筆者の田中には、理解不足、うろ覚え、早合点、思い込み、が多々あります。
今現在とは異なる部分も多々ありますので、わかる限り訂正を加えてます。
日記はひと昔の出来事となりますので、わかりやすくなるように時勢の背景を付け加えてます。
すべて編者の独断と偏見が交じってます。
容疑は《 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 》、略して風適法の違反。
[編者註01-4]
以下の経緯である。
1948年 《 風俗営業取締法 》として制定される。
1984年に改正され《 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 》に変更。
店舗の営業時間は午前0時まで、ファッションヘルスが届出対象と規制される。
1998年 派遣型ファッションヘルス(デリバリーヘルス)が届出制となる。
2期目の東京都知事となった石原慎太郎が、都行政の重要課題に治安回復を唱えて『歌舞伎町浄化作戦 』がはじめられていた。
[編者註02-1]
石原慎太郎は、1999年に東京都知事選に初当選。
以降、2015年まで4選した。
2022年2月1日、89歳で死去。
発端は2001年の“ 歌舞伎町ビル放火事件 ”。
[編者註02-2]
2001年9月1日に起きたビル火災。
警視庁は放火の疑いが強いとしているが未解決となっている。
2001年2月には、当時の国家公安委員長が衆院内閣委員会で「昨年の刑法犯認知件数は戦後最悪で、世田谷一家殺害事件など凶悪、残虐な事件が国民生活を脅かしている」と危機感をあわらにしていたところだった。
刑法犯認知件数は7年連続で最悪を更新している時期で、石原都知事の治安回復のお題目は割合とすんなりと支持される。
そのために管理者である警察は、条件付きで運用をしなければならなかったが、1年もすると当たり前のように防犯カメラの設置台数が増加していった。
[編者註02-3]
防犯カメラがあるから安全だと、コマ劇周辺にはホームレスが増加した。
防犯カメラによる逮捕第一号は当たり屋。
風林会館前の路上で、タイヤに足を踏まれたとタクシーから示談金をとったのが防犯カメラの録画により虚偽だと判明した。
防犯カメラの普及と同時に、全国の刑法犯認知件数は17年連続で減少し、2019年には戦後最小となる。
以降、最小件数は毎年更新中である。
『紹介屋』というインチキ業者だと、ニュースに度々とり上げられていた。
[編者註03-1]
東京都に登録料43000円を支払えば、個人であっても、表向きは正規の金融業の広告を出せれた。
《 審査なし 》《 即日融資 》《 電話一本で振り込みます 》という広告が街頭や雑誌に溢れていて、多重債務者が増えて、悪徳金融が繁盛する土壌があった。
サラ金は成長産業扱いで、過去最高の収益を上げ続けていた。
大手サラ金の利益が、松下電器産業(現パナソニック)を抜かしたとニュースにもなる。
まず、営業開始してからしばらくして、・・・このしばらくが6ヶ月後なのか、1年後なのか、それとも2年後なのかは警察の都合になるのではっきりとはわからないが、とにかくも営業開始してからしばらくして新宿署の生活安全課の立ち入りがある。
[編者註04-1]
生活安全課は、地域住民が日常生活で困っている事案を扱う。
特に女性や子供が被害にあうことが多い犯罪を担当する。
風俗、賭博、闇金、といった事件も生活安全課の扱いとなる。
あとは飲み食いやら無尽やら義理買いやらで、キリがないのできっぱりと断わっている。
[編者註04-2]
無尽は小規模の飲食店主が集まって行なわれて資金の貸し借りの融通をする。
義理買いは身内への押し売りみたいなもの。
水や雑貨といったものが割合と高く売りつけられる。
いいように商売されるだけで、それを買ったからといってなにがどうなるわけではない。
おおよそ20坪の物件なので、歌舞伎町といえども都内の家賃相場から比べると3倍近い高額となる。
[編者註05-1]
東京都内の1坪あたりのテナント料は15000円との新聞記事があった。
ほかには案内所や情報館などと、風俗店側も客側もバラバラに呼んでいた。
[編者註05-2]
東京都条例により割引チケットが禁止になる1年前となる。
コンビニにも並ぶ風俗情報誌は、《 マンゾク 》と《 ナイタイ 》ともなると厚さは2センチ近くあり、全裸、半裸、下着姿の女の子の写真が並び、風俗嬢のカタログといった具合になっていた。
[編者註05-3]
風俗の規制強化と、インターネットコンテンツの拡充と共に風俗情報誌は薄くなる。
この5年後にはすべて廃刊となる。
1984年に改正風適法が施行されてファッションヘルスが規制されたときに、違法営業なった店舗の対抗策の名残の入会金だ。
[編者註05-4]
1984年に大幅改正され《 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 》となる。
略して風適法と呼称される。
それまでに届出をしなかったファッションヘルスの店舗は違法営業となる。
ちなみに、18歳以上であれば高校生であっても法令には反さないが、過去にPTAが騒いだ事例があるので高校生は除している。
[編者註07-1]
具体的な内容までは不明。
フロントでポラロイドカメラを手にして個室に戻った。
[編者註07-3]
ポラロイドは、インスタントカメラの代名詞となっていた。
フィルムを現像することなく、撮影してから1分後には写真を見れる。
昭和の大ヒット商品ではあったが、デジタルカメラの急速な普及により、2008年にポラロイド社は倒産する。
隣接する大久保エリアまで含めると150店舗は超えて、この歌舞伎町と大久保エリアには、もしかしたら最盛期には200店舗あったのかもしれない。
[編者註08-2]
歌舞伎町に限らず、風俗店の最盛期は2000年前後。
住居用マンションにまで風俗店が営業していた。
ピンクチラシは、所持するだけでも逮捕となるのだ。
[編者註09-1]
2002年10月に迷惑防止条例が改正され、ピンクチラシの所持までが刑事罰の対象となる。
これらは裏風俗となるホテトルのチラシだ。
[編者註09-2]
繁華街の電話ボックスに貼り付けられたピンクチラシは、管理売春の温床にもなるといわれてもいた。
携帯電話の普及で、2000年代に電話ボックスは徐々に撤去されていく。
3人の女の子が揃うと、竹山が有線のチューナーのスイッチを入れた。
[編者註09-3]
有線音楽放送は何社もあるが、業界1位の《 株式会社USEN 》が多くの店舗のBGMとして利用されていた。
同社は電柱の無断使用で業績を拡大したことで知られる。
無断使用であっても、いったんケーブルを設置してしまえば撤去するのにコストがかかるため、後は放置されていた。
そんな杜撰さのためか、すでに店舗にケーブルが通じていれば、ヤフオクなどで購入した中古のUSENチューナーをつなぐと音楽が流れた。
本来だったら新たに契約して月額3000円の料金がかかるのだが、ほとんどの歌舞伎町の店舗はこの方法で無料で利用できた。
これらの高収入求人誌は、風俗専門とはいえ、普通のバイト情報誌と同じくコンビニに置かれていて、日常生活で目につくものだった。
[編者註13-1]
コンビニ発売の高収入情報誌が、違法営業の風俗店の拡大に果たした役割は大きい。
それも条例の改正で違法営業店が一掃されたあとは厚みは1センチほどになり、誌面も彩りを欠いてきた。
コンプライアンス意識が高まり、インターネットのコンテンツが充実してきたこともあり、2010年ころにはコンビニでは見かけなくなった。
代金さえ払えば、誰であっても審査はなく掲載することができる。
[編者註13-2]
この3年ほど後には、広告の契約には風俗の届出書のコピーの提出が条件付けられた。
『バンスできます! 』『 すぐに入れる寮あり! 』と大きく掲載している店もある。
[編者註13-3]
バンスとは前借のこと。
どの店も求人広告では『バンスOK!』と記載してあるが、実際は理由をつけてさせないことが多い。
『NK流』と称される本番が当たり前の西川口のヘルスにいた。
[編者註23-1]
埼玉県西川口駅には「NK流」と呼ばれる本番ありの違法営業の店が200店舗から300店舗は存在した。
歌舞伎浄化作戦と同じくしての摘発強化で、すべての風俗店が廃業した。
以後《 B級グルメの街 》となり、さらに《 埼玉の中華街 》へと呼び名が変化していく。
早番を終えたあとは、西武駅前通りのビデオボックスに直行。
[編者註24-1]
AVの媒体は、VHSビデオテープとDVDが混在していた。
まだまだVHSビデオテープのほうが商品数は多く、DVDという媒体が普及するのか様子見の感があった。
DVDに切り替わるのは、この直後からとなる。
急速に切り替わったので《 DVDバブル 》とも称された。
3年後にはVHFビデオテープは過去の遺物となる。
街中では《 ビデオボックス 》の看板はなくなり《 個室DVD 》に取って変わる。
熟女で3発のオナニーに耽り、事後、ゴロ寝。
[編者註24-2]
《 熟女 》とはAVから発信された語句で、この2000年代中頃から社会的に使われるようになった。
これより3年前か4年前までは、40代や50代女性のAVは《 年増モノ 》として発売数も少なく、レンタルビデオ店によってはSMやスカトロと同じマニア棚に置かれていた。
まだまだ日常では、若い男性が40代や50代の女性に性的興味を持つのはタブー視されていて、それが露見したものなら「変態」と気持ち悪がられて「マザコン」と断ぜられることが多勢を占めた。
40代や50代の女性が、急激に若々しくなっていく時期でもあった。
それに合わせるようにして《 熟女 》という語句が普及していくにつれて「熟女が好き」とサラリと言えるようになり、当たり前のように許容されるようになっていく・・・と以上は筆者の田中の説である。
容姿でAクラスからCクラスまでクラス分けされており、Aクラスがレースクィーン。
[編者註24-3]
レースクィーンは、性差別の観点から、2018年以降の各大会では廃止されている。
『 ぼったくり防止条例 』に抵触するのを避けるためだ。
[編者註26-1]
《 性風俗営業等に係る不当な勧誘、料金の取立て等及び性関連禁止営業への場所の提供の規制に関する条例 》が正式名称となる。
2000年に東京都が全国初となる条例で規制した。
歌舞伎町の飲食店や性風俗店では《 料金等の表示義務 》《 不当な勧誘等の禁止 》《 不当な取立ての禁止 》について規制された。
〈シャ乱ピュー〉〈椎名淫語〉〈モムサッピュー〉などの看板の店はハードプレイ。
[編者註26-2]
違法風俗店は、商標権や著作権はおかまいなしだった。
〈シャ乱ピュー〉は人気ロックバンドのシャ乱Qをもじったもの。
〈椎名淫語〉は歌手の椎名林檎をもじったもの。
「歌舞伎町の女王」がヒットしていた。
〈モムサッピュー〉は、格闘家のボブ・サップをもじったもの。
見た目に反してのお茶目な言動にタレント的な人気があった。
〈新妻直子〉は人妻系。
[編者註26-3]
〈新妻直子〉とは、人気タレントの飯島直子をもじったもの。
チューブの前田と結婚したばかりだった。
〈萌え娘〉〈スイート〉〈オレンジ倶楽部〉等々。
[編者註26-4]
《 萌え 》とは新しい言葉だった。
この2004年の流行語大賞に《 萌え 》が選ばれて、一般的に広く使われるようになる。
いわゆるオタク文化から派生したばかりの言葉で、使い方がわからず、意味も知らない者も多かった。
大前提として、違法営業の税金の申告をしない個人商店なので、経理といった勘定は存在しない。
[編者註27-1]
度重なる条例の改正で、警察への届出に既得権が生じた時期がこの後にあり、それを機に歌舞伎町のほとんどの風俗店は法人化される。
法人化にはメリットがあった。
届出の名義人が個人であれば、当人死亡と同時に既得権は消滅する。
名義人が法人であれば、代表者の変更で既得権は永久的にする。
このような経緯から、長年ににわたり現在まで営業している歌舞伎町の風俗店はすべて適法営業であって、税金も納めている状況となっている
見たところ50代のメガネの署員で、顔立ちと風体から、彼のあだ名は『 亀井静香 』となった。
[編者註28-2]
亀井静香は政治家。
名前は《 静香 》とおしとやかなイメージがあるが、実際は脂ぎった小太りの男性。
警察官僚から政治家になり、運輸大臣、建設大臣、自民党政調会長など歴任。
2017年に政界を引退した。
ちなみに国選弁護士は、取調べが終わり、検察に起訴されて被疑者から被告人となって、正式裁判の日が決まるときに裁判所により選任されるので、まだ逮捕の段階であり、略式起訴の罰金刑で釈放と見当がついている自分には全く関係ない制度となる。
[編者註33-1]
国選弁護人制度は改正されている。
2006年9月以前は、上記のとおりに起訴されて被告人となってからの国選弁護人制度だったが、その後は起訴される前の被疑者にも段階的に拡充されるようになる。
2018年1月に刑事訴訟法が改正されてからは、すべての被疑者が国選弁護人制度の対象となる。
強いていえばエロ画像のコレクションくらいしかない。
[編者註34-1]
通信規格が3Gのこの時期、インターネットのコンテンツはテキストと画像が中心だった。
Youtubeが登場したばかりで、いつ潰れるのかとニュースにもなっていたが、googleに買収されて存続したという状態だった。
この4年後に通信規格が4Gとなってから動画が普及。
スマホの登場となる。
なんやら《 世界の中心で愛を叫ぶ 》という映画が大ヒットしていた影響だったかもしれない。
[編者註34-2]
2004年5月に公開された映画。
「セカチュー」と略され流行語になり「セカチューブーム」として社会現象になった。
同年にテレビドラマ化、2005年に舞台化もされた。
原作は片山恭一著の2001年発刊の《 世界の中心で愛を叫ぶ 》という青春恋愛小説。
映画化した相乗効果で、国内単行本最多記録の300万部超えのベストセラーとなる。
その被疑者専用ゲージに合わせて立ち、正面と横を向いた全身写真、正面と斜め45度の顔写真を撮影していく。
[編者註35-1]
マグショットという。
海外の映画にあるような手にボードを持って撮るようなことはない。
縦書きの線が引かれていて、やや広めの行となっている。
[編者註35-2]
この頃から手書きの供述調書はなくなっていく。
2017年頃までには、ノートパソコンで作成してプリンターアウトするようになる。
書式はA4サイズの横書きとなっている。
『 捜査比例の原則 』の存在もわかっている。
[編者註35-3]
たとえば、自転車泥棒の捜査には多くの人員も時間も割かない。
このように、よくある風俗事件に多くの捜査はしない、との意。
『上申書をだします 』の一言が、取調べで効くのも知っている。
[編者註35-4]
上位者に意見を述べるときに用いられる書類。
とくに書式は決まってない。
この場合、提出する相手は裁判官となる。
土方の現場で1ヵ月ほど作業をしたのがここだった。
[編者註37-1]
《 土方 》という言葉は差別用語として扱われる。
筆者の田中は、それを十分に承知の上で《 土方 》と多用している。
理由は不明。
そのまま人目のつく歩道を横切り、さらに警察署前の駐車場も横切り正面入口に向かうのか。
[編者註38-2]
2009年に、原宿署は同じ明治通り沿いの新館に移転している。
被疑者が歩道を横切り、駐車場から正面入口へと連行されるのは旧館での出来事となる。
鉄格子の扉がガチャガチャと解錠されて房外へ出るとボディーチェック、・・・警察では検身という、その検身をして手錠に腰縄。
[編者註39-1]
2015年頃からは金属探知機も加わるようになる。
『ふざけんな! 』とわめきながらスチールデスクを下からつま先で蹴り上げて浮かせて、同時に『オラァ! 』と空中で天板をバシンッと叩いて押し下げる。
[編者註39-2]
2012年頃、全国の警察でスチールデスクの脚元にはL字金具が取り付けられて、床にアンカーボルトで固定される。
同じ頃に、スチールデスクの下部には中板も取り付けられて、取調中に相手の足を蹴れない仕様となった。
それまでは上記の行為は横行していたと思われる。
運の悪さと偶然が重なり、全く知らない人の嘘の証言で別件で逮捕されて、朝の8時すぎから21時ぎりぎりまで取調室にいた。
[編者註40-1]
現在は、1日8時間までの取調べが厳守されている。
いつからかは不明。
希望者にはタバコが1本が支給されて、ライターの火が差し出される。
[編者註41-1]
留置者への煙草の支給は、2010年頃に廃止となる。
2回目に智子と会ったときには、お台場のグランパシフィックホテルの最上階のラウンジに連れて行く。
[編者註42-2]
1998年開業のお台場の高層ホテル。
ホテル・グランパシフィック・メリディアン → ホテル グランパシフィック LE DAIBA → パシフィックホテルズ と名称が変更し、2016年からは《 グランドニッコー東京 台場 》となっている。
開業当時の最上階のラウンジが広くてソファーもよく、クロークサービスもあってよかったと田中は強調する。
通話記録を知べたとしても、確か携帯キャリアの通信記録の保管は3ヵ月前までなので照会もしないだろう。
[編者註43-1]
2009年、警視庁が通信事業者に対し、通信履歴の保存期間を3ヵ月から6ヵ月への延長を要請した。
大手携帯チャリアは、通信履歴の保存期間を6ヵ月に変更する。
このファイルを開いて確認するのが多くなってきた。
[編者註44-1]
取り調べのときに目の前で度々開かれるファイルには、被疑者を不安にさせるという配慮から《 捜査資料 》と記載された大きなラベルが貼られるようになる。
いつ頃からは不明。
「まだ、手錠が銀色のころだ。ピカピカ光るからな、ブレスレットだなんてふざけるヤツもいてたなぁ」
[編者註44-2]
現在の手錠は、つや消しの黒に塗装されている。
いつ頃からは不明。
ホラー映画の《 チャイルド・プレイ 》からきている。
[編者註46-1]
人気ホラー映画。
1988年からシリーズで8作続いている。
もし、もしも、自分が映画《 ランボー 》のような被疑者だったら、この人、どうなるのだろう?
[編者註46-2]
シリーズ第1作と思われる。
ベトナム帰還兵のランボーは、ある町を通りかかり、保安官から退去するように告げられた。
ランボーは退去に応じなかっため逮捕され、警察署での扱いに憤り、保安官を殴り逃げ出す。
拘置所の入所の身体検査では、チンコの竿に玉が入っているかどうかを棒でつつかれて確められて、足を広げた前屈で肛門まで見せなければならない。
[編者註47-2]
現在は、チンコの玉検査はなくなっている。
肛門の検査は、ほんの数秒だけのポーズをとるだけの形式的なものとなっている。
『週間大衆』には保釈金の立替の広告が出ているので、刑事収容施設での購入はかなりあると思われた。
[編者註49-1]
裁判所に納める保釈保証金は、逃亡しなければ返還される。
そのため保釈金の支払いに限り、低利で貸し出す団体がいくつもある。
なんとかしての部分は忘れたが、陸軍大将の山本五十六の言だ。
[編者註56-1]
正確には、山本五十六は大日本帝国海軍、第27代、28代連合艦隊司令長官。
「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、褒めてあげねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば人は実らず」が正確な言となる。
なぜ、ここで、山本五十六かは不明。
東京都の迷惑防止条例の違反で、現行犯逮捕の事例もある。
[編者註56-2]
原宿の竹下通りの洋服店の黒人が、通行人の腕をとって逮捕されたのが適用第1号と筆者の田中談。
寒さを知らない人間に寒さを説明しても伝わらない、・・・いや、貧乏を知らないだったか、孤独を知らないだったか、・・・ともかく矢沢栄吉もそんなようなことを言っていた。
[編者註65-1]
矢沢栄吉の著書『成り上がり』にそんなようなことも書いてあった、とのこと。
ジョニー大倉と決別したくだりの『ザギンのブークラでナオンとミーノしていた』の後のあたりに書いてある、と筆者の田中の言。
なぜ、ここで、矢沢栄吉なのか真意不明。
「その生教育を受けてなかったからスカウトできた」
[編者註65-2]
筆者の田中は「生教育は誰でも受けている」と後に考えを改めていて、このあとの日記には「生教育を受けてない」とは一切使われてない。
受けてないのは、ワクチンのような小さなものとしている。
そのため、筆者はこの部分の日記の全ての削除を望んでいるが、ただ単に例え方の違いだろうという編者の判断でUPした。
プリントした届出用紙はA4サイズで1枚。
[編者註69-1]
以後の条例改正から届出用紙は2枚となっている。
記入する項目も増えている。
1980年代前半が小学生の頃が差しかかる自分も、エロ本探検隊で発見した週間宝石の記事の記憶がある。
[編者註69-2]
『エロ本探検隊』とは、昭和の男子小学生の遊びの一種。
AVが登場する前でビデオデッキも普及してない昭和の時代、エロ本は非常に価値のある存在だった。
“ どこそこに捨てられていた! ” という目撃情報を元に、多くの男子小学生は探検隊を結成し、工事現場や野原や川原や神社などに隊列を組んで出かけた。
発見されたエロ本は、雨ざらしで湿っているものがほとんどだったが、男子小学生には貴重に扱われた。
当時の人気テレビ番組『川口浩探検隊』の影響があって、全国の男子小学生の間で『エロ本探検隊』が自然発生していたと、これは複数人から確認していると、筆者の田中は説を譲らない。
その発見したブツには、 “ 今どきの女子大生の半数以上がオーラルセックスをする! ” との記事が衝撃を持って書かれていて、湿ったページをめくって貪り読んだ記憶がある。
[編者註69-3]
『オーラルセックス』とは、フェラチオのこと。
AVの登場で『フェラチオ』が一般的になるまでは頻繁に使われていた。
女子大生のファッションモデルを主人公にした『なんとなく、クリスタル』という小説も大ヒットして、クリスタル族なんていう流行語もあった。
[編者註69-4]
《 なんとなく、クリスタル 》は1980年発刊。
田中康夫著。
100万部のベストセラー。
とにかく新形態の風俗である『脱法ヘルス』がはじまろうとしていた。
[編者註69-5]
『脱法ヘルス』以外の名称としては、『レンタヘルス』『派遣型ヘルス』『受付型ヘルス』『移動型ヘルス』『デートヘルス』などとバラバラに呼ばれていた。
『ホテル型ヘルス』から『ホテヘル』へと、店にもチケセンにも客にも名称が定着するまで、これから2年かかる。
プリペイド携帯は本体が1台7000円で、10台購入していて、チャージのカードが1枚5000円。
[編者註70-1]
身分証の必要がなく、コンビニで何台も買えた携帯電話。
当然のように悪用されるようになり、3年後には身分証提示が必要になる。
風俗雑誌には、『移動型ヘルス』やら『派遣型ヘルス』とある。
[編者註70-2]
『ホテヘル』という名称が登場して定着する前のこの時期、どの繁華街でもホテルでのサービス料金は充実してない。
休憩のみの利用で5000円以下の料金はないのが通常だった。
そのため、ホテルでのプレイとなると、45分コースでも別途5000円ほどのホテル代がかかると思い込んでいる客がほとんどだった。
そのためチケセンでは、『ホテル』は禁句のように口にされてなかった。
新宿三光会の収入は、歌舞伎町に残る未開発地域の細切れの地権者としての地代と、無尽を主催しての配当と、正業を持つ組員からの月何万かの会費と、店からの毎月3日に3万だかのミカジメが主となる。
[編者註71-2]
無尽とは金融の一種。
古くから存在する民間金融で、信用金庫の前身ともなっている。
地域によっては、寄合、頼母子、模合ともいう。
個人事業主などの参加者が定期的に出資金を持ち寄り、競りで安く落とした1名がまとまった資金として受け取る。
安くなって余った分が、他の者の配当となる。
競りがない場合は、くじ引きの抽選となる。
「うん、たとえば、アンドレ・ザ・ジャイアントみたいな人が、いくら丁寧に腰を低くして笑顔で揉み手してでも『お金ください』と寄ってきたら、やっぱり少し怖いですよね?」
[編者註71-4]
『アンドレ・ザ・ジャイアント』は昭和に活躍した外国人プロレスラー。
身長223cm、体重236kgの巨体。
得意技は、ジャイアント・プレス、エルボー・ドロップなど。
ニックネームは、大巨人、巨大なる人間山脈、など多数。
1993年、46歳で死去。
「え、なんか、えらい理不尽ですね、顔で決まるなんて。じゃ、松潤なんかやりたい放題じゃないですか」
[編者註71-5]
松潤とは、ジャニーズグループ『嵐』の松本潤(まつもと じゅん)のこと。
なぜ、恐喝で松潤かは不明。
まぶたの裏の黒い空間に、野村沙知代のフェラ顔を投射した。
[編者註74-3]
通称サッチー。
当時72歳。
『サッチー騒動』の余波が続いていた影響で脳内コラージュされたと思われる。
2017年12月8日、85歳で死去。
「店長、冬ソナですか?」
[編者註76-2]
「冬のソナタ」は、世界での韓流ブームのはじまりとなったドラマ。
日本でも「冬ソナ現象」と呼ばれるほどの大ブームを巻き起こした。
2004年の流行語大賞のトップテンの一つに『冬ソナ』が選ばれた
たしか、セブンイレブンは、おにぎりを品切れさせないという神話がある。
[編者註76-3]
セブンイレブンは、震災や大雪、行楽地の渋滞、などで陸上輸送ができないときはヘリコプターで空輸している。
おにぎりに限らずに、弁当、パン、飲料水も含まれる。
歌舞伎町にはあれだけ風俗店があった中で、当局に許可されている店舗型ヘルスはたったの8店舗のみ。
[編者註79-1]
1985年の条例改正前の許可店のみが、改正後も既得権の発生で営業を認められている。
代表者の一代に限りという条件がつくが、代表者が法人の場合は役員変更することで永年の営業が可能となる。
この直後に、代表者が個人の許可店が、当人死亡のために1店舗閉店する。
体系的な分類をすると、骨太系のガッチリ型もあるし、アスリート系のムッチリ型もあるし、熟女系の皮下脂肪系もある。
[編者註79-2]
すべて田中基準となる。
学術的な視点は全くない。
経緯を辿ると「彼女、ほんとに潰しちゃってもいいの?」と確かめがあって「今日は刺しだよ」と撮影の内容が伝えられていたから、静かな肉林の中だったから、それが肉塊に見えたのは突飛ではない。
[編者註80-1]
『刺し』とは『本番』の一種。
この頃、AVでの本番のあり方が、大きく急激に変化してきていた。
それまではゴム付きが基本だった。
前張りをしての擬似本番も通常だったし、スポイトで擬似スペルマの顔射も通常だった。
それが一気に、生挿入の中出しの本物精液というのが、トレンドというか流行というか解禁されたかのようになっていた。
要は売れていた。
『刺し』というのは、生挿入の中出しの本物精液のほう。
現場の男性同士で使われていた。
たしか国際政治学者の大落合大信彦大先生もそういっていた。
[編者註82-1]
正確には落合信彦。
インターネットがない時代に国際電話代が月に200万だといっていた国際政治学者。
世界中の諜報機関の幹部や政府高官に情報ソースあり。
90年代には多数の本を著して本屋には平積みされていて『東大生に一番読まれている』との評があった。
大落合・・・というのは賞賛だと筆者の田中の弁。
そのくらい若者に影響を与えたという意味が込められているとのこと。
ナニワ金融道の著者の青木雄三だけが、政府発表の一億総中流を信じて中流だと思っているアホが実は貧困や、と言いきっていた。
[編者註82-2]
青木雄三は筆者の田中の勘違い。
青木雄二が正確な名前となる。
デザイン事務所を経営ののち、45歳で漫画家デビューして90年代に《ナニワ金融道》は1000万部を超えるヒット作に。
無神論者、マルクス主義者、関西人、ヘビースモーカー。
2003年、肺癌により58歳で死去。
成人誌で総ギャラ10万は安い仕事だった。
[編者註82-4]
成人誌とは、平たくいえばエロ本。
コンビニ発売のエロ本のヌードグラビアだと、素人の女の子であっても、沖縄で1泊して総ギャラ15万からが相場でもあった。
この直後から、いわゆる《出版不況》も《書店減少》も本格化する。
湘南あたりの日帰りで総ギャラも10万が相場となるのに2年もかからない。