家宅捜査で証拠品として日記を押収された


捜索差押許可証

任意提出目録交付書への署名と指印が終わると、別の初見の刑事が取調室にきた。
シルバーのメガネで、ボタンダウンのシャツで、気難しそうな雰囲気の刑事だ。
やはり気難しそうに書面を示した。

捜索差押許可証
「これから令状に基づいた家宅捜査をします」

『捜索差押許可証』とあるようだ。

「これから令状に基づいた家宅捜査をします」
「はい」
「同行してください」
「はい」

パイプ椅子に連結されていた手錠の輪が外された。
それをまた手首にはめて、鉄格子に結わえてあった腰縄の端はほどかれた。

取調室を出てからは階段で地下の駐車場へ。
合わせて5名が乗り込んだワンボックスは、新宿警察署を出る。

西新宿の狭い裏道を、やけに飛ばした。
突き当たりの新宿税務署の辺りを右折。
あとは、職安通りを真っ直ぐに進んで、新宿6丁目の抜け弁天へ向かう。

JRの高架をくぐると、右手が歌舞伎町となる。
車外を眺めていた。

摘発から逃れた竹山は、店外の小泉と合流できたのだろうか?
店から帰された女の子たちには、竹山と小泉はフォローできただろうか?
明日に出勤するつもりの女の子たちとは、店が休業すると連絡はついたのだろうか?
壊された店内は、もう目にしたのだろうか?

歌舞伎町の脇を通るときにはため息が出たが、帰されるナナに励まされたのを思い出すと、少し元気も出てきていた。
激怒して捜査員に噛みついたナナだったが、風俗嬢が多かれ少なかれ持ち合わせている、女チンピラっぷりも見せてくれたなぁ・・・と可愛くもあった。

隣に座るボタンダウンが「でもなんで、女は風俗なんてやるんだろうな・・・」とつぶやいた。
大人の分別で風俗の存在を許容してはいても、心のどこかで反感を持っているのだろうと知れるつぶやきだった。

話を振られているのはわかったが、さっき店が壊されたのを思い出して苛立ってもいたので、あえて無視をした。

車内は無言が続いて、15分足らずで抜け弁天に着いた。
ワンボックスを降りた3名と腰縄の1名は、まねき通り商店街を無言のまま歩いた。
もう道路は暗くて、すれ違う人はいなかった。

室内の写真撮影と証拠品の押収

以外なことに、3名は近隣に配慮するかのように、大声で話すことはなく物音を出すこともなく、静かに玄関前まで歩いた。

ボタンダウンから、押収されていた鍵束を渡されてドアを開けると、夏の熱気が充満している室内だった。
すぐに汗が噴出してきた。

コンパクトデジカメを取り出したボタンダウンが、真っ先に室内の写真を細かく撮っている。
本人以外に人の出入りがあったのか、形跡を探しているようだ。

ひとりが机上のパソコンの電源を入れて、デスクトップをチェックしている。
店に関する記録も探しているのだ。
見られてまずいデータはない。
強いていえばエロ画像のコレクションくらいしかない。[編者註34-1]

それらが保存してある外付けHDD(ハードディスクドライブ)の電源はオフになってるまま。
かなりのデータがノーチェックになっているのに刑事は気がついてない。

マヌケだ。
もし、その外付けHDDに重要なデータが入っていたらさぞかし面白かったのに、とチェックしてる姿を眺めていた。

もう1人は、机の引き出しの中を確かめていている。
収めてあった日記を手にとり、ページをめくり目を通している。
引き出しには、時々は見返していた過去分の日記が入れてあったのだ。

2年から5年前までの日記なので、今回とは関係ないから不都合はないが、誰にも明かしたことがない、智子にも話したことのない日記を全く知らない他人に読まれるのは嫌なものだった。

かなり念入りに読んでいる。
ページを見せて尋ねてもきた。

「このページは?」
「ああ、プロダクションの特徴ですね」
「プロダクション?」
「AVのプロダクションです」
「ふーん。・・・この金額は?」
「スカウトバックをまとめたものです」
「スカウトバックとは?」
「女の子の撮影があったときに、プロダクションから払われる金です」
「なんだ、じゃ、今回の店をやる前はスカウトもやっていたんだ?」
「ええ」
「ふーん、元スカウトか。このページは?」
「AVメーカーと制作会社です」
「これは?」
「出版社です」
「ふーん、いろいろあるんだな」
「・・・」
「こっちが風俗の店のリストだ」
「ええ」

日記はコクヨのキャンパスノートに線を引いて使い勝手よく自作したもので、それぞれに革のカバーをかけてある。
カバーに挟んである写真が取り出された。

スカウトした女の子で、AVプロダクションのヌードの宣材写真を記念として挟んでいたものだった。

「この写真は?」
「ああ。それはAVのコの写真です」
「ふーん、こんなコがAVをするんだ・・・」
「・・・」
「このコなんかすごいな。すごい自信ありそうにしてるな」
「・・・」

日記は3人で回し読みされて「この日記は押収します」とボタンダウンが言ってきた。
2年から5年前までの6冊だ。

今回の事件とは関係ない日記です、いや関係あるかどうかは調べないとわからない、と問答があった。が、敵うわけもなく日記は押収品となった。

証拠隠滅

過去分の日記はいいとする。
本当にまずいのは、その引き出しの二重底に収めてある今年の日記だった。
二重底は、東急ハンズで買った材料で念入りに自作したもの。
それでも、もし、今年の日記が見つかったらややこしいな・・・と焦っていた。

本来だったら、今年は日記などつける状況じゃない。
警察に対しては、違法と知らずに風俗店を営業をしていたという態度だし、摘発となったらメモや日記の類は重要な証拠となるのはわかっていた。
なので、今年の日記だけは二重底に隠すようにして保管してある。

個人名は書かずに、出来事は略記とアルファベットを多用して、時間や金額や電話番号などの数字は符号となっている。
万が一、他人が読んでも理解できる内容ではないが、見つからないように祈る気分だ。

二重底は気がつかれなかった。
よかった。
こういう細工は、まめで丁寧な自分だった。

次には領収書を手にして、中をめくり、控えを確かめている。
スカウトバックの集金に使っていた領収書で今回とは関係ないが、これらも押収品となった。
ようやく引き出しは無事に閉められた。

よかった。
今年分の日記だけは厳重に保管しておいて、本当によかった。
プライベートが暴かれるのは気分のいいものではないが、過去分の日記の押収くらいは仕方ないとも思えてきた。

家宅捜査は、店の摘発とは違って、なんでもかんでも押収品とはならない。
室内を荒らすようなことはなく、もちろん物品を壊すこともなく、動かした物品は本の1冊までも元の位置に戻している。
ほんの小さなことで、容疑者の気を逆撫でしないようにしてるのか。

写真を撮り終えてからは日記を読んでいたボタンダウンだったが「ここまで日記をつけている者が、今回の件はなにも残してないってことは・・・」と机の脇の中型のシュレッダーを指差して「証拠隠滅のあとか」と大袈裟に断じた。
その証拠隠滅を結論にして、家宅捜査は1時間足らずで終了となった。

「お金のため」がどうしかしたのか?

抜け弁天の信号で待機していて、まねき通り商店街を直進してきた車両は、全員を乗せたあと靖国通りに出た。

明治通りを過ぎるあたりから渋滞していた。
歌舞伎町に訪れたタクシーやハイヤーが乗客を降車させているらしい。

信号が赤になり停車した。
横断歩道いっぱいに広がって、新宿駅から歌舞伎町に向かう通行人は騒がしそうにしている。

車内は無言のままで、それぞれが通行人を眺めていた。
どれほど日記が、自分の中身の圧となっているのかを知った家宅捜査だった。

日記が押収されたとき「必ず返却する」と約束はしたが、もしそのまま手元からなくったらと想像するだけで胸が凹むようだった。

そんなときに隣に座るボタンダウンが、こちらを一瞥してから訊いてきた。

「キミが女の子の面接をするんでしょ?」
「ええ」
「ふーん」
「・・・」

面接をするのは当たり前なのに・・・と思いながら答えた。

ボタンダウンが軽く頷いているのは、批判を含む鼻息を遠慮がちに含んでいる。
彼の問う面接とは、講習のことを指しているんだと気がついた。

このボタンダウンが、風俗の存在をよくは感じてないのはわかっていた。
正義感に溢れているのかもしれないし、潔癖かもしれないし、風俗で嫌な目にあったのかもしれない。

娘がいるのかもしれない。
いずれにしても、このタイプと風俗のことを話してもろくなことはない。

渋滞の靖国通りをノロノロと進む車両は、赤となった歌舞伎町交差点の手前で止まった。
横断歩道は、新宿駅へ向かう人よりも、歌舞伎町へ向かう人のほうがずっと多い。

左手はスカウト通り。
そこを眺めていたボタンダウンが、また訊いてきた。

「あんなふうにスカウトするんだ」
「ええ」
「それでスカウトできるんだ?」
「ええ」
「やっぱり、みんなお金のためか」
「・・・」

決め付ける口調で、大きくひと呼吸した。
こんなふうに一言で決め付けるヤツには『アンタだって、お金のために警察やってんだろ』と、こっちも一言で決め付けてやりたい。

『そうだ』とも『ちがう』とも知ろうとせずに、AVや風俗の女性は全てお金に困っている、もしくはお金に貪欲だと決め付けて、お金のためだったらなんでもやるのか、自分は違う、と目線が上からなのが透けている。

そうなると、こっちも競うようにして上から目線になって返事をしてしまう。

「さあ・・・」
「お金で割り切るってことか?」
「どうなんでしょう?」
「そうじゃないのか?」

白々しく首を傾げて返事をすると、また結論づけるように断じてきた。
いちいち癇に障る結論づけをするボタンダウンだった。

お金で割り切るの意味

苛立っているのもあるだろけど『お金で割り切る』といったわかったようでわからない言葉を間近で耳にすると、頭蓋骨の内側がむずむずする。
意味があるようでも曖昧でもある語句で断じられると、頭蓋骨の内側のむずむずが不快で仕方がない。

『お金で割り切る』の割るって、あの算数の割るのことか?

お金という現物を掴んで振りかざしたところで、目に見えない人の気持ちを、どこをどうやったら割ることができるんだ?
割れるわけないじゃないか?

そういう実際の話でなくて『お金で割り切る』は例えであって、頭の中の計算の話だと返答があったとする。

だとすれば、いったいなにをどんな計算をするのか?

そんな計算は自分は知らないし、できたこともないし、試してみたこともない。
スカウトした女の子を面接に連れていくときも、AVの宣材を撮るときだって、彼女を風俗に勤めさせてAVに出演させたときだって『お金で割り切る』なんて言葉は一度も使ったことがない。

すべてが終わり、お金を手にした女の子が落ち込んでるときだって泣いているときだって『お金で割り切る』なんてお互いに口にしたことも一度もない。

女の子の気持ちなど一言で表せるほど明快じゃないし、ましてや裸になる女の子は計算や理屈で納得して動くほど単純じゃない。

『そうですね』と答えれば簡潔に済んだのだが、なにか言ってやりたくなった。

「お金で割り切るは違いますね」
「ちがう?」
「ええ、そんなこと一度もいったことないです」
「ない?」
「ええ、ごまかしの言葉です。そういえば簡単だし」
「でも、お金じゃないんだったらなに?」
「・・・」
「・・・」
「愛です」
「愛!」
「ええ、愛です」
「うーん・・・」
「・・・」
「・・・」

ボタンダウンを黙らせてみたものの、あれ、オレはなにをいっているんだろっと、それはそれで他人事みたいな気がした。

ふと頭に、愛という言葉が浮かんだのだったが、そんなものは歌謡曲の用語なだけで実生活でどのような意味があるのかは飲み込めてないのに。
思いきり「愛です」と言い切ってやった。

なんやら『世界の中心で愛を叫ぶ』という映画が大ヒットしていた影響だったのかもしれない。[編者註34-2]

とはいっても、愛とは口に出して騒いだものだけが本物になる、とも自分は信じている。
言った者勝ちである。
車内の会話は終わりになったのが、ちょっと気持ちよかった。

渋滞は抜けた。
西口のガード下をくぐり抜けたころ、ボタンダウンの上から目線に決め付けと敵意がある断言からして、警察の事件の扱いをうっすらと理解できた。

風俗で働く女性は、保護されるべき弱者。
風俗店は『お金が必要』という女性の弱みに付け込んでいる。
店長は『お金で割り切ろう』と女性を説得して己の欲を満たしている。

そう理解すると頭蓋骨の内側のむずむずはなくなり、新宿警察署の地下スロープへ車は降りていった。

– 2020.2.3 up –