経費についての供述


取調室の業務用エアコン

午前中に聞き取りした内容を、昼食の間に見直したのだろう。
係長はいくつかの点を確かめてきてから、1人で頷いて、バインダーのメモを置いた。

「じゃ、これで調書とるな」
「はい」

効きすぎる業務用エアコンが消されて、供述調書の用紙の束が机上に置かれた。
売上の部分を、午後中に書き上げるつもりのようだ。
ぐいぐいと大きめの字を書きはじめた。
今日は筆圧がいつもよりも強い。
目力を込めているところなど、書くというより刻む作業をしているようだ。

「ちょっといいか。読むぞ」
「はい」
「本日、平成16年8月10日、本職が新宿警察署において内心の意思に反して供述する必要がない旨を告げて取調べをしたところ、次のように任意で供述した」
「はい」
「内心の意思はわかるな?」
「はい」
「自分で違うと思ったことは違う、そうだと思ったことはそう」
「・・・」
「わからないことはわからない、知らないことは知らない」
「・・・」
「それでいいから、自分の思いを正直に話すということ」
「はい」
「私は、黙秘権があることを、刑事さんから説明を受けて十分に理解しました」
「はい」
「今日は売上について話そうと思います」
「はい」

係長は一心不乱に書いている。
この様子だと、今日の昼メシは素うどんなんてことはないだろう。
昨日だって、素うどんのわけない。
どうせ、たらふく食べたのだろう。
こっちは官弁なのに。
じっと座って、秘かに係長への敵意を煽っていると、供述調書は3枚目に進んだ。

「なんか、あついな」
「いや」
「そうか」
「ええ」
「エアコンつけるか?」
「いえ、ちょっと寒いんで」
「そうか」

すでに係長は、額に汗を滲ませている。
勝負がはじまったつもりで「いえ」と答えたのだった。
自分が「あつい」と口にしてエアコンがついたら負け、係長が「あつい」とエアコンをつけたら自分の勝ち。
座って見てるだけのようで、実は勝負が行なわれているのだ。
警察との勝負なんだ。
係長が全国の警察代表で、自分が全国の被疑者代表。
負けるわけにはいかない。
もう、じっと座っているのも苦ではない。
係長は暑いと根をあげることなく書き続けている。
2人ともけっこう汗をかいてきていて、供述調書が5枚目に差しかかる頃、勝負はついた。

「やっぱ、あついな」
「いえ」
「あついないか?」
「いえ」
「よく、平気だな」
「はい」
「俺はあつい、あついぞ」
「・・・」

もう自分にことわることなく、係長はエアコンの電源に飛びついてオンにした。
ぐあんと業務用エアコンから冷風が出てきた。
この勝ちは大きい。
全国の被疑者代表として勝ったのだ。
しかし勝ってみると、どうってことなかった。
ありふれた我慢比べでしかなかった。
サウナで後から入ってきた人よりも後に出てやろうという、無益な我慢比べの類だった。
もう、じっと座っているしかない。

内心の意思ってなんだ?

途中で読み聞かせがあり、供述調書は6枚目に入る。
ペン先が迷った。
係長は顔を上げて、自分に確認するでもなく「どんぶり勘定ってことか・・・」とつぶやいて、また書いていく。
自分は自分で考えごとをしていた。
今回の調書では、嘘の部分が交じっている。
しかし、内心の意思に反してる気がしないのはどうしてだろう?
そもそも内心の意思ってなんだ?
自分の内心の意思には、目的がある。
秘匿がある、計画がある。
全てが一貫している。
とすると自分の場合は、本当のことを部外者に話してしまったら内心の意思ではなくなってしまう。
この嘘を供述調書にすることが、内心の意思なのだ。
本当のことを言わない、という内心の意思に沿っている。
内心の意思に反してる気がしないではなくて、内心の意思に反してないのだ。

売上の計算
「少しも儲かりませんでした」

内心の意思によると、私がオーナーとして開業しました、売上は500万前後、少しも儲かりませんでした、残りのお金はパチンコと競馬で使ってしまいました、で間違いない。
これは嘘を正当化してるだけなのか?
やはり自分は、人の心とか、他人の気持ちとかがわからない人間なのか?
ん、そうか。
今更になって気がついた。
事実を供述するとは一言もいってない。
求められてもいない。
内心の意思は、事実よりも優先されるのか。
嘘であっても、事実でなくても、それらを供述調書にすることが内心の意思なんだ。
そんな理屈をこねていたのは、係長の書く姿にあったのかもしれない。
真剣であった。
たいした事件じゃないと自分は軽く考えているのに、係長の真剣な様子が理屈を考えさせたのかもしれなかった。
狭い取調室の大きな業務用エアコンからは、冷風が吹いている。

「なんか、寒くないか?」
「いえ」
「ちょっと、寒いな」
「ちょうどいいです」
「俺は寒い」
「そうですか」
「もう消すぞ、いいな」
「どうぞ」

我慢比べを3連勝した頃に、売上の部分が書きあがり、読み聞かせとなった。
不都合もなく、内心の意思通りに供述調書は書かれていた。
今までと同じ、話し言葉の独白調の文章。
一文は短め。
句読点多め。
主語は省かない。
「それ」や「これ」は極力使わない。
数字は箇条書きにされる。
警察用語や法律用語は一切ない。
漢字は多用されるが、小学生レベルまで。
カタカナ語は少なめ。
途中を抜粋すると、おおよそ以下である。

<お客さんから受け取った現金から、当日のうちに、女性への給料の全額を渡してました。残りの部分が売上となるのです。売上は平均すると

・月間に500万円

でした。多い月で売上は550万でした。少ない月で450万ほどです。正確な金額はわかりません。どうしてかというと、私は帳簿をつけていなかったからです。伝票も捨てていました。私は、税金の申告についてよくわかっておらず、また、面倒だとも思っていたので、どんぶり勘定だったのです。そうしたことから、売上はだいたいの金額でしか覚えてないのです。>

売上については証拠がないためか、小山田光輝が作成したコピーは示されない。
読み聞かせして不都合がないのを確かめると、係長はバインダーのメモに目を通した。
すぐに供述調書の続きが書かれた。

経費は月間513万

係長は経費の部分を書き進めた。
途中で「ん?」と首をかしげて、1枚を2つ折にした。
文章の流れが大きくずれたらしい。
折られた供述調書は、書き損じとして廃棄となる。
そしてまた、最初から書き直している。
おおよその文章は以下である。

<経費はけっこうかかかりました。広告費が月間187万円、人件費が月間153万円、家賃が月間140万円、タオル代が月間15万円、水道光熱が月間10万円、割引チケット作成費が月間5万円、備品代が月間3万円です。他にも、出勤した女性に、茶菓子をふるまったり、タクシー代を支給したりなど、細々した出費があるのです。計算したことはありませんが、月に20万はかかりました。経費を合計すると

・月間に約530万円

となります。どうして、金額を覚えているのかというと、私は、毎日のように手元に残っている現金を確めてました。月末に支払いをするためです。支払いをしないと営業できなくなるからです。ですので、はっきりと経費の項目も金額を覚えているのです。

この時、本職は、当署生活安全課司法警察員、巡査部長小山田光輝が作成した[押収品目E-1]のコピーを示した。

今、刑事さんにコピーを見せてもらいました。このコピーは、領収書のコピーです。店に置いてあったものに間違いありません。広告費としてチケットセンターと広告代理店に支払いをしたものです。コピーを見ると、チケットセンターへの支払いは、6店舗合計が150万です。求人広告が37万5500円です。合わせると187万5500円になります、今、刑事さんから説明を受けてよくわかりました。広告費の正確な金額は187万5500円で間違いありません。>

読み聞かせのあとは、自分は下を向いてジャージの毛玉をむしっていた。
内腿の部分には、たくさんの毛玉がある。
ひとつひとつ指先でむしって床に落としていた。
この落とした毛玉は、誰が掃除するのだろう。
たぶん掃除の業者がささっと手際よく掃くのだろうが、もし、調べを終えたあとに係長がやるのだったら、どうなるのだろう。
たくさん落ちているジャージの毛玉を目にして『早く調べが終わらないかなあ』という自分の内心の意思に気がついてしまうかも。
掃除の業者だったら気がつかないが、係長だったら気がつくはず。
係長が掃除する場合に備えて、床に落とす毛玉は、内心の意思の表れが確実になるようにしなければならない。
もっと大量にむしって床に落とさなければ、これらの毛玉はただの手いじりしたゴミと化してしまう。

やってもないパチンコと競馬は余計だった

係長は8枚目に差し掛かっている。
書き上がった供述調書が脇にやられている。
時々、誤字があり「こうじゃないな」と、その箇所に縦2本線を引き《 加除修正、2文字 》と上部の余白に記入している。

「ちょっと暑いな」
「いえ」
「暑かったら暑いといえよ」
「いや、暑くないです」
「そうか?エアコンつけるか?」
「いや、いいです」
「俺は暑い。つけるぞ」
「どうぞ」

もう我慢比べは、今からは勝負にならないほどの大差で自分が勝っている。
それに代わり、ジャージの毛玉むしりに意義を見出していたが、それも飽きてしまうほどに時間が経っている。
かといって毛玉むしり以外にやることも見つからないので、惰性でむしっていたところだった。
エアコンの電源をオンにした係長は、供述調書の端を整えて「いいか、読むぞ」と読み聞かせをする。

<支払いを済ますと、私の手元には生活費の分しか残りませんでした。思っていたより儲からなかったのです。6月はお客さんの入りもよく、月間で550万円の売上がありました。いつのも月よりも20万ほど多くの収入になりました。多くなった収入は、足りてなかった生活費にあてました。余ったお金は、お酒を飲んで、パチンコを打ち、馬券を購入したのです。パチンコは当たりませんでした。馬券も外れました。それなので、手元にお金は全く残りませんでした。私は、新たに生活費を得るために、店の営業を続けようと思ったのです。>

やってもないパチンコと競馬は、金がないアピールだったが、こうして聞いてみると失敗だったかも。
ダメ人間っぽさが浮き彫りになっている気がする。

「この、酒はともかく、パチンコと競馬は書く必要があるんですか?」
「ん、金の使い道だからな」
「なんか、感じわるくないですか?」
「そんなつもりはない。パチンコだって、競馬だってやるだろ?」
「心証わるいですよ」
「普通のことだけどな」

とはいっても、パチンコと競馬の一文を今から削除や削除をするのも、かえって長引くだけだ。
元々は自分から言ったことでもあるので「もう、そのくらいいいですよ」と終わりの1行の横に署名して指印した。
誤字の部分にも指印を押した。

警察官だって風俗にいく

自分の署名のあとに、係長も署名を記入して、今日の分の供述調書の作成を終えた。
係長は息をついて、ペンで肩のツボを押している。
自分から言ったものの、パチンコで当たらなかっただの、競馬で外れただの、余計なお世話だと少しの腹立たしさで訊いてみた。

「警察官は風俗にいかないんですか?」
「そりゃいくよ」
「え、いきますか?」
「ああ、いくよ。風俗が好きなのもいる。パチンコも競馬も好きなヤツもたくさんいる」
「そういうのいいんですか?」
「あのな、みんな、警察がどうのこうのっていうけどな、警察官だって聖人君子じゃないんだぞ」
「ですね」
「まあ、裁判官は風俗はいかないんだろうな。パチンコも競馬もしないだろうな。新聞も読まないっていうからな」
「え、そうなんですか」
「んん、世間の声で、判決が左右されてはいけないんだってな」
「へええ」
「でもな、そんな生き方していて面白いか?」
「いや、係長がそんなこといったらダメじゃないですか」
「あのな、いっとくけどな、警察官ってのは、そんな特別なものでもなんでもないんだぞ」
「そうですか?」
「そうだよ。制服を着たり手帳を持てば、1部の罪の適用が免除されるってだけだよ」
「罪の免除ってなんですか?」
「そうだな。パトカーでスピードを出しても罪に問われないとか」
「ええ」
「拳銃を持っても罪に問われないとか」
「ええ」
「罪にはなっている。なおさら法を守らないと罪に問われる。なにも特権があって罰せられないわけじゃない。あとは世間のみんなと同じだよ」
「・・・」
「酒だって飲むし、風俗だっていくぞ。パチンコもするし競馬だってやる。それも警察官だ。聖人君子じゃない」
「・・・」

説得力というのか。
警察官は風俗にいかないと答えたものなら『嘘をつくな』と鼻で笑ってやるつもりだったのが、パチンコについては警察の利権があるから悪くいえないのだろうと指弾してやるつもりだったが、逆にぐうの音も出ないようにされてしまった。
あえて穿った見方をすれば、今までも同じようなことを言われていたので、ここぞとばかりにうまく丸め込まれた気がしないでもない。
パチンコと競馬をやったからダメ人間だと書いたつもりはない、と言いたいのは伝わってきた。
無言のまま足元の床に目を落とすと、毛玉はいつの間にか散らかっていた。

– 2020.10.10 up –