売上については嘘の供述しても裏付けはとらない


運動場と煙草と雑談

7時に起床。
倉庫に布団を片付け。
房内の掃除をして洗面。
着座して点呼をとって朝食。
朝食が終わると運動。
20分間。
留置係が「運動するか?」と各房に声をかけて回り、希望者が5人か6人ほどの人数にまとまると出房して運動場へ向かう。
各房を囲っている外廊下を進んだ突き当りに運動場がある。
運動場といっても、こんな運動場は見たことがない。
扉が開けられると、8畳ほどの殺風景なコンクリート部屋だった。
あえて運動場っぽい点を見出すとすれば、光と空気が場内と違うところ。
天井が2フロア分の高い吹き抜けになっていて、中央には50センチ四方ばかりの開口部がある。
見上げると、夏の青空が生で覗けた。
今が真夏だと実感させたし、社会生活の雑音がわずかに混じった熱気のある外気も吸える。
運動といえば運動だった。
体を動かして運動する者はいない。
それ以外に、けっこうやることがあるのだ。
まず運動場に入ると、留置係は手にしていた煙草の箱を振る。
希望者には煙草1本が支給されて、ライターの火が差し出される。[編者註41-1]
セブンスターを吸いながら、中央に置かれた灰皿スタンドを囲んで雑談をするという、全く運動の体を成してない時間だった。
煙草はうまくなかった。
そこまでニコチン中毒ではないし、自由のなかで自由に吸うのがうまいのであって、このあとには調べがあるし、コンクリの壁に囲まれて吸う支給品などうまくなかった。
隣の房の者が「何課ですか?」と、同じ年頃の341番に訊いている。
『1課』だと刑事1課で強行犯。
殺人、放火、強姦、強盗、恐喝、暴行傷害、誘拐、といった事件。
『2課』だと知能犯や経済犯。
詐欺、横領、贈収賄、背任、脱税といった事件。
『3課』だと盗犯。
空き巣、引ったくり、万引きといった事件。
『4課』だと暴力団が関係した事件だったらなんでも。
『生安』だと生活安全課。
風俗、賭博、闇金といった事件。
いきなり事件を聞くのも憚られるので、この辺りから相手の事件に見当をつけるのだった。
“ 同類相憐れむ ” ではないが、相手の事件と通じるものがあれば2人は旧知の仲となる。
他の房の者と顔を合わせて、自由に話せるのは貴重な時間ではあった。

留置場での物品購入はできるのか?

煙草と他の房の者との雑談のほかにも、運動時間にしかできないことはいくつかある。
爪を切るのも、ヒゲ剃りも運動時間にしかできない。
壁際に置かれているステンレスのワゴンには、爪切りと電気かみそりが5つほど備えてある。
電気かみそりは、ブラシで綺麗に掃除をしてからワゴンに戻す。
犯罪者の集団とはいえ、けっこう気を遣いあうのだった。
私物の綿棒もこのワゴンに置かれていて、この運動時間にしか使用できない。
鏡を見れるのも、この運動時間だけ。
壁面には3枚取り付けてある。
割れない特殊な鏡なのか、少し顔が歪んで映る。
あとは領置金での購入受付も、この時間のこの場所になる。
毎週月曜日と木曜日には物品、金曜日には雑誌の購入受付がある。
留置係に申し出ると、購入受付の用紙とボールペンを手渡される。
購入受付の用紙には、あらかじめ指定された物品のみがプリントされている。
数は多くない。
最低限の物品のみ。
この日に購入したのは、ノート、石鹸、歯ブラシ、歯磨き粉、綿棒、ニベア。
購入するといっても、用紙を渡されてから物品が記載してある欄に丸印をつけるだけ。
支払いは留置の現金から引かれるだけで、財布をいじることはない。
しかし物を買っているという時間は、ほのかに楽しさを感じさせる。
買い物というのはすごいことだ。
購入受付を済ませたやすしが、雑談の輪に交じった。
話しかけられて事件を明かした341番に、笑いながら突っこんでいる。

「オマエ、わっるいヤツだなぁ!」
「いやぁ・・・」
「そんな優しそうな顔して強盗するのか!」
「ええ・・・」

341番が入場したときに房内で泣いていたのを知っていて、やすしは明るく事件を笑い飛ばしている。
皆の笑い声は、さらに騒がしく運動場に響いた。
房内での大声も大笑いも禁じられてるが、運動の時間は制限がないのか黙認されているのか。
20分の運動時間は、このようにして過ぎる。

取り調べの雑談には応じない

房に戻りしばらくすると「332番!調べな!」とやすしから声がかかった。
今日の調べでは落ち着こう。
今までは、勝手にじたばたしすぎた。
「解錠準備異常なし!解錠!」の号令で鉄扉がぎぎっと開くと「おはよう」と係長が立っている。
挨拶くらいはしなくては。
「おざす」と軽く頭を下げた。
傍らの井沢君は、刑事にしておくにはもったいないほどのいつものニコニコ顔で、留置係から腰紐の端を受け取りながら頭を下げている。
取調室に入る。
鉄格子のくもりガラスの窓からは、夏の強い陽射しがあった。
ミンミン蝉の鳴き声が聞えてくる。
今日はひときわ暑い日のようだ。
いつものように、井沢君が腰縄を取調べスタイルに結わえていく。
スチールデスクを挟んで係長と向かい合った。

「お茶飲むか?」
「いえ」
「そうか。まあ、持ってくるな」
「いえ、いいです」

調べが完全に終わるまでは、雑談に応じるつもりはなかった。
自分はなにがあるかわからないと注意しているが、係長は機嫌がよさそうにパイプ椅子の背もたれにのけぞる。
パイプ椅子は容疑者のものと同等である。

「夏だなぁ・・・」
「・・・」
「昨日な」
「ええ」
「なにか、夏らしいことをしようと思ってなぁ」
「ええ」
「帰りにガリガリ君を食べてな、久しぶりに」
「・・・」
「あれって、レモン味っていまいちだな」
「・・・」
「やっぱ、コーラ味がいいな、だろ?」
「・・・」
「田中君は、何味が好きだ?」
「レモン味です」

ガリガリ君のレモン味がどうしたというのだ。
自由に食べれるだけいいではないか。
井沢君がプラコップのぬる茶を持ってきた。
同時に雑談は終了となり「じゃ、はじめるか」と係長はバインダーを手にした。
よし、とりあえず勝った・・・と息を吸った。
こうして、小さな勝ちを積み上げていくんだ。

警察と税務署は連携しない説

聞き取りは売上について。
一般的に売上とは、客から領収した総金額。
しかし風俗店の売上の扱いは、ほかの商売と異なる。
多くの風俗店は、その日のうちに女性への支払いを済ませる。
残り分を『店落ち』といい売上扱いにしてます、とまずは係長に前置きした。
その売上と同じ扱いにしていた店落ちは、月間840万から1000万弱の間をいったりきたりだったが、摘発された際には月間500万前後だったと嘘の供述をして『ぜんぜん儲かりませんでした』でいこうとオーナーとシュミレーションしてある。

帳簿
売上は月間500万で経費も500

現金商売だから、本当の数字など部外者にわかりっこない。
入客数も、月間500万の店落ちと合致する人数を覚えている。
どこから質問されても整合できるように、それらの架空の数字は頭の中に仕上げてあった。
店落ちに関する証拠は、ひとつも押収されてない。
1日の営業が終わると同時に、集計した数字はヤフーメールでオーナーに送信していて、証拠となる過去分の伝票もリストもシュレッダーを徹底していた。
嘘の供述をしても指摘されないはず。
係長はバインダーにメモを取りながら訊いてくる。

「そうか、店落ちか。・・・売上と同じことなんだな?」
「はい」
「それで伝票やリストは保管してないのか?」
「はい」
「どうしてだ?」
「とくに必要がなかったので」
「なるほどな」
「・・・」
「税務署には申告しないのか?」
「申告のことがよくわかりませんでした」
「そうか」
「はい」

警察と税務署は連携しない説がある。
その説によると、縦割り行政の縄張り意識があるし、両者は伝統的に敵対してる。
この連携しない説をオーナーは支持していた。
だから売上については、嘘の供述をしても裏付けはとらないと推測されていた。
どうやら連携しない説は、本当ではないのか。
現金は押収品として一切手をつけずに私物扱いだし、その私物として所持している200万ほどの現金はどういうものかも訊いてこない。
帳簿の類は重要視してない。
税金の無申告を咎められることが一切ない。
営業方法や経緯については証拠を挙げて細かく調べていただけに、売上については細かな部分は省いているのが感じられる。

「じゃ、売上は平均すると、おおよそ月に500万と」
「はい」
「少ない月でどのくらいだ?」
「450万です」
「それは何月だ?」
「3月です」
「多い月だといくらだ?」
「550万で6月です」
「まあ、平均すると月に500万だな」
「はい」

売上は数字さえ話せれば裏をとる問いもなく、細かな部分までは訊かれなかった。
月500万前後の平均が少ないとの指摘もない。
むしろ売上については、架空の数字ではあるが自分は話す気を見せているのに、一方の係長は触れたくない様子。
やはり税務署の縄張りには遠慮するのか。
すぐに売上についての聞き取りは終わった。
よし、また小さな勝ちを積み上げた・・・と息を吸った。

資金の出所やお金の流れが重視される

売上の次は経費について。
経費は多めにしたほうが儲けがなくていいので、そのまま答える。

「経費はなにがある?」
「家賃に人件費に」
「家賃に・・・、人件費と」
「あとは、広告費に」
「ん、広告費と・・・」
「タオル代に」
「タオル代と・・・」
「あとは、水道光熱費に備品代に」
「ん、水道光熱費と・・・、備品代か・・・」
「はい。そのくらいです」

広告費の支払いの領収証は、わざと店内に保管していたので押収されてもいた。
人件費だけは、月に153万だったと架空の金額を答えている。
153万の内訳は、男性アルバイトを時給1500円で雇用。
早番は9時から18時までの9時間で2名。
遅番が17時から25時までの8時間で2名。
で、1ヵ月分30日で時給計算をすると153万。
それらは日払いで手渡ししていたとも。
架空の経費の合計は、月に515万。
対しての売上は、月に500万前後。
若干、経費のほうが上回っている。
あとは男性アルバイトのメシ代、それに女の子にふるまうお茶代もタクシー代も積もればそこそこの金額となる。
経営している自分の生活費も出ないので、結局は男性アルバイトを1名雇わずに自身が現場で働いて、儲かるどころか自転車操業でした、という設定だ。

「それでも、売上が550万の月のときは余りもするだろ?」
「はい」
「それはどうした?」
「酒を飲みました」
「全部か?」
「あとはパチンコと競馬で使いました」
「そうか」
「はい」
「たまには当たったりしだたろ?」
「いえ」
「まったくか?」
「はい」
「ぜんぶ外れたんだな」
「はい」

ちなみにパチンコも競馬もしてない。
お金が少しでも残っているというより、全てなくなってしまいましたとするほうが、なにかと面倒がなさそうなのでそうしてある。

「店をはじめるときには、岡田にお金を払ったりしたのか?」
「どういったお金ですか?」
「権利金だとか」
「ありません」
「開業資金はどうした?」
「自分で用意しました」
「全部か?」
「はい」
「それは、手元にあったのか?」
「貯金してました」
「銀行預金か?」
「いえ、タンス預金です」
「誰かに借りたりはしたのか?」
「してません」

売上よりも、資金の出所やお金の流れのほうを重視している。
すべてが裏付けがとれない答えとなっていた。
なんだか、また、小さな勝ちを積み上げたようだ。

新宿署の官弁はランク外

午前中は聞き取りをして昼食時間となった。
内線で呼び出された縄師の井沢君は、やはり笑顔のまま入室してきて、手錠と腰縄を連行スタイルに結わえ直す。
留置場に戻った。
房内に入り間もなくすると、食器口から官弁が入る。
食器口の前が定位置の205番が「いただきます」と受け取り「ほい!メシきたよ!」と皆に回す。
同時にプラスチックのコップに注がれた麦茶も入り、皆が手にした。
食事は全く楽しみではなかった。
支給の官弁の内容は、各警察署によって異なる。
留置者の経験談をまとめると、ある署がランク上だとすると購入したばかりのほっかほっか弁当、そっちの署がランク下だとすれば菓子パン2つに紙パックのジュース。
一致しているのは、新宿署の官弁はランク外ということ。
古ぼけてくすんだ仕出し弁当の蓋を開けると冷えた米飯が詰まっているだけ。
文字通りの冷や飯。
うまい米は冷えていてもうまいものだが、この官弁は米がよくないのか。
これを毎日3回食べるのか・・・とすでに食べるのに飽きがきている。
いや、弁当箱には冷飯だけではなかった。
端にはおかずがある。
朝には薄い沢庵が2切れ、昼が小さな蒲鉾が1切れ、夕には親指ほどのコロッケが1個とローテーションされている。
食べようとするころに留置係が「醤油かソースいるか?」と訊いて回る。
この弁当のどこに醤油もソースもいるんだと言いたいが、向こうとしては最大限の配慮なのだろう。
強盗傷害の341番が切実そうに「すみません、醤油、メシにぶっかけてください」と鉄格子に寄り、差し出した官弁に留置係が醤油をかけた。
うまいまずいの前に味気がないので、20代にはきついのだろう。

差し弁とは?

205番と82番は官弁を前に手を合わせて「いただきます」とつぶやきながら頭を下げて、あとは黙々を食べている。
腕からは和彫りの刺青が見えている2人なので、そうするのが留置者の作法のように見える。
ちなみに2人の事件は、205番は銃刀法で、82番は覚醒剤。
著作権違反の273番は、官弁には手をつけずに差し弁を食べる。
彼は「不当逮捕だ」と警察を敵視しているので、支給の官弁を食べるのは腹が立つのだろう。
差し弁とは、自前で購入できる弁当。
朝はできなくて、昼はカツカレー、夕は幕の内弁当のみの固定メニュー。
各520円。
この差し弁は、一体、どこからくるのか?
カツカレーは温かいものが入るという気の利いたことはない。
冷房で冷えているが、たとえ冷えていてもカツカレーは大好きなので注文して食べてみたが、今後、カツカレーが嫌いになりそうなほどトラウマ的にまずかった。
決してグルメではなく、好き嫌いはなく、日頃から出された食べ物には文句を言わない自分が、食事中に耳にする『まずい』という言葉が大嫌いな自分が、まずいと言い切れたカツカレーだった。
そもそも、カレーがまずいというのも衝撃だ。
カレーとは、うまいものではないのか。
まあいい。
ともかく、これほど食事中にまずいと言い切れたのは、考えてみれば10年ぶりだった。
当時の彼女がつくった、塩と砂糖を入れ間違えたカツ丼を食べたとき以来だ。
それでも、そのカツ丼は全部食べたのに、この差し弁のカツカレーは残しそうになって、なんだか腹が立ってくるほどだ。
まあいい。
幕の内弁当のほうはどうか。
1品1品が雑にばらばらに詰め込まれていて、購入先の弁当業者が犯罪者を憎んでいてあえてそうしてるのかと勘ぐるほどで、今まで売っているのを見たことがない珍しい幕の内だった。
官弁にしても差し弁にしても、汁物は生ぬるい麦茶しかない。
温かい味噌汁でも飲みたいなぁと、こんなときだけはそう思わせた智子が偉大に感じた。

ラジオニュース

官弁を食べているとラジオが流れた。
昼食時間には、ラジオのNHKニュースが流される。
朝に流されたニュースを録音したもので、留置係が内容をチェックして、留置している被疑者に関するニュースがあればカットしてから昼に流す。
取調べに影響がないようにするためだ。
夕方に回覧となる新聞も、留置している容疑者に関する記事は切り抜いてある。
しかし、これらのカットは完璧ではない。
たまにはニュースで流れたりするし、新聞の記事も残っていたりする。
伏されると知りたくなるのもの。
皆は食べながら、ニュースがカットがされているのかされてないのか、聞き漏らさないように耳をそば立てている様相だった。
まれに共犯者や関係者の動向がわかった者は、思わず声を上げたりもしていた。
ニュースが終わると、食事の時間も終了となる。
もう取調べだった。

– 2020.9.21 up –