刑事は捜査情報を洩らすのか?


留置場の散髪

房内の外廊下の向こうの窓は明るい。
もうそろそろかな・・・と天井を見ていると「きしょぅぅぅ」との号令がかかる。

同時に蛍光灯が全灯になった。
皆は競争して飛び起きて「おはようございます」と布団を三つ折にする。

解錠となったら倉庫に布団を運び入れて、房内の掃除と洗面。
房にもどると着座して点呼をとって朝食。

朝食が終わると運動。
房にもどると、留置係から「このあと散髪があるからな」と声がかかった。

やっと髪が切れる。
整髪料が使えないので、髪を短かめにしたくてたまらなかった。

散髪は不定期の有料。
留置係に申し出て、希望者が3名ほどになると、床屋が道具一式を持って留置場まで出張してくる。

料金は3500円。
出張費込みと留置係からは説明された。

支払いは、留置金から引かれる。
順番がきて房から出た。

運動場の真ん中には、折りたたみの椅子がセットされていた。
椅子に座ってから知ったのだが、オーダーできるのは角刈りか坊主のみ。

仕方がない。
角刈りか。
気が進まないままの角刈りだったが、ぼさぼさのザンバラ頭よりは快適になった。

所有権放棄書の作成

取り調べがなくなると、1日中を房内で過ごさなければならない。
接見禁止で手紙も面会もないのは、楽しみもないものだった。

それでも多くの留置者が、たとえ結果が最悪になったとしても、先が見えて気が楽になったと表情が明るくなる妙なときでもあった。

午後になり「332番!調べ!」と留置係から声がかかり、読んでいた官本を手渡して房から出た。

場外への鉄扉が開くと、係長が「おっ、頭、刈ったんだ」と言ってきた。

井沢君はいない。
係長ひとりだけだった。

廊下を歩きながら「お昼、黙祷したか?」と係長が言う。
今日が8月15日の終戦記念日だと改めて知る。

昼食のときには、ラジオのNHKニュースが流れるのだが、朝に放送された番組を検閲した録音放送なので、正午の黙祷のサイレンは流れなかったからだった。

取調室ではなくて、5階まで階段を上がる。
入室したのは生活安全課だった。

お盆休みなのか、署員は誰もいなくてガランとしていた。
奥にあるファイルが乱雑に積まれた机が、係長の机だった。

パソコンなどない。
書類がとじられた束が雑に積み重なってもいて、古いものになると煙草のヤニでくすんでいる。

隣の椅子に座り、手錠を外して、腰紐の端は適当に結わえられた。
係長は椅子の背もたれに仰け反り、煙草をくわえてライターを擦った。

表情が伸び伸びとしている。
調書が完了したからだろうとわかった。

取り出したのは『所有権放棄書』だ。
摘発の押収品の中で、返却してほしい物品、廃棄でかまわない物品の確認をする。

確認しながら『所有権放棄書』を作成することになっていた。
《以下の目録の所有権を放棄します。》と記載してあり、あとは物品の記入欄となっている。

押収した物品を係長がひとつひとつ確かめて、捨てても構わない物品を記入していく。

空の封筒1枚から、走り書きしたメモ1枚などは現物を見せたりして、見なくてもわかる物品は口頭で伝えて確かめていく。

「けっこう、細かいですね」
「そうだろ」
「こんなメモ書きなんて、あったことも忘れてるんで、確かめなくても捨てでいいんですけどね」
「そうはいかん」
「ですか」
「メモ1枚も財産だろ。国ってのは処罰もするが、一方で国民の財産も守らなくてはいけないからな」
「へぇぇ、やっぱ係長って、いろいろ法律を知ってますね」
「当たりまえだろ」

ほとんどが高価ではなくて、今後も使いもしなくて、捨てても構わない物品。

バスタオル1枚やローションの容器などは使えるにしても、返却されて持って帰るのが手間になる。
ほとんどが捨てになって、確認はスムーズに進んでいく。

「ノートパソコンは返してください」
「ああ、パソコンな」
「はい」
「今回の事件に関するデーターは消去して返却になるぞ」
「わかりました。あとは、家宅捜査で押収した日記はぜったいに返してください」
「ああ、あの日記な」
「え、知ってんですか?」
「あぁ、よく書けていた」
「ええ!読んだんですか?」
「うん」
「うんって、捜査とは関係ないじゃないですか!」
「いや、ある」
「まあ、いいです。日記は絶対に返してください」
「パソコンも日記も検察にあるから、そっちに取り行くことになるぞ」
「はい、わかりました」

日記を読まれたのは恥ずかしい。
誰にも、智子にさえも、秘密にしている日記なのに。

警察官が定年退職してから

机の上には、書類の束が無造作に積まれている。
捜査情報は洩らしてはいけない、と取調べのときに係長が言っていたのを思い出した。

「やっぱり、捜査情報を流したりってあるんですか?」
「ああ、ときどき新聞に載ってるな」
「係長は流さないんですか?」
「はははっ。そりゃ、カネつまれたら流すよ」
「やっぱり」
「でもなぁ、100万とか200万じゃ、ダメだな」
「えええ」
「1000万だな」
「1000は払えないですね」
「いや、500でも受け取っちゃうな」
「500ですか・・・。それって300じゃ、どうですか?」
「うーん。やっぱ、受け取っちゃうな」
「じゃあ、250だったらどうですか?」
「うーん、250かぁ・・・。受け取っちゃうかもなぁ・・・」
「すごいじゃないですか!」
「はははっ、そうか」
「じゃあ、210だったらどうですか?」
「受け取っちゃうかもなぁ・・・」
「やったじゃないですか!」
「はははっ。そういうもんだろ?」
「すごいです!」
「俺だって、いつ新聞に載ったり、チョウメン(懲戒免職)になるかわからんよ」

冗談なのだろうけど、少しは本気なのだろう。
200万300万に見合った捜査情報なのかはわからないが。

賄賂の現金
捜査情報の提供は交渉の余地ありなのか

係長はのびのびと話している。
やはり書くということは重労働だったのだ

「でもな、今は問題を起こしたくないな。定年きても働かなくちゃだしな」
「定年きたら何をやるんですか?」
「んん、俺の先輩が競馬場の警備員をやってるからな、そこかな」
「え、警察のOBって、外郭団体の理事にでも天下りするんじゃないんですか?」
「むりむり、そんなの」
「パチンコ店の顧問とか。非常勤で、給料たくさんで。どうせ甘い汁を吸うんですよね?」
「ばかやろ!」
「すみません、言い過ぎました。でも変な話、退職金だってたくさんでるってニュースでいってましたよ」
「なにいってんだよ、今は年々と削られているんだぞ」
「ほんとですか?」
「ん。昔はな、署長をやれば家1件建つっていわれたけど、今は生活ができない」
「それもさびしい話ですね」
「元警察官が事業をやっても、だいたいが失敗するしな。成功してるのなんて聞いたことがない」
「つぶしがきかないってやつですか」
「ああ、そんなもんだ、元警察官ってのは」
「むずかしいもんですね」

向こうの入口から2人が入室してきた。
椅子の背もたれにに仰け反っていた係長は姿勢を直して、入室してきた2人に目礼をした。

自分も背筋を伸ばして、手は足の付け根に置いた。
ファイル立てを壁にして、係長が小声で「おい」と手帳を広げた。

「この前な」
「はい」
「歌舞伎町2丁目の幸永の話しただろ?」[編者註47-1]
「ええ」
「でな、ホルモンでな、ほかとはちがう、なんとかってのがウマイって言ってただろ?」
「はい」
「脂がのってるってやつ。それ、なんだったけ?」
「マルチョウ、ですか?」
「ああ、そうか。マルチョウな。わかった」

係長は頷いて、手帳になにやら記入をした。

まさか、この人、ホルモンが気になっていたのか?
手帳にメモするほどのことなのか?

驚いていると、係長は声を大きめに「明日は、検事調べだな・・・」と誰ともなしに言い、おもむろに煙草を消して「じゃ、田中君、戻るか」と深刻そうな顔をして席を立った。

自分も「はい」と神妙に立ち上がった。

留置者の序列

まだ午後を半ば過ぎた頃だった。
取り調べがなくなると、いきなり退屈だった。

房の中で、座るか寝転がるかしてるしかない。
房内では、序列が自然発生する。

序列上位の基準となっているのは、留置されている日数の長さのようでもある。

そこに落ち着き具合が加算される。
留置の初日にうなだれている者、泣いたりする者、不安がっている者などは序列が下がる。

あとは不潔な者は序列が下がりまくる。
序列の主席は205番。
食器口の前が定位置。

20日ごとに再逮捕が繰り返されていて、すでに3ヵ月目の留置となっている。

次席が82番。
留置は6ヶ月目となっている。

82番は見たところ50代前半で、険しい顔面で片腕といった漫画でしか見たことがない風体をしていた。

片腕でも食事や着替えなどは器用にこなして、ときどき205番が手伝っている。

留置日数が最も長い82番が序列の次席となったのは、片腕だからのようである。

205番と82番は顔面がすでに暴力を帯びていて、Tシャツからは和彫りの刺青が見えていて、刑務所確定でも落ち着きがあるのが序列の上位を不動にしていた。

2人とも、その業界を通じての遠い知り合いらしい。
ときどき、その業界の内輪話を話し込んでいるが、ぼそぼそ声で他人には聞かれないようにしていた。

判決が確定するまでは、秘密が漏れないようにしてるのが伝わってきた。
その業界の話題も一切出さない。

関わりを明かそうとしないのは、205番の性格からして単に独居房が嫌なだけかもしれないし、なにかと不利益があるのかもしれないが、実際はどうなのかわからない。

それぞれの被疑事件は、座談会で明かされていく。
205番は銃刀法。

武器の管理をしていた、とまでしか話さない。
82番は覚醒剤。

営利でいじっていた、とまでしか話さない。
2人とも新入がくる度に事件を披露するわけにもいかないだろうし、こちらも訊きづらいので、それ以上は詳しくは知らない。

序列3位といったところの273番は著作権。
40代の小太りの眼鏡。

社長らしい。
中国から輸入していた大量のポケモングッズが、著作権法違反に問われたとのこと。

毎日、私選弁護士と接見して、不当逮捕なので徹底的に戦う、と息巻いているのが敬意を表すのも含めて3位とさせている。

序列4位は341番で強盗傷害。
留置初日に、いつまでもめそめそと泣いていた20代前半の若者。

しかも「お母さん・・・」と、つぶやいて泣くという醜態も見せた。

本来だったら序列は下がる醜態ではあったが、341番は “ 運の悪さ ” がズバ抜けていたので序列が上がった。

逮捕された者がいう運の悪さ

すべての留置者は、運の悪さがある。
それは身勝手な運の悪さとも付け加えておくが、とにかくも全員が運の悪さを持ち合わせている。

341番は、運の悪さがズバ抜けていた。
コンビニで缶コーヒーをポケットに入れたところ店員に見つかり、抵抗するつもりはなかったが腕を掴まれたので軽く振り払ったところ、店員はバランスを崩して足がもつれて1人で勝手に転倒。

転倒した店員は、陳列棚の隅に頭をぶつけて救急車で運ばれたのが、彼の運の悪さだった。
窃盗ではなく、強盗傷害で逮捕となる。

パチンコで金欠なのを、その日の朝に母親に怒られて、むしゃくしゃしての缶コーヒー1本の万引きが強盗傷害になったのだ。

それほどのダメ人間なのに、郵便局員というのが頷ける真面目な外見で、とても強盗傷害が似合わないのも運の悪さを強調させる。

2日目の取調べのときに、相手が意識不明の重体になっていると刑事から訊かされて、吐き気がすると房に戻されてからはメシも食べずに1日中横になっていた。

自身の逮捕よりも、相手に大怪我をさせたことに良心が咎めているのだ。
決して心根は悪くない若者だった。

205番は「運が悪いなぁ」とはっきりと声に出していたが面倒見の良さがあって、341番は励まされたり説教もされたりもして、逮捕から4日経ってから、ようやく落ち着いてきたところだった。

ちなみに盗んだ缶コーヒーの銘柄は、“ ジョージア ” だという。
「もう一生、ジョージアだけは飲みません」と341番は誓う。

ジョージアだろうがポッカだろうが、飲もうが飲まなくても、そこはどうでもいいのだが、341番はそこまで訊かれて明かすこととなる。

運が悪いといえる人の事件だと、常識を含んでいて、標準でもあって、皆も訊きやすくて、聞くと明るく前向きな気分になりやすい。

確信犯がおこす事件にあるのは、非常識にまみれていて、極端な発想と執拗さがあり、皆も訊きづらくて、聞いたとしてもどこか陰気だ。

そのようなところから、留置者同士で事件は明かされていき、序列も形成されていく。

序列の5位は、22日勾留が瞬間だと205番に断じられた自分と、器物破損の325番。

器物破損の325番は60代。
商店街のポスターに落書きをしたという事件。

自転車の乗り方が危ないと八百屋の店主から注意されて、腹立たしさに夜中に出かけて、店頭のポスターにマジックペンで落書きを繰り返したとのことだった。

己が正義を背負っているかのごとく八百屋を非難して、まるで爆弾でも仕掛けてテロでもおこしたかの勢いで落書き事件を話して、しょうもなさに皆がイライラして、結局はあまりのしつこさに205番が「うるせえ!」と一喝して、それからは皆に無視されて黙っているだけの325番だった。

序列末位が、48時間勾留で釈放となる軽犯罪の者。
序列があるといっても、なにがどうというわけではない。

主席の205番が、官弁を配る順番を差配して、新人がきたときに座る位置を告げて、朝の清掃のローテーションを決めるくらい。

むしろやってもらって有難い。
なので序列下位といっても、なんら不都合はない。

末位の者がトイレの前で寝起きするのと、回覧新聞を読む順番がわずかに遅くなるだけ。

見た目こそいかついスキンヘッドの205番だったが、陽気な話好きなので、他の房と比べると和気あいあいとしていた。

未必の故意と偶然の過失

19時30分になると「私物回収」と声がかかる。
本や雑誌やノートが回収となって、留置係が押して回るワゴン車に保管される。

順番に房が解錠されて、倉庫から布団を抱えて運び入れて、5分間の洗面。

皆が布団の上に座ると、ほっとした空気が流れて、消灯まで座談会になる。

その日の晩の座談会で話されたのは、著作権の273番に検察から届いたの起訴状について。

起訴状が届いたのと同時に、明日には東京拘置所へ移送となるのも告げられた。

早めの移送でもある。
273番は憤る。

「くそっ、検事の嫌がらせですね。わたしが否認しているから、保釈申請する間だけでも拘置所に入れたいんですよ、罪なんて、検事のシナリオです。一方的に悪者にされてですよ、それに沿う供述をして認めれば反省している、それは違うと認めなければ反省してないって、おかしくないですか」

拘置所の入所の身体検査では、チンコに玉が入っているのを棒でつつかれて確められて、足を広げた前屈で肛門まで見せなければならない。[編者註47-2]

日中はトイレ以外は着座してなければならないなど規則も厳しくなり、監視も叱責も留置場の比ではない。

同じ施設で死刑が執行されるのも不気味だし、留置場よりは空調が効かないといった不快さもある。
拘置所ではカップラーメンが入るからさ、と205番が慰める。

「今回は、未必の故意が成立するそうです。中国のコピー商品の存在を知っていながら、それを本当に確めることなく輸入したのが未必の故意にあたるって、正規品だって証明書があるのを確めて輸入してんですよ。こっちだって騙されてんです。そんなんじゃ、なんにも輸入できないですよ。メーカーの被害届だって、警察のほうがあちこち回って、向こうも断ってるのにわざわざ事件にしてんですよ」

341番が「未必の故意ってなんですか?」と誰ともなしに質問した。
未必の故意とは法律用語。
裁判ではよく使われる。

自分が前回の逮捕のとき刑事から教わった例になるが、団地の上から消火器を落としたとする。

消火器が道路を歩いている人に当たって死亡したとする。
人を殺すつもりがなかった、人に当たるとは思わなかった、たまたま落ちてしまったと抗弁しても、下に人が歩いているのを知っていたり、消火器が頭に当たれば人は死ぬということを認識していたとなれれば、未必の故意の殺人となる。

それらを本当に知らなくて、本当にたまたま落ちてしまったとすれば、偶然の過失として殺人には問われない。

その他の例としては、建物に放火をして、中にいる人が死亡した。

ただ火をつけただけ、人を殺すつもりはなかった、という抗弁が本心だったとしても、人がいるかもしれないと少しでも認識していれば、放火ではなくて未必の故意の殺人として罪が重くなる。

273番の場合は、たとえ正規品だと騙されたにしても、中国にはコピー商品が出回っていると認識していれば、社会生活で知りえる範囲であったとしても、未必の故意の著作権侵害に問われている。

未必の故意がないのを証明するのは難しい。
やっかいな疑いだ。

「起訴されたら、日本の裁判は99%が有罪ですよ。体制護持ですから。罪を認めれば、初犯だから執行猶予になるらしいけど納得いかないですよ。そんなの、なんのための裁判ですか。わたしは戦いますよ、無罪ですから。ええ、こうなったら最高裁まで争いますよ」

273番は熱くなって息巻く。
不本意でも罪を認めて、裁判を終わらせて、早くもとの生活に戻るほうが得策の気がする。

裁判で争うとなれば弁護士費用だって高額になる。
それらを全て承知で、273番は無罪を訴えるらしい。

273番が熱くなればなるほど、皆、無言になっていく。
留置係が立ててる物音から就寝時間が感じられると、座長の205番がまとめた。

「まあ、裁判って真実を明らかにする場じゃないからな。うん、そうだよ、真実だなんていってるけど、本当は真実は二の次なんだよ。重要なのは社会的解決ってやつだな。社会が納得するように事件を解決するのが警察と検察の仕事だからな。だから冤罪もある。273番さんがいうように、法律は正義じゃない。正義は大衆にありだ。って、大衆の敵の俺が堂々と言えないなぁ」

皆の笑いをとってまとめた。
蛍光灯の明かりがひとつ落ちた。

各自が布団に入る。
天井を見つめていると、蛍光灯がパッと小灯となった。

– 2021.03.09 up –