青木ちえみ、24歳、会社員からSMクラブ、新宿駅東口でスカウトして


女性に最初に声をかける言葉はなんでもいい

新学期が始まるころ。
スカウトは一段落し、いつもなら帰る時間。

が、アルタ前広場の鉄柵に腰掛けて、これからどうしようかと迷っていた。
週末だからか、夕方になっても引かない人出が、春になったのを思わせる。

目からだけではない。
鼻で空気を吸っても、それは冬から春の記憶にカテゴライズされた。

生暖かく、湿り気がある都内独特の微風だった。
だいぶ湿り気が含まれてきたが、まだ不快さはない。

街路にはリズムがあった。
アルタからの大音響、ざわざわした話し声、時折の歓声、エンジン音、人の動き、空気の動き、それらがすべて交わってリズムが放たれていた。

1人でスカウトしてると、気分によってこのリズムに飲み込まれたり、リズムを飲み込むように力づけられたりを繰り返す。

このときは楽しい気分になっていた。
1週間のうち、5日はつまらない顔をしてるだろう自分には、この気分は貴重な時間だと自身で分かってる。

そのせいだろうか、今日のスカウトの調子はよかった。
こんなときはいい事がある。

薄着になってきた女のコがチラホラと通り過ぎるのを眺めていて、よし、ナンパできたら飲み、ダメなら佐々木を誘ってクラブで始発帰りまで、と決めた。

ブラッとアルタ前を歩いて、通りかかったOL風に「あれ!」とサクッと声かけて、サクッと素通りされる。

次に通りかかった女のコに「あれ!」とアホみたいに声をかけたら、やはりアホみたいにあしらわれた。

3人目に「あれ!」と適当に指を差した女のコが、突然、立ち止まった。
適当といっても、歩調からどうせ素通りだろうと感じていただけで、ヒールにデニムが似合っている彼女に少し慌てて続けた。

「あれ!」
「あぁ、それって・・・」
「え、なに?」
「読者モデルやってないってやつでしょ?」
「あれ、わかるの?」
「もう、これで3度目」
「あれぇ」
「渋谷でもやってたよ」
「あれぇぇ」
「それ、流行ってるの?」
「いや、オレらが元祖だよ、元祖!」
「そんなのあるの?」

『あれ!あれ!』と声をかける方法が、あちこちで流行りはじめたかのようだった。
驚いたように「あれ!あれ!」と声をかけてから「読者モデルやってない?」と訊くのだった。

この『あれ!あれ!』の元祖を名乗りたい。
ファッション雑誌の読者モデルが、テレビなどで取りざたされていた。

そんなこともあり、3日前にヒロシが思いついて、試しに使いはじめたのだった。
今まで「すみません!横浜ベイブリッジってどこですか?」などと、第一声の変化をいろいろと試しているヒロシだった。

『あれ!あれ!』はなかなかの意表を突いていて、女のコも素通りしていきながらも笑っている。

それがまずスカウト通りで広まって、新宿駅前まで広まったのは気がついていた。
3日のうちに渋谷まで伝播したのは知らなかった。

スカウトとナンパの違い

20代半ばぐらいの彼女も、ナンパだとわかった様子だった。
夜の仕事ではなさそう。

この時間だから、仕事帰りというところか。
急ぐ素振りもない。

自分の楽しい気分に呼応するように彼女に笑みが浮かんで、それに対して自分のアホも止まらなくなった。

しばらくして切り出した。

「じゃあ、ちょっといっちゃう?」
「どこに?」
「飲みに」
「ダメだよ」
「待ち合わせ?」
「うん」
「何時?」
「もう、そろそろ」
「カレシ?」
「ううん。友達」

どんな約束なのか、場所換えできるか、後日にしたほうがいいのか、などと流れを探しながら、突っこみを入れて、名前を訊いて、番号交換をして、とスカウトのときのように作業されようとした。

が、スカウトとナンパは違う。
何が違うかというと、目的が違う。
だから、作業もズレる。

おどけて彼女の腕を突付くいてみると、かわいいい声で笑っている。
表情と、仕種と、声色が愛嬌で覆われた。
その愛嬌は健全すぎる日常を示していた、といっても言い過ぎではない。

このまま愛嬌に合わせて、こちらも健全に調子を合わせるのか、もう1つは、それをかぶりモノとして剥ぎ取りにかかるのか、いずれかに直面したのは感じとれる。

同時に、ある種の疲れというのか、ダルさともいうのか、ともかくそれらが圧し掛かり作業をするリキが落ちた。

親しみとも、曖昧ともとれる笑みが浮かんだのを機に「じゃあいいや、それじゃ」とバイバイした。

なんだろうか。
この、どうしようもないダルさは。

後から順を追って考えていくと、そんな愛嬌に倦怠期が来てる気がする。
その時、その場で確かなものは、本当だと感じられるのは、一瞬にでる表情と言葉でしかない。

愛嬌がかぶりモノだと思えるのは、表情と言葉、言葉と表情の隙間に見える素の部分を、掴みどころをなくすように隠してしまうからかもしれない。

女のコは誰もが愛嬌を持ち合わせているのに。
そんな当たり前の事に簡単に打ちのめされた。

愛嬌がうっとうしくて

また鉄柵に腰かけて、チエミに電話しようと思った。
半年ほどまえの遅い時間に東口で声をかけたとき、彼女は話していて面白いと感じた。

大学の国文科で、自作の官能小説を書いていたとも言う。
自分の周りには、文章を書くという行為をバカにしてしまう類の人間ばかり。
お茶をしたのは、自分のほうから彼女に興味が湧いたものある。

それからは「エッチはナシだよ」としっかりと釘を刺されてから、終電帰りの約束で歌舞伎町のクラブにいった。

広告代理店に勤めている社会人だから、日常も充実してる感じもしたから、AVも風俗も難しいな・・・という見極めはあった。

が、スカウトを諦めさせられた少しの腹立たしさはあって、キスの代わりに耳たぶは噛んだだけだった。

数日後に彼女から電話があって飲みにいったのは、スカウトぬきになっていた。

で、セックスは出来ず。
頑なに拒まれた。

この前、耳たぶを噛まれて「ひゃっ」なんていって身震いしていたのに。
できると盛り上がっていたのに。

できないのは不快感が沸いてくる。
例えれば、気持ちいい音楽が途中で勝手にブチッと止められたような不快感。

もっとも、彼女には全く非がない不快感。
だけどこっちは気持ちがしらけて、彼女が見せる愛嬌がうっとうしく圧し掛かった。

それ以来。
果たしてどういう反応なのか見当もつかないが電話してみた。

すると、彼女は明るく電話に出た。
今、渋谷駅のホームにいるという。

「遊ぼうよ」
「これからいくところあるから、遊びにいくのはムリだよ」
「うん。じゃ、また、こんどにしよ」
「でも、ちょっと会いたいな。20分くらいしかないけど」
「うん。会お、会おう」

彼女がそう言ったのは、びっくりも、うれしくさも同時にきた。
東口交番前で待ち合わせた。
10分ほど待つと、背が高めの彼女の姿が見えた。

「おぉ、ひさしぶり」
「あぁ、田中さん」
「髪、明るくしたんだ」
「うん」

雰囲気が変わったと感じたのは、髪の色が大分明るくなっているからだとすぐ分かった。
手を伸ばして毛先を撫でると、彼女は小さく笑った。

「田中さん、痩せたね」
「最近、イメチェンしたんだよ」
「そうなの?」
「うん、ダイエット成功したの。もう、うさんくさくないでしょ?」
「うーん」
「うさんくさくないだろ!」
「ハハハ」

どちらともなく東口の信号に向かって歩いた。
はしゃぐように話してると彼女が言う。

「じゃあ、20分くらいお茶する?」
「20分でお茶なんかできねーよ」
「・・・そう」
「ク、クレープ食べようか?」

つい、強めにぶっきらぼうにいってしまった。
あっ、しまった・・・と彼女の顔見ると、少し伏目がちになっている。
優しく言い直して、歌舞伎町交差点のマリオンクレープに向かった。

「あーあ、2人でクラブいきたかったな」
「何人目でわたしに電話したの?」
「なにいうんだよ!マジでチエミだけだよ」
「ふーん」
「発信記録見せようか?・・・ほら。チエミだけだろ?」
「ほかの削除したんでしょ?」
「そんな芸が細かいことできないよ!」
「ふーん」
「チエミだって電話くれなかったくせに。よくいうな」
「わたし、何回か電話したよ」
「オレも電話した」
「メアド、変えたでしょ?」
「うん。なんか出会い系のメールがやたら来てさ」
「出会い系ばっかりしてるんでしょ?」
「ううん、してないよ。でもさ、ルス電に入れてくれれば、折り返したのに」
「お友達から、外されちゃったのかなって思ったよ」
「お友達かよ」

本当は、あれ以来から電話してなかった。
あのとき、ホテルいくいかない、で彼女とやり合ったのが自分でもマヌケに思えて、電話とメールの着信はわかったが折り返しはしてなかった。

仲良くなりすぎるとAVなんて勧められない

実際問題として、自分のスカウトは友達づくりが目的ではない。
しかし彼女に『お友達』と言われて、悪い気など全然しなかった。

「女友達ってできないものだね」
「そう?」
「こんなことやってるとさ。やっぱりね」
「ウン・・・」
「それにさ、あまり仲良くなるとさ、AVなんて、まあ、風俗もだけど、そんな簡単には勧められないよ。オレはね」
「そうなんだ」
「嫌われるぐらいが、ちょうどいいかもしれない」
「ふーん」

『以外だね』というような返事だった。
それが、彼女は男友達が多いのだろうなと思わせる。

応えた横顔は何かを言いたそうで、もし、それを彼女が言えば諭されてしまいそうな、聡明な表情を持っていた。

社会の不適合者には、その表情が一般常識そのものにも見える。
そして自分なりにスマートに、それに接することに公然としてスカウト通りを歩くと、良識のある男性として雑踏に溶け込んでいるようだった。

彼女と話しながら歩いているときに、そこまで感じていたとは言わないが、他のスカウトマンがヨタ者に見えたことは確かだった。

そんな気分でマリオンクレープまで歩いた。

「なに食べる?」
「どれにしよう」
「オレは生チョコカスタード」
「じゃあ、わたしも」
「あーあー、いろいろあってさ。なんかチエミに聞いて欲しいよ」
「いいよ」
「またこんど時間あるときにさ」
「うん。わたしもいろいろあったよ」
「カレシが出来た?」
「広告代理店辞めたの」
「そうなんだ」
「・・・」

さっきまでの、良識ある男性の心地よさが、このまま深刻な話になったらどうしよう、と何処かで思わせたのかもしれない。

それ以上の言葉を注意させて選ばせていた。
そうすると彼女が言う。

「それでね」
「ン・・・」
「いま風俗やってるの」
「エ・・・」
「・・・」
「そう。・・・ヘルスとか?」
「ううん。M嬢」
「M嬢か・・・」

サラリと彼女は言ったが、自分はびっくりした。
さっき電話したとき「会おうよ」と言われたことよりもびっくりした。

だけど、それもほんの一瞬。
その後はM嬢の彼女になんとなく頷けた。

「チエミが風俗って以外だけど、それほど違和感はないな」
「そう?」
「チエミってさ、スケベじゃん。だけどさ、なんていうのかなぁ、好奇心が強いスケベさっていうのかな」
「ウン」
「なんかその、ガバーとさ、なんていうのかな、肉欲バリバリのエロってよりも、うーん、どこか知的っていうのかな」
「ウン」
「知的なスケベさ、あっ、官能っていうの?」
「ウン」
「そんな気がする」
「・・・」

繰り返していえば、彼女は好奇心が強い女のコだった。
大学で官能小説を書いていたことも思い出した。

だから彼女にとっては、風俗への敷居は低かったのかもしれない。
自分は大まじめに言ったつもりでも、彼女が笑いだした。

「アハハハ」
「そこ、笑うところじゃないだろ」
「だってさ。なんか、田中さんと話してるって感じで」
「・・・やっぱ、変かな?」
「ううん。・・・わたし、声かけられて仲良くなった人って田中さんだけだな」
「えっ。また、うまいな」
「ホントだよ」
「うれしいこというな。クレープだけでいいのか?ジュースも頼もうか?」
「アハハハ。クレープ代、わたし出すよ」
「いーよ」
「出すよ」
「そっか。それじゃ、クレープぐらいゴチになるか」
「うん」

彼女がサイフを取り出して代金を払う仕種を見ていた。
それからクレープを「ハイ」と手渡たしてくるときに笑みがあった。

なぜ、風俗嬢になったんだろ。
なぜ、M嬢なんだろう。

一度でも客として値踏みされない

歌舞伎町交差点
歌舞伎町交差点を靖国通り沿いにちょっと離れて見て

たぶん最初に声かけたときに、クラブになんか遊びにいかなければスカウトできていたかもしれない。
次に会ったときの、やりたがりの様子を見せたのも余計だった。

失敗だったのか。
まあいい。

クレープに口をつけて「どこか座ろ」と少し歩いた。

「チエミさ、SMに興味あるの?」
「うん」
「オレもあってさ。・・・SM界の先生って知ってる?」
「団鬼六?」
「うん。あと明智伝鬼とか、志摩紫光とか。M嬢だったら、一度会ったほうがいいな」
「ふーん」
「あ、そうだ。SMのAVやってみてもいいんじゃないかな?」
「ハハハ」
「いやいや、ほんとに。オレも仕事がらみで会ったけど、AV業界で先生っていえるのは、その先生だけだな。それからSMに興味もって。それでさ、思わずマイロープ買ったよ。赤の」
「ハハハ、私は黒がいいな」
「亀甲縛りできるようになったし。考えてみれば、言葉責めも好きだしな」
「そうだったんだ」

歌舞伎町交差点で、立ち止まったまま話していた。
そして彼女は、自分が大嫌いなことを口にした。

「いつでもお店にきてよ」
「オレはいかない」
「どうして?」
「カネ払ってセックスって悪趣味だな」
「・・・そう」

彼女が伏目がちに、チラッと自分をみた。
また、戸惑いが目に浮かんでる。
こういうところは、本当にわかりやすい女のコだ。

そしてその戸惑いが、風俗嬢になった彼女に対しての誤解にとられた気がした。
悪趣味の男を相手にしてる仕事、とでもとられたのだろうか。

「いや、風俗がどうのこうのってことじゃないよ」
「・・・ウン」
「オレ、じっさい客になって店いったら、すごくイヤな客になると思う」
「・・・ウン」
「なんとなくさ。もちろん、良いお客だっているだろうし」
「・・・」
「まあ、オレの都合だよ」
「・・・」
「うまく言えないけど」
「ふーん、・・・純情なんだね」
「・・・」

彼女はカン違いしていたが、そういうことにしておいた。
非常に鈍くさい自分でも、彼女から多少の好感は感じていた。

しかしそれは、どうにでもとれる好感だというのは分かっている。
それでも、そんな好感を彼女からは受けていたい。

だから、彼女に1度でも客として値踏みだけはされたくない。
自分の考え過ぎかもしれないが、1度でも値踏みされたら、彼女との繋がりは変化してしまうのではないのか。

同じように自分も、スカウトの対象として彼女を捉えたら、どうにでもとれる好感が、どうでもよくなる気がした。

自分だけの都合を、彼女にわかり易く伝えることが出来なかった。

仲良くなると甘えが出てくる

そんなことしてるうちに、待ち合わせてから20分くらい経った。
彼女は「今日なにも食べてない」っていいながら、クレープ食べ終わった。
自分のクレープは半分くらい残っていた。

「店はいつ休み?」
「決まってないけど、日曜日は出ないときが多い」
「そのとき時間ある?」
「あ、休みの日はね、引きこもりの日なの。外にはでないんだ」
「じゃあ、オレと一緒に引きこもろうか?」
「アハハ。ウチはちょっとな。いくんだったらいいけど」

せっかく彼女がそう言ってきているのに。
智子が邪魔だなと、うな垂れたい思いだ。

「そっか・・・。まあ、こんど電話ちょうだい」
「うん。・・・これからどうするの?」
「クラブいって酒でも飲むかな」
「1人で?」
「うん。しょうがない」
「1人じゃさびしいね」
「うん。まあ、オレ、1人遊び好きだから」
「ふーん」

そんな話をしたら、彼女もそろそろ時間だなって思ったのが、なんとなくわかった。
だから「それじゃ、また、こんど」って言うと、彼女はほんの少しの間を空けて、またにっこりと笑みを作ってやさしそうに言った。

「クレープ食べ終わるまで、一緒にいようか?」
「いいよ。時間だろ?」
「さびしくないの?」
「ガキじゃないんだから!!」
「フフッ」

お互い少し笑ってから、「じゃあね」と彼女は雑踏に加わった。
その姿をみとどけて、まだ半分くらいのこっているクレープを食べながら、靖国通りの向こうの夜空を見た。

そして「さびしくないの?」と言った、彼女の表情が引っかかった。
考えてみれば、こうして男が1人でクレープなんて食べている姿が、彼女にはさびしげに見えるのだろう。

というよりも、彼女はさびしがり屋なのだろう。
以前、彼女と飲みにいったときのことを思い出した。

カレシがいないという、彼女のそれまでの態度から、お泊りはOKだという気がした。
だけどウダウダいうから、がっかりとメンドくささでバイバイした。

そのあとになり、そっけなく別れたから、ちょっと悪かったなって少しだけ思う。
彼女は電車に乗っている頃だったが電話した。

すると、彼女は電話に出たとたんにしくしく泣きはじめた。
自分が泣かせたような気分になって、思わず「どうした?」と訊くと、「ゴメン、ときどきこうなるの」と、また、しくしくして終わらない。

女のコのこういう言葉と態度は苦手だ。
理解しようと努力はしてみた。

面白くもないトレンディードラマ見たり、少女マンガ読んだり。
しかし、あまりよく分からない。

そのとき彼女は会社員だったから、てっきり、仕事でイヤなことでもあったんだろう・・・と感じただけだった。

あのとき彼女は、1人がさびしかったのだろうか。
そういうときどうすればいいのだろう?

すぐにでもまた会えばいいのか、ありきたりにそっと抱きしめてやればいいのか、なにかセリフでも言えばいいのか。

でも、自分がやるとすごくさえないごまかしに感じてしまう。
それにスカウトの優しさは口先だけがよくて、行動で示しては逆効果になる。

いずれにしても、彼女の愛嬌に接し過ぎた。
今さらAVのスカウトもできないだろう。

クレープも食べ終わった。
持ち手の部分の紙を丸めて車道まで弾いた。

『あれ!あれ!』もしょうもないなと、彼女も逃がしたなと、今日は会わなくてもよかったなと、ため息が出てきた。

– 2003.9.12 up –