犯罪者の特徴


音楽を忘れていきそうな感覚

運動が終わると、調べがある者が次から次と呼ばれて出房していく。
房内に残っている者は、自分を含めて3名。
あとは205番と、弁護士の接見待ちの暴行の352番。

ただ何事かを待つかのように、房内で1日過ごすのも気が滅入るものだった。

本を読んでいると、かすかに歌声が響いた。
隣か、その隣かの房で、歌謡曲を口ずさんでいる者がいる。

平井堅か。
『瞳をとじて』だ。
しかもかなり上手。
外廊下に向けて歌っているのか、いい具合に響いている。

そのうち熱唱になってきている。
寝そべって雑誌を読んでいる205番も、小さく鼻歌で合わせている。

逮捕からは、すべての音楽が遮断される。
いかに社会では、知らずのうちに音楽に囲まれていたのか。

閉ざされた場所で過ごしていると、無限にあるように感じていた音楽が、1日ごとに幾つか忘れていくような感覚にもなる。
忘れないようにと歌いたくもなる。

すぐに社会に出る自分ですら歌いたくなるのだから、これから何年も刑務所へ入る205番はなおさらだろうなと歌声を聴いていた。

日直のチャッキーが歌声に気がついたらしい。
自分のペースと規則は、きっちりと厳守するチャッキーだ。

房前の通路に飛んでくるチャッキーの小刻みな足音がして、素早く歌声は止んだ。

「いま歌っていただろ!だれだ!おまえか!じゃ、だれだ!歌っただろ!おまえか!だれだ!歌うなよ!いいか、歌うな!歌は禁止だぞ!黙ってじっとしてろ!いいか!わかったか!黙ってろ!歌うな!歌は禁止だぞ!歌うな!」

誰が歌ったのかわからないチャッキーは、さらに発狂して、目を剥いて房の前を往復している。

しばらくしてチャッキーが去った。
同時に、また別の者らしい歌声が聞こえてきた。
こちらに向かって飛んでくるチャッキーの小刻みな足音がして、また素早く歌声は止んだ。

手紙の発信は1日1通までの便箋5枚まで

考えごとをしていたのか、黙って座っているだけだった352番が、手紙について205番に訊きはじめた。

普段は手紙など出したことがないのに、おかしなもので、拘束された途端に手紙を出したくなる。
無性に。

手紙の発信は、1日1通まで。
便箋5枚までと決められている。

「便箋と封筒と切手って買えるんですか?」
「ああ、買えるよ」
「どうやって買うんですか?」
「運動のときに係に言ってみ。願箋があるから。でも毎週火曜日だから、もう来週になるな」

便箋と封筒と切手を購入してから書いて発信となるので、突然の逮捕となったら最初の1週間は手紙は出せないことになる。

発信の際には、検閲されてからの投函となる。
内容によっては、不可となる場合もある。

事件の証拠隠滅の疑いがあるもの、記号や暗号が含まれるもの、留置場内の見取り図、他の留置人の名前や称呼番号、などいろいろとある。

なんでそこまで細かく決められてるんだと言っても、なんらかの法律に基づいているのだろう。
檻の中にいてはどうしようもないので、規則に従うしかない。

「あの、住所がわからない人もいるんですけど、どうすればいいですか?」
「それはもう、弁護士に調べるように頼むしかないな」
「そうですか・・・」
「それか、奥さんか」

基本として、逮捕されてから手紙を出すのなら、相手の住所を記憶してなければならない。

自分で住所を調べたいといっても、留置事務所に保管されている携帯や手帳が手元にくるわけでもないし、留置係が調べてくれるといった気の利いたことは一切ない。

外にいる人に調べてもらった場合は、購入したノート持参で面会室に入り、アクリル板ごしに示されるメモや、口頭で伝えられるものを書きとどめることとなる。

自由の身だったら、手紙の宛先を調べることなど2分か3分もあればできるのに、逮捕されると2日も3日もかかるのだ。

「当番弁護士は、住所は調べることはできないっていってましたけど、それが普通なんですか?」
「そりゃ、正規の料金払って依頼しないとだな」
「そうですか・・・」
「当番は、そんな手間がかかることはしないよ」

当番弁護士は、当たり外れがあるのだった。

面倒くさそうに1回のみ接見だけして帰っていく弁護士もいれば、不思議なほど親身となって手紙を送る住所を調べるくらいはする弁護士もいる。

面会

「352番、面会、奥さん」と、落ち着きを取り戻したチャッキーから声がかかった。
勾留通知が届いた奥さんが逮捕を知って、面会に来たのだ。

352番は「えっ!」とすぐに立ち上がり、鉄扉ががちゃりと開けられると、低い出入り口のコンクリートに勢いよく頭をごんとぶつけたが痛がることもない。

うれしくて気が動転しているのか。
「検身」というチャッキーに、片足づつサンダルの裏を見せるときなど、どういう訳か同時に手の平も裏返して見せて、出来損ないのどじょうすくいのような動きになって「もう1回やれ!」とチャッキーに怒られている。

そうして、352番は面会に向かった。

「いま、すげえ頭ぶつけてなかったか?」
「ええ、たんこぶできてますよ、あれ」
「奥さんって聞いて、飛び上がっていたな」
「空中に浮いてましたから」
「まあでも、よかったなぁ、面会にきて」
「うれしそうでしたね」

205番は本を置いて、片腕立て伏せをはじめた。

面会室は、留置場の入口の鉄扉の隣に位置している。
面会するほうは留置事務室の横のドアから入り、面会されるほうは鉄扉の横のドアから入る。

真ん中で仕切られているアクリル板が、そのまま留置場の外と中の境目となる。

面会時間は20分間。
弁護士以外は、留置係の立会いがある。

話す内容が不適切と判断されたら中止になるのだが、係によっては、・・・やすしくらいだったが、椅子に座ったまま寝てるときもあると聞く。
寝たふり説もあるが、本当のところは不明である。

20分が過ぎた。
352番は笑顔で戻ってくると思っていたら、表情は暗く戻ってきた。

房に入ると無言のまま壁を背にして座り込み、膝を抱えて、顔を伏せて声をあげて泣き出した。
いい大人が、膝を抱えて泣く姿をはじめて見た。

面会にきた奥さんから、良くないことを告げられたのだろう。
やけに鳴き声が房内に響く。
205番に目を向けると『そっとしておこう』と顔をしかめて応えてきた。

手紙も出せなくて面会もない接見禁止の自分は、本を読むのをやめて、仰向けになって、目をつぶっていたら寝てしまった。

犯罪の性向

夕食と洗面が終わり布団が敷かれた。
何をするわけでもない1日が終わったのだが、それはそれで疲労感がある。

一日中過ごすにしては床が固いのだ。
布団の上に皆が座り、いつもの座談会がはじまった。

本日の主役は横領の355番。
40代前半。
顔立ちが上品。
歌舞伎役者のような、代々にわたって品がよく出来上がったという顔立ちだ。

そんな顔立ちで、自動車用の塗料の材料のメーカーに経理として勤めて、7年間で3億3000万を横領したのだ。
事件となったのは、1億2000万円分。

「いやぁ、刑事も検事も、真っ先にいくら残っているんだって訊いてくるんですけど、そんなの残らないですよ。ほんとです。そうですよ。だって、使おうと思って横領するんですから。その金を貯めようとは思ってないんで。それに、仕入先の人も抱き込んだ方法もあったんで、バックした分もありますし。その人達ですか?話してないですよ。すべて私ひとりでやったことになってます」

横領した金は、家族にばれないようにマンションを借りて、フェラーリを購入して、あとは愛人と競馬につぎ込んだという。

355番のあっさりとした散財の話し方に、本当の悪人だ、スケベそうだ、現代の打ち出の小槌だ、と各自が囃し立てる。

頭を掻いていた355番は、途中で首を傾げる。

「でも刑事も検事も、お金が欲しかったからやったって決めつけるんですけど、最初は穴っていうのか、こんなふうに帳簿の操作をすれば、現金がなくなっても誰も気がつかないんじゃないかっていう、なんていうのか、経理の欠陥を証明したいっていうか、うーん・・・、完璧を目指したくなったんでしょうね。で、試すつもりで300万をわざと簿外に置いてみたのが最初なんですよ。それで決算しても監査も気がつかないし、税理士も税務署も通るし・・・。で、お金はあったから使ってみたっていう順番なんですよ」

座長の205番は犯罪性向が違うのか、355番の告白にはピンとこないようだったが、自分は「わかるうぅ」と興奮した。

不正アクセスで逮捕されたハッカー
「最初はそのつもりはなかったのだけどシステムの穴に気がついてしまって、試すつもりで、つい侵入してしまった」

以前にテレビのニュースをみてるときに、不正アクセスで逮捕されたハッカーが『最初はそのつもりはなかったのだけどシステムの穴に気がついてしまって、試すつもりで、つい侵入してしまった』との弁にも『わかるうぅ』と興奮したのだが、今回もそれに近い。

犯罪者の気質

ふと、穴に気がつく。
穴、なのだ。
あるはずがない穴だ。

なんだろうと、なにがあるのだろうと、つい覗いてみたくなる。
なぜ穴があるのか考えてしまう。
この穴の奥にはなにがあるのか知りたくなる。

試してみたくなる。
確かめてみたくなる。
これもどうかと熱中してしまう。
結果、えらいことになる。

最初はそんなつもりはなかったのに。
ごめんなさい。
という流れだろうか。

自分の場合は、横領でもハッカーではないが、言っていることは似ていて、やることは女性に対してである。

女性には誠実に接したい。
大切にもしたい。
本当にそう思っている。
が、穴に気がつく。
穴、なのだ。

不気味な穴だが、なにがあるのだろうと覗いてみたくなる。
内部が知りたくなる。
確かめてみたくなる。

こんなふうにしたら、どうなるのか?
こうしたら、そうなるのか?
そんなことしたら、こうではないのか?
こんなことしてもいいのか?
あんなことしてはダメなのか?
ああしたら、どのようになるのか?
こんなことして大丈夫なのだろうか?

結果として、AVに出演させて泣かせてしまった、風俗で働かせて疲れ果てさせてしまった、お金を騙し取ってしまった。

不幸にしてごめんなさい。

女性に対しての悪事の経緯は、おおまかには以上のようである。
最初は穴だったのだ。
最初から金を狙ったのではないのが、335番によって分かった気がした。

横領が露呈した理由

355番は刑務所は確実だというのに、吹っ切れたというのか、清々したというのか、達観したような表情。

会社から賠償請求はされるようですし、懲役5年以上はいくと弁護士に言われてます、と動じない。

横領の方法は完璧で、いずれすべてが5年の時効になってました、と満足そうでもある。

じゃ、どうして横領が露呈したのかというと、営業部が資料を作成したところ、原価がかなり跳ね上がる月日があった。

なんでここだけ原価が異常に高いのだろう、というところから判明したとのことだ。
経理としての帳簿の数字合わせの操作は完璧にできていても、やはりどこかにしわ寄せがあって、部外で原価の高さとして現われたのだった。

そんな営業の資料は作成されたことがなかったので予想がつかなかった、と残念そう。

355番の横領事件は新聞記事にもなっている。
面会にきた奥さんからは離婚を迫られていて、大学生の娘からは親子の縁を切るとの伝言もあり、高校生の娘からは早く自殺してほしいとの伝言もあったと皆を慄かせて、愛人は面会にもこないとヤケクソ気味に言うことで、皆を笑わせもした。

205番が「億単位で人様のお金で遊んだんだから、そのくらいはないとなぁ」とおどけて笑った。

犯罪ではあるが、被害者がいるのは承知してるが、ばかばかしさに笑うしかないのだ。

この時間帯の笑い声は、日中に比べるといくらかは見逃される。
規則にこだわるチャッキーも、とくには反応はしない。
暴行の352番も笑っている。

離れるか深まるか

笑いが収まると、その352番は恐縮そうに面会の話をはじめた。
奥さんとの面会のあとに泣いていたことで、気を遣わせたと感じていたのか。

面会にきた奥さんは怒ってはなかったという。
それどころか体調を気遣ってくれて、事実を確かめて少しだけ怒ってから、でもあなたを信じてるといきり立って、相手からの1000万の請求にはこっちも弁護士を雇って戦うと激を飛ばして、すぐにここから出してあげると励ましてくれて、ありがたくて思わず泣けてきました、と照れ笑いをした。

悪いことがあって、落ち込んで泣いていたのではなかったのだ。
まぎらわしい。

しかし、ほのかな心地よさを感じた。
ここに入ってくる者の運のなさは、・・・身勝手な運のなさは、毎日あちこちから噴出しているので、352番のような幸運が披露されると、一同にほっこりした空気が流れた。

チャッキーが物音を立てて、ワゴン台車などを動かしはじめた。
消灯の21時が近づいた様子だ。

「まあ、こういうときの女って、離れるか深まるかのどっちかだな。極端なんだよな。俺も、こちらさんも離れちゃったけど、352番さんのほうは深まったんだな。愛だな、愛。うん。よかった。じゃあ、今日は、これでお開きにしようかね」

座長の205番がまとめた。

各自が布団に入る。
昼間に寝てしまったので寝れないかもな、と天井を見つめていると蛍光灯がパパッと小灯となった。

全員が同時に「おやすみなさい!」と声をあげた。
強盗傷害の341番が「なにかの宗教みたいですね」と呟いて、1週間前までは泣いて脱力してるばかりの彼が元気に呟いたのがなおさらおかしくて笑った。
それぞれも笑っていた。

消灯後の笑い声に、チャッキーが反応したらしい。
房前に飛んでくる小刻みな足音がひたひたと迫ってきて、素早く笑い声は止んだ。

– 2021.06.19 up –