歌舞伎町は危険か?


コーヒーとコーラが効いた

この日も官本の小説を読んでいた。
すると「332番、調べ」とやすしから声がかかる。

なんの調べだろう。
5日ぶりになる。
検事調べで岡田の件があったので、急転したのかと少し不安にもなる。

場外に出ると、係長が1人で立っていた。
取調室に向かう途中で「たまには外に出ないと気が滅入るだろ?」と笑いかけてきた。
調べらしい調べではなさそうだ。

パイプ椅子に座ると、係長は手錠を外したが、いつものように手錠の輪を椅子に連結することなく、腰縄の端だけを窓枠に結わえてから「コーヒー飲むか?コーラにするか?」と訊いてきた。

どちらも捨てがたい。
迷っているのがわかったか「じゃあ、両方持ってくるわ」と室外にいき、ホットコーヒーとコーラが注がれた紙カップを両手に戻ってきた。

砂糖のスティックを一掴みと、ミルクのポーションも一掴みポケットから取り出して机上に置いた。

自分はすぐにホットコーヒーに飛びついた。
なんのコクもないコーヒーだが、カフェイン中毒の自分には効いた。
すぐに飲み干した。

「コーヒーもコーラも飲んでないだろ?」
「はい」
「そうだ、コーラ、ペットボトルで持ってくるか?」
「おねがいます」
「コーヒーも、もっと飲むか?」
「おねがいします。たくさん飲みたいです」
「じゃ、もっと、持ってくるな」
「さーせんっ」

コーラの1.5ℓのペットボトルがきてからは、遠慮なくじゃんじゃんと注いで飲み干した。

かまってられない。
今だったら、カツ丼を出されたものなら、豚のように平らげることができる。

「検事調べはどうだった?」
「岡田のこと、つっこまれました」
「ああ、そうか」
「いいんですか?」
「ああ、いい」

係長は、面白くない口ぶり。
ある意味、刑事と検事は対立しているのか。

「係長の調書の通りに答えましたよ」
「なんだ、気でもつかったのか?」
「いちおう。だし、検事ってやなヤツですし」
「はははっ、そうか」

検察には、警察に対して捜査指揮権があると六法にはあるから立場は上なのだろう。
あの検事の偉そうな態度は、警察にも向けられるのだろうなとは想像がついた。

風適法違反の処分方針

捜査は完全に終了したとのこと。
ということは、岡田の件もこれ以上はなにもないのか。
よかった。
それだけが気になっていた。

処分方針は、はっきりとは言わないが、20日勾留の罰金で大丈夫という含みがある。

とにかく無事に済んだ。
そりゃ、警察だって検察だって忙しい。
いつまでも、1件の違法営業の風俗店にかまってられないのだ。

あとは出るだけだ、と楽しい気分でペットボトルのコーラを紙コップに注いでがぶ飲みした。

「田中くん」
「ええ」
「出たらどうするんだ?」
「うーん、まだ、くわしくは未定です」
「また、同じ営業はしないだろうな?」
「ええ、しません。というよりしたくてもできないですよ」
「そうか」
「はい。もう、以前のやり方は通用しないってことですよね?」
「そうだな、もう通用しないな」
「それが、よくわかりました」

もし、オーナーが今までと同じように、違法営業店を再オープンしようとするなら、もう、誤魔化しというか大人の事情は通らないからと止めるつもりでいる。

そうすると、今の集団は解散となるのかもしれない。

「やるとすれば、条例を守ってやればいい」
「だけどなぁ」
「なんだ?」
「だって、東京都の条例では、風俗店をやっていい地域は吉原のみって決まっているじゃないですか?」
「そうだな」
「ていうこうとは、今から吉原のソープに参入するってことですか?いくらなんでもハードル高くないですか?」
「届出をしたデリバリーヘルスがあるじゃないか」
「やっぱり、そうなりますよね」
「歌舞伎町限定のデリバリーヘルスだったらいいんじゃないか?」
「うーん」
「警察だって、風俗をやってはいけないっていってるんじゃない。皆、生活があるからな」
「はい」
「ルールを守ってやりましょうってことだけなんだぞ」
「ええ」

もう一度、店を再オープンしたいが、オーナーが解散を口にすれば手仕舞いとなる。
それはそれで残念なのが本心だった。

「自分としては続けたいですね」
「うん」
「まあ、そうでなくても、なにかボランティアみたいなこともしたいなっておもいました」
「え、ボランティアってどんなだ?」
「いやいや、そんな大したことはしないですけど、小さなことです。ゴミ拾いしたりとか」
「そうか」
「小さなことですけど、なにかはします」
「そうか」

やったことの反省などしてないし、ボランティアには興味がない。
しかし留置場を出たら、小さなことでも良いことをしたいとの大雑把な気持ちは沸いていた。

性善説

不意に逮捕された者、拘置所へ入り裁判を受ける者、そこから刑務所送りとなる者。

それらの人と話してみて、自分はそれほど悪いことはできないなと、・・・もっとも、何を以って悪いこととしてるのが全く不明なのが独善すぎて問題ではあるが、とにかくも、芽生えた善良さらしき気持ちを確かめたくて、ボランティアなどと口から出てしまったと思われる。

「ボランティアか。いや、そうおもってくれたなら、いちばんよかった。うん、よかった」
「そんな、たいそうなことはしないですよ、小さなことです」
「でも、よかった。日本の法律はやさしいからな。性善説ってあるだろ?」
「ええ」
「罪を憎んで人を憎まずってな。どんな悪いことした人でも、話せばわかるってのがあるんだな。やっぱ、同じ人間同士、話せばわかる」
「・・・」
「ほら、アレ、アレ知ってるか?」
「いや、知りません」

ホットコーヒーは、トレーに5カップある。
自分は頷いてはいたものの、これはブラックで、こっちは砂糖あり、これはカフェオレ風にと配分をして飲もうとしているのに気が向かっていた。

「外国って、性悪説なんだってな」
「へぇぇぇ」
「人間って、元々が悪いんだっていうところからきてるから、えらい厳罰になるだろ?」
「ええ」
「懲役300年とかな。あんなもん、意味わからんな」
「ええ」

ボランティアをすると言ったからなのか。
決して係長のご機嫌取りをしたのではないが、やけに上機嫌となっている。

ニューヨークをモデルにした歌舞伎町浄化作戦

留置場では温かいものが飲めないので、久しぶりのホットコーヒーが染みわたる。

コーヒーに夢中になってる自分に、わいわいと話してくる上機嫌な係長に訊いてみた。

「しかし、いつまで浄化作戦って続くんですか?」
「しばらくは続くな・・・」
「早く終わってほしいです」
「あれってな」
「はい」
「ニューヨークをモデルにしてるらしくてな」
「ニューヨーク?」
「ほら、すごく治安が悪かっただろ?ニューヨークって」
「みたいですね」
「地下鉄なんかスプレーの落書きでいっぱいだったりしてな」
「ああ、だいぶ前にニュースでみたことあります」
「それなんかをな、徹底的に取り締まったら治安がよくなったんだってな」
「・・・」
「だから、歌舞伎町も徹底的に取り締まるっていうんだよなあ・・・」
「・・・」
「・・・」

だめだぁ、係長!
そりゃ、へんだよ!とビシーッと断言してやりたい。
どうせお偉いさんのお説だろうけど。

歌舞伎町は歌舞伎町で歌舞伎町だし、ニューヨークはニューヨークでニューヨークだし。
あっちとこっちじゃ、治安のレベルが違いすぎるし。

あちらさんは、機関銃を乱射するのもいるし、放火もするし、略奪もするし、ついでにレイプするのもたくさんいるし、ジャンキーだってうようよいるんだから。
行ったことないから知らんけど。

それにさっき、日本は性善説だって悦に入ったばかりなのに、性悪説の総本山のニューヨークを手本にしてどうする。

とはいっても、そういう係長も徹底的に取り締まると口にしたときは少しばかり首をかしげていたので、ニューヨークをモデルがしっくりとはきてない様子ではあった。

そんな生半可な理解で、よくも摘発なんてしてくれちゃったものだ。
まあ、コーラとコーヒーくれたから許す。

「これで、家族とかカップルで食事にこれるような、安全な歌舞伎町になったらいいなってね」
「・・・」
「浄化作戦で目指すところは、そういうところなんだよなぁ」
「・・・」

背もたれにうつかって、遠くを見る目になっている。

ロマンチストな係長に、今でも歌舞伎町は十分に安全だしと、ビシッと言ってやりたい。

歌舞伎町は危ないから食事にいけないなんて、飛行機は墜落するから乗りたくない程度の話で、来ない人はなにを言っても来ないのだから、無理して来させなくてもいいじゃないか。

これ以上、治安回復だの浄化作戦だのどうこうしても、歌舞伎町のイメージが輪にかけて悪くなるだけだっていうの。

「田中君は、そうなるとおもうか?」
「はい」
「そっかぁ、田中君がそういうのだったら、なるかもしれんな」
「ええ、なりますよ」
「そうか、はははっ」

あきらめたほうがいいですとは言えず、気を遣って「はい」と答えてしまった。
単純そうに係長は笑っている。

すかさずコーヒーのお代わりを言ってみると、快く応じてくれた。

前職持ち

係長の単純そうな笑い顔で思い出した。
調べのとき、途中で終わっていた雑談があった。
係長が警察官になったいきさつだ。

それは中学生のとき、喧嘩でお世話になったお巡りさんに「そんなに元気があるなら警察官になれ!拳銃も撃てるぞ!」と説教されて「なる!」と約束したのがきっかけだったと聞いていた。

警察官
「そんなに元気があるなら警察官になれ!拳銃も撃てるぞ!」

そんな単純なきっかけで、警察官になる人がいるんだと自分は驚いた。

警察官になる人というのは、もっと正義とか社会秩序だのいう理想があってなると思っていた。
続きを訊いてみた。

「でもな、お袋が大反対してな」
「なんでですか?」
「警察に入って拳銃を撃ちたいっていったら、それだけはダメだって」
「動機が不純ですね」
「うん」
「うんって、そこだけ可愛くいわないでください。そりゃ、お袋さんも心配しますよ」
「だからな、俺、高校卒業してからガントリーに乗ったんだよ」
「ガントリー?」
「あるだろ、港で。コンテナ吊るす大きいクレーン」
「ああ、あのキリンみたいなヤツですね?」
「おう、あれに乗るのが夢だったからな、子供のころから」
「あれ、いいですね、グッとくるものありますよ」
「5年間乗ってたぞ」
「やるじゃないですか!」
「はははっ。でもなぁ、やっぱ警察官にもなりたくて、俺、前職持ちで警察に入ったんだよ」
「ほぉぉ」
「俺、今でも、大型クレーンの免許を持ってんだぞ。ちゃんと更新してな。いつでも警察をクビになってもいいようにな」
「案外としっかりしてますね」
「だろ?」
「やっぱ係長って・・・」
「なんだ?」
「もしかして、警察に嫌気がさしてるんじゃないんですか?」
「まあな」
「やっぱり」
「でも、勉強もちょっとはしてな、なんとか昇級試験も通ったしな。もうあとは定年までおとなしくやるだけだ」
「やっぱしっかりしてます」
「定年後に雇ってくれるところがあったら、もう一度、ガントリー乗ってもいいんだよなぁ・・・」
「乗ればいいじゃないですか!」

警察学校のことや交番勤務の巡査の頃の話もする。
刑事として関わった事件のことは、なかなか言わない。
守秘義務があるし、墓場まで持っていかなければならない話もあると拒む。

そういうとこだけは真面目だった。
話すことは、自身のことで全てが時効となるものだった。

刑事に賄賂

コーヒーは全部を飲み終えた。
コーラはペットボトル全部を遠慮なく飲み干した。

「まあ、田中君」
「はい」
「まだ、来年の3月で移動にならなかったら、しばらくはここにいるから」
「はい」
「なにかあれば来ればいい」
「はい」
「でも、悪いことして来いっていってんじゃないぞ」
「はい、わかってます。・・・でも、係長」
「なんだ」
「そういうときって、現金っていうか、まあ、現金はまずいだろうから商品券とか、なにか包んできたほうがいいんですよね?」
「ばかやろ!そんなことしたら、俺がクビになるだろ!」
「え、でも、このまえ、手渡すんじゃなくて、目の前で落としてくれって、落ちているものは拾うっていってたじゃないですか?」
「冗談にきまってるだろ!」
「ええ、冗談だったんですか?」
「あたり前だろ!」
「本気っぽかったけどなぁ」
「冗談だからな」
「オレ、真に受けましたよ、そうやるものなんだって、みんなそうしてるんだって」
「真に受けるな、冗談だ。やってるヤツなんていない」
「ほんとに?」
「今は、問題をおこしたくないんだよ、俺は」
「じゃ、手ぶらでいいですか?」
「おう、そうしてくれ」

生活安全課は、刑事課と比べるとだが、わりかし丁寧に被疑者を扱っているように感じていた。
生業がらみの事件を扱うからか、いずれまた顔を合わす機会もあるからか。

「じゃ、あと、もうちょっとだ」
「はい」
「がんばれ」
「はい、ありがとうございました」
「よし、じゃ、いくか」
「はい、ごちそうさまでした」

したのは雑談だけだった。
手錠をして立ち上がったときに気がついたのだけど、窓枠に結わえられていた腰縄の端は、簡単にちょうちょ結びしてあるだけだった。
それを適当だとは感じなかった。

「罪を憎んで人を憎まず」とは本心だろうか?

留置事務室の席には部長は不在だった。
留置場の鉄扉の脇にある呼び鈴を押すと、覗き窓が内側から開いた。

係長が「田中、戻します」と覗き窓ごしに声をかけると「解錠準備異常なし!解錠!」と向こうにいた部長の声がして鉄扉ががちゃりと音を立てた。

同時に後ろには、珍しく調べがあった205番が担当の刑事と姿を見せた。

被疑者の鉄扉の出入りは、順番に1人ずつと定められているようだ。

こんなふうに出入りが重なる場合は、連行している刑事が後者の被疑者を壁に向かせて待機させるのだが、すでに後者の205番は「また再逮ですかぁぁ。もう、かんべんしてくださいぃぃ」とよろけて、係長も交えてその場の笑いを誘っている。

そこへ部長が鉄扉を開けて顔を出して「あ!やっぱり異常ありだ!まっ、いっか。2人一緒に入れよ!」とひょいと腰縄を受け取る。

場内に入る前に、係長にお礼をいうと「しっかりやれよ!」と手を挙げた。

鉄扉が閉まると、メガネさんが「おかえり!」と腰縄と手錠を外しにかかる。

係長にしても井沢くんにしても、留置係の部長もメガネさんも、やすしもスポーツ刈りもにしても、・・・チャッキーは別だが病んでいるのでいいとしよう、ともかくそれぞれ顔を合わせているうちに陽気でおバカな面を素で見せていく。

警察官には気のいい人が多いのだろうな、とは感じさせられた。
相手が犯罪者だと忘れてしまっているようである。

相手は憎むべき犯罪者、ではないのか?

テレビ番組の『警察24時』では、そうナレーションに連呼されながら警察官は犯罪者を検挙しているのに。

係長が言っていた「罪を憎んで人を憎まず」とは本心だろうか?
誰もが元々は善人であるという性善説で「どんな悪いことした人でも話せばわかる」と本気で思っているのだろうか?

もし、もしも、現場の最前線で警察官をしながらその心境だとすれば、相当の人格者だ。

普通は、罪も憎んで人も憎むのではないのか?

少なくとも自分はそうだ。
よくわからないが、その人達が警察だという態度を示すときには、何を考えているのかわからない不気味な目の表情になるのがつくづく滑稽でもある。

バカにしているのではない。
すごくいい意味で。

– 2021.07.05 up –