

「ちがいます」
「どこがどう、女性は強い?」
「・・・」
「・・・」
「元からです」
「もと?」
「生まれながらです」
「・・・」
「・・・」
「・・・」

バインダーにメモを書き込んでいるペンの音がする。
目を開けた。
係長はバインダーのメモを読み返していて、わずかに頷いている。

「一理あるな」
「・・・」
「なるほどな、一理ある」
「・・・」
「一理あるぞ」
「・・・」
「ん、女性は強い、生まれながら強い、管理するまでもないってことか・・・」
「ああ、そんなとこです。お金で割り切るなんて、今さら言う必要がないです」

女性の管理など、口でいうほど簡単にできるものではない。
そりゃ、必死こいてやれば、管理らしきことは2人か3人にはできるが、5人や10人はできっこない。

「女性は、そんなバカじゃないです」
「んん」
「しっかり考えているんです」
「んん」
「それに、言ったことはしっかりやるし、決められたことは守るし、がんばり屋だし、働き者だし、あれこれ指図しなくても任せとけばいいんですよ。頼もしいものです」
「んん」
「1回や2回や、3回や4回くらい泣いたって、どうってことないですよ。そりゃ、泣きますよ。風俗の女の子って優しいんで。でも、そんなときは、しっかりやれって背中を叩いてやればいいんです。がんばれって喝をいれればいいんですよ」
「んん」
「女性は気合だって根性だってしっかり持ってます。度胸だってあります。勇気だってあります。オレよりもよっぽどあります。だから恐ろしいんですよ」
「んん」
「そうおもっているのが、麻痺してるってことですか?」
「そうではないな」
「ですよね」
「うん、そのまま書こう」
「いいんですか?」
「なにがだ?」
「そういうこと書いても?」
「田中君は、本当にそうおもっているんだろ?」
「はい」
「だったら、そう書こう。俺がどうだとか、人がどうだとかってのは関係ない」
「はい」
「良いも悪いも関係ない」
「はい」
「本当におもうことを書けばいい」
「はい」

係長はバインダーのメモをまとめはじめた。
線を引き、印を入れている。

刑事とは文筆家でもある

バインダーのメモを俯瞰している係長は、一気に頷きが増えてきている。
「今日は面接だけ書いて、明日だな、明日、続きを書こう」と1点を見つめてつぶやいている。
書く着想を得たようだ。
刑事とは、文筆家でもあるのだ。
係長はボールペンを立てた。
ガシガシをした筆圧で、調書の続きを書きはじめた。
ときどき質問もしながら、確めながら、トモミの面接と同様にシホの面接も書いていく。
夕方になって面接の部分を書き終えた。

<菅原さんの面接が終わってからは、出勤の予定をいれました。出勤してきた菅原さんに、以前にお話した方法で、お客さんを案内したのです。そうして、菅原さんは、お客さんに対して性的サービスを行なったのです。菅原さんからは、不満の声はありませんでした。菅原さんに限らず、店の女性に対しては、親切に接したつもりです。怒ったりして、無理やり性的サービスをさせたりはしませんでした。お金を貸し付けて、出勤させたりもしたこともありません。今日はここまでの話にします。>

繰り返すが、文字を書くというのは重労働。
興味がないこと、納得できないこと、本心でないこと、それらを書き続けるのは苦痛ですらある。
係長の書く姿を目にして、今まで、いちいち、これが取調べの手口かもと斜に構えていたのは間違いだったとも思い知らされた。

– 2021.1.13 up –