駆け込んできた私服の捜査員
その日の時間は、17時30分過ぎ。
客は混んでいた。
自分はこれから遅番。
交代する早番の竹山とフロントで話をしていたとき、人感チャイムがピンポンと鳴って、受付に出た村井の「いらっしゃいませ!」が聞えた。
続けてもう1回、ピンポーンと人感チャイムが鳴る。
いつもの癖でモニターに目を向けると、来店者の姿はエレベーターからではない。
モニターの隅に映る階段を、タッタッタッと2人の男が並んで小走りで上がってくるが映っている。
2人とも野球帽にTシャツ。
直角に曲げた腕を腰に当てた姿勢で、早めのテンポの小走りで、2人が階段を上がりきるところだった。
異様なのはそれだけではない。
同じテンポの小走りの男が、2人、4人、いや6人、いや8人と列になって規則正しく階段の下から続いている。
全員とも私服姿だが、ただごとではない勢い。
「マズくないですか?」と、竹山が不吉な声でつぶやいた。
村井にドアロックを伝えようと、カーテンに手をかけた。
しかし、それよりも早く「オイ!コラ!」という怒声が入口から聞こえた。
客を装っていた先鋒が、ドアの解放を試みているのを察した。
カーテンの向こうには、店内に駆け込んでくる足音だけがいくつも聞えて、今度はフロントに姿を見せるのかと身構えていると、一団の足音は素通りして、案内のカーテンから個室が並ぶ通路に直進している。
一団は店の構造を把握しているのだ。
それぞれが一斉に個室のドアノブをガチャガチャさせて、どんどんと叩いて「あけろ!」と声を張り上げている。
「キャッ」という女の子の短い悲鳴に「オラァッ」との荒っぽい声に「ゲンニン!ゲンニン!」と叫ぶ声も。
どうにもこうにもしようがない。
逮捕状と手錠
いつの間にか竹山は、フロントからいなくなっている。
ノートパソコンの上に、彼が尻ポケットに入れていた店の長財布がちょこんと置いてある。
こんなにも素早く動いた竹山を見たのは初めてかもしれない。
感心してる場合ではなかった。
店内が一気に、険しさのある騒がしさに変わっている。
「そのまま!」「こっち!」「うごかないで!」と大声が聞えてくるなか、竹山が残した長財布を尻ポケットに入れて、あとは隠すものはないか辺りを見回した。
フロントのカーテンをめくり、警察のパスケースをかざしながら、3人の捜査員が無言のまま入ってきたのは最終段階だった。
最初の「オイ!コラ!」の怒声から、2分か3分しか経っていなかったのではないか。
「田中賢一さん?」
「はい」
「なんで警察がきたのか、わかるな?」
「ええ」
メッシュベストにTシャツの捜査員が、1枚の書類を示した。
字が細かくて、なにが書いてあるのかは読めない。
「これな、逮捕状でてるから」
「ええ」
「風適の禁止区域内の営業な」
「はい」
さっきまでの怒声とは一転して、落ちついた声だった。
もちろん抵抗するつもりなどない。
ひと呼吸してから、両手を揃えて差し出した。
手錠を手にしていた野球帽が1歩進んで、カチャカチャと金属音をさせて輪を開いた。
以外に、丁寧すぎるほどに、手錠がはめられた。
手首との隙間を覗き込みながら、カチカチと手錠の輪の大きさを少しづつ調整して、それ以上は輪が小さくならないためなのか小さな鍵でロックされた。
手錠の鍵がロックされたのを見届けて、書面を持つメッシュベストが声を挙げた。
「確保!」
「はい!17時42分!」
野球帽が腕時計をかざして、大声で時間を読み上げた。
いよいよ逮捕となったのだ。
証拠写真の撮影
フロントの入口の2枚のカーテンが全てまくり上げられると、店内は捜査員でいっぱい。
10人ほど目につくから、個室に立ち入っていたり、出たり入ったりしてる者まで含めると、一団は20名ほどはいるのではないか。
「おーい、音楽消して!」とフロントの外から声がかかり、有線のスイッチを切ると、捜査員同士の話し声でやがやしていた。
たかだか風俗店1件の摘発に、こんなにも捜査員がくるとは予想もしてなかった。
手錠には黒い縄が通されて、その縄は腰に回して結わえて、端をウェストポーチの捜査員が持った。
しかし捜査員の服装のセンスである。
メッシュベストといい、野球帽といい、ウェストポーチといい、なかなか街中では見かけない格好をしている。
目立たないようにしたのだろうけど、かえって印象に残る。
ポケットの中身をすべて出すことからはじまった。
ひとつひとつ確認をして、それらは私物として自分のバッグの中に収められた。
次はカメラを持った捜査員がきた。
「写真を撮るからな」
「はい」
「で、これは、お客さんの付回し表か?」
「ええ」
「じゃ、撮るから、これ、指差してくれるか?」
「はい」
営業をしていた証拠となる物品を、1点、1点、指を差す写真を撮っていく。
ちなみに拒否をすると、物品と一緒に拒否をしている姿が撮られる。
とりあえずは、なんでも撮られる。
まずは、リスト、入客表、伝票などの書類。
次いで、割引チケット、プロフィール、会員証といった制作物も。
ノートパソコン、プリンター、防犯カメラのモニター、内線といった備品も。
指差し写真を撮ると、それらはすぐにダンボール箱に入れられて、外に運び出されていく。
途中で、店内に姿を現したのは “ 西郷 ” だった。
先月、店に来たオールバックにスーツの四角い顔の、あだ名を西郷と付けた刑事だ。
居合わせていた全ての捜査員が敬礼をした。
それに軽く応えた西郷が、声を落として自分に話しかけると、傍らで腰縄を持つウェストポーチが1歩ばかり身を引いた。
ここの誰よりも、西郷は上位の階級なのだ。
「田中君」
「はい」
「今回、店を閉めなかったからこうなったけど、それはわかっているよな?」
「はい」
「うん。まあ、過ぎたことをいっても仕方ない。法律で決められてるからな」
「はい」
「それで、石垣は関係あるのか?」
「いえ、ありません」
警察はオーナーの存在がわかっているんだ。
内心で焦る。
大丈夫だろうか。
一気に不安がかすめて、声が上ずりそうになる。
「そうか。関係ないんだな」
「はい」
「田中君が経営者でいいんだな?」
「はい」
「じゃ、それはそうだと、今後の調べでもいえるな?」
「はい」
「途中で変えるなよ」
「はい」
西郷はそれだけ確かめると、捜査員に挨拶して店から出ていった。
言われなくても「私が経営してました」と取調べで供述するつもりだけど、わざわざやってきて小声となって念を押すようにして確かめていったのが気になる。
手錠をかけれたときには落ちついていたのに、今になって心臓が高鳴っている。
返金客は警察の協力者だったのか?
指差しの証拠写真の撮影は、受付に場所を移した。
料金表や基本プレイのラミネートを指差して撮っていると、別の捜査員がきて話しかけてきた。
待合室にいた客が、その少しの馴れ馴れしさがある捜査員の後ろに立っている。
「なぁ、店長さん」
「はい」
「この、お客さんなんだけど」
「はい」
「まだ、女の子、ついてないっていうからさ、代金、返してやってくれないかな?」
「・・・」
「いや、ムリにとはいわないけど、まだだっていうからさ、どうかな?」
「・・・」
「ね、店長さん。たのむよ」
「そうですか」
警察といえども、摘発したとしても、逮捕したとしても、『返金しろ』とは言いきれないらしい。
待合室の客はどこか小ずるい目をしてたのが、警察の協力者だったのかもと引っかかる。
気分としては『知るか!』と突っぱねたいが、不運なだけの客かもしれないし、ここで小さな抵抗して先も長いしなと、ため息をついた。
とにかくも全額を返金した。
待合室の客が帰されると、個室でプレイ中だった3名の客も順々に帰されていった。
客が罪に問われることはない。
とはいっても突然にプレイを中断されて、着替えを終えてから身元確認をされたのだった。
証拠写真が一区切りして、腰縄を持つウェストポーチと一緒に入口の手前に立たされていた自分は、帰っていく3名の客に「すみませんでした」と頭を下げた。
それは上辺だけでない。
本当に謝意はあったのだが、不運な3名の客は目を合わせることもなく、逃げる足取りで店を出ていった。
必死の抗弁
通路のほうでは、誰かが声を荒げている。
竹山だった。
抵抗しているかのように、大きな声を上げていた。
こんなに必死になっている竹山の声を聞いたのは初めてだった。
フロントを素早く飛び出してからは、誰か女の子の個室に逃げるつもりだったのが、すでに捜査員がいたので咄嗟にトイレに駆け込んでいたらしい。
客のふりをしていたところ、店の関係者だと捜査員に咎められたのか。
「店にはいましたよ!ええ、いましたよ!今日もいましたよ!それがどうかしたんですか?だから僕は田中社長と友達なんで!そうですよ、遊びに来ていたんですよ!遊びにきてはいけないんですか?はい?ええ、手伝いましたよ!ええ、頼まれたんで!友達なんで!それがどうかしたんですか?友達は手伝ってはいけないですか!そんなの僕は知らなかったです!好意で手伝ったんで!なにがいけないんですか!」
日頃から主張というものを全くしない竹山が、必死になって聞こえよがしに叫ぶのは、話を合わせてほしいと助けを求めているようだ。
確かめられたら、彼の言うとおり友達なだけで、頼んで手伝ってもらっただけで、店には関係ないと突っぱねてやろうと耳にしていた。
竹山の抗弁は通ったのか。
身元と連絡先の確認はされたようだ。
申し訳なさそうに顔をしかめて入口に現れて、静かに目礼をして店から出ていった。
警察署での事情聴取
腰縄を持つウェストポーチと入口の手前に立ったままなのは、退出させる者を見送るためなのか、その際に手錠姿を見せるためなのか。
身支度を整えた女の子たちも、このまま帰されるのが捜査員のやり取りから伝わってきた。
女の子の泣き声が聞える。
その女の子は、新宿署で事情を聞かれてから帰されるようだ。
泣くのをなんとかしてあげようと、女の子同士で声をかけ合っている様子だった。
誰が泣いているのだろう。
気になっていると「じゃ、この2人、署まで持っていくよ」と捜査員の声がした。
途端だった。
「フザけんなよ!あたしら物じゃないんだよ!なんだよ、持っていくって!」と怒声が飛んだ。
ナナが噛み付いているのだ。
別の捜査員に「まあまあ」となだめられても「アンタたち、そういうところ気をつけろよ!」と店内に声を響かせている。
あの人懐こいばかりのナナが、うだうだとしてばかりのナナが、これほど烈した声を出すとは。
「何様のつもりだよ!」とナナは噛み付き続けて、捜査員は黙っているのか声は聞こえない。
聞いていて気持ちいい。
在籍最古参の貫禄すらある。
頼もしいなと思っていると、捜査員が大泣きしているトモミを伴って入口に現れて、そのまま自分に気がつくことなく連れられていってしまった。
次に捜査員と現れたのはシホだった。
新宿署で事情聴取を受ける2人は、トモミとシホだった。
いつもと同じく「おつかれさまです」とぺこんと頭を下げるシホに「ごめんな」と声をかけると、ムスともニコともせずに前を通り過ぎていった。
ひと味ちがう頼もしさを感じさせた。
そして女の子の頼もしさに感心してる場合ではなくて、さっきのナナが怒鳴ったくらいのことは自分がしないといけないのになと少しうな垂れていると、当のナナが捜査員と共に入口に姿を見せた。
チラッと手錠と腰縄に目を落としたナナは「ケンさん、元気だしなよっ」と明るい声で足を止めた。
捜査員に前に進むように促されながらも「どうしたの?だいじょうぶだよっ」と腕に手をかけて大きく揺さぶってきて、じゃれた笑みを見せた。
よほど自分は、しょぼくれた顔でもしていたのか。
再度、前に進むように促されると「またねっ」と大きく手を振って、捜査員をしゃーといった感じに睨みつけながら店を出ていった。
マユミが続いて姿を見せた。
「ごめんな」と声をかけると、・・・こんな時になんといっていいのかわからずに「ごめんな」としか声をかけれない。
マユミは「ううん」と余裕のある返事をしてきて、なにかを言いかけてからとニコリとして「またっ」と手を上げて指先をひらひらとするバイバイをして店を出ていった。
残りの1人となるフミエにも「ごめんな」と声をかけると、それには応えずに、鼻をおおらかにふっ鳴らして笑ってから、思いきりペコリとして前を通り過ぎて店を出ていった。
個室に待機していたのだろう、手錠に腰縄の村井がうな垂れるばかりで連れられていったのは、いろんな意味で予想外だった。
摘発では逮捕は責任者1名だけで、他は事情聴取ではなかったのか?
それとも村井は48時間で釈放となるのか?
「ニンテイ!」とはなんなのか?
フロントにある備品は、いくつものダンボール箱に雑に詰め込まれて、営業の証拠の押収品として店外へ運び出されていく。
なにもかもダンボールに投げ込まれている。
壁に貼り付けてあるラミネートも剥がされて、ダンボール箱に投げ込まれている。
店内の料金表に。
基本プレイに。
『本番強要は罰金100万円』というのも。
『女の子からのおねがい』も。
エレベーター前の防犯カメラも取り外されて、ダンボール箱に投げ込まれている。
待合室のソファーの裏側の破れ目の奥には、昨日の店落ちの封筒が隠したままになっていたが、さすがにそこまでは気がつかずに手付かずだった。
物品が少なくなるにつれて捜査員も少なくなる。
店内には6名か7名となった。
腰縄の端を持つウェストポーチと入口に立ったまま、押収の様子を見ているだけのなにをするでもない。
時間があってから、年配のスーツ姿が捜査員を伴って店内に入ってきた。
ウェストポーチが、えらく姿勢を正して敬礼をしている。
年配のスーツ姿は店内を見渡している。
対応をしている捜査員の説明を受け「監視カメラか・・・。悪質だな」と頷いている。
誰よりも上位者だというのが一目でわかる鷹揚な頷き方。
傍らにいる手錠の容疑者など一瞥もしないところも、摘発の現場とは別のところにいるお偉いさんというのが伝わってきた。
低頭の捜査員を伴って、お偉いさんは店内を歩く。
ウェストポーチが「一緒に」と促した。
捜査員と被疑者を連れた格好のお偉いさんは、いきなり指をかざして「ニンテイ!」と発した。
「ニンテイ!」と「これもニンテイ!」と、次々と指差しながらスパッスパッと告げている。
指差しているのは、貴重品袋、ローションの容器、バスタオル1枚、ティッシュの箱といった、証拠品として押収されずに残っている物品だった。
「ニンテイ!」と発される度に、傍らの捜査員が「はい!」と返事をして、指定された物品を手にして集めている。
『認定セレモニー』といったところ。
なにをするでもない時間があったのは、このお偉いさんの到着を待っていたらしい。
逮捕から1時間で
お偉いさんは、10分も経たずに店を出ていった。
まだ続きがあるのか、とため息をしたと同時に、個室から激しい物音がした。
カラーボックスを引き倒し、ベッドをひっくり返しているのがわかった。
「よいしょ!」という掛け声が、さも面白そうにやっているように聞える。
わざと舌打ちをして、腰紐を持つ係となっているウェストポーチに訊いた。
「あれって、必要ですか?」
「まだ、営業するつもりなのか?」
「逮捕されてるのに?バカなんですか?」
「今後、営業できないようにしないといけない」
「じゃ、営業しないんで、きっちり直してくださいよ」
「それはできない」
「へえ、費用だけは請求するんで。あれ高いですよ」
「すればいい」
「じゃ、あんたの名前を教えてください」
「それは教えられない」
「だったら署長に請求すればいいですか?警視総監ですか?誰ですか?」
「自分で考えろ」
「じゃ、あんたを探すんで。請求書も持参するんで、きっちり払ってくださいね。一括で」
「勝手にすればいい」
「じゃ、待ってろよ。払ってもらうからな。用意しとけよ。逃げんなよ」
「勝手に来い」
これ以上言ったら大声を出してしまいそう。
落ち着け。
この行為も、法をかざしてきっちりと説明がつくのだろう。
なにを言っても無駄か。
いや、法うんぬんじゃないかも。
逮捕直後の言動は、取調べのときに引き合いに出される。
取調べの材料に使われる可能性もある。
仮に、簡単に例をあげれば「悪いことはやってません」と言ったら「悪いことしたと思ったから逮捕のとき暴れたんだろ?」とか。
「反省してます」と言ったら「反省してたら逮捕のとき暴れないだろ?」とか。
今から取調べの伏線を打ってきていて、自分の様子を注視しているのかも。
「よいしょ!」という掛け声も、わざとらしいといえばわざとらしい。
もしかしたら『警察ナメやがって』というレベルのことだけかもしれないが、今は黙っていたほうがいいのか。
店の破壊は、見せつけるようにして続いていく。
壁紙もビリビリと引き剥がされて、あちこちに放り投げられた。
下地の石膏ボードが剥き出しになると、バールを持ち出してガシガシと穴を開けていき、間仕切りの壁は穴だらけになっていく。
壊れた石膏ボードは、あちこりにばら撒かれる。
タイルカーペットも引き剥がされて、あちこちに放り投げられた。
備品は足蹴にされている。
なにか意図があって、あえて怒らせようとしているのかも。
心の中で、また営業してやると毒づくだけに留めた。
個室のドアも外すつもりらしい。
バールをガシッと蝶番に差し込んでこじる。
ドアはメリメリと外されて、個室の中に勢いよく投げ込まれて、カラーボックスが砕ける音がした。
摘発されてから1時間ほどで店は壊された。
– 2019.12.14 up –