逮捕と当番弁護士


火の元の確認をして店での捜査は終了

証拠の写真撮影をして、証拠品の押収をして、お偉いさんの『認定セレモニー』が完了して、店内の破壊が済むと、ここでの捜査は終了。
最後まで店内に残った捜査員は5名。

「新宿署に移動する」と、腰縄を持つ係となってるウェストポーチが言いながら、自分の私物が入ったバッグを持った。
で、店を出る前に、火の元の確認をするという。
個室のひとつひとつを目視して「火の元はだいじょうぶだな」と念入りに確かめるのだ。

通路には、物品と壊された内装材が乱雑に散らかっている。
個室には、すべの備品がひっくり返された上に取り外されたドアが投げ込まれていて、足の踏み場もない。

確認のしようもないし、元々が火の元もない。
電気のコードでもショートして大火事でもおきてくれないかなと、そしたら絶対に警察の責任にしてやろと、苛立っただけだった。

照明を落とす。
店内は真っ暗となると、もう、店が終わってしまったのだと実感した。

店外に出ると、入口のドアを施錠するように促されて、バッグの中の鍵を渡された。
エレベーターに乗り1階まで降りて、一足先にエントランスからさくら通りに出たメッシュベストが左右を見渡して「あれ?クルマは?」と間抜けそうにつぶやいている。

夜になりかけの歌舞伎町の街路は人がいっぱいで、車両が通りづらい。
携帯で連絡をとったメッシュベストがそれを確かめて、車両が待機して停まっている靖国通りまで歩こうと言った。

歩くのはいいが、今の時間のさくら通りを手錠に腰縄で歩くのだ。
瞬間だけ躊躇した。
通行人にジロジロと見られるし、野次馬もいるだろうし。
しかし、なにをいまさら。
正々堂々と歩いてやれと開き直り、エントランスの外にでた。

手錠と腰縄で歌舞伎町を歩いたとき

実際は逆だった。
手錠と腰縄の自分をジロジロと見る者など誰もいなかった。

1人としていない。
1人として。

人混みのさくら通りは、いつもみたくざわめいているのに。
以外さに驚いて、そんなことはないと、通り過ぎる人の流れに目を巡らせた。

緩んだ顔で笑っているサラリーマン2人組も、脇を通り抜けるリュックの若者も、割引チケットを手にして騒いで歩く若者2人組も見てない。

立看板の前で手を打ち鳴らしているおっぱいパブの呼び込みも、競い合うように声を上げている向かいの店の呼び込みも。

インカムで話しながら歩いていくワイシャツネクタイの者も。
前掛け姿で歩いていく居酒屋の店員も。
巻き髪を気にしながら足早に歩く女の子も。
コンビニ袋を提げて不機嫌そうに歩く女の子も。
カツカツとヒールの音をさせてるデカサンの女の子も。

やはり手錠と腰縄の自分を見る者など、1人としていない。
風俗店がひとつなくなったことなど関係ないと、全員に告げられているよう。
歌舞伎町から追放される気がした。

靖国通りに出るまでの5分足らずの視覚は、頭の中にはっきりと残っているのに、どう書いたらいいのかわからなくて、長い間、日記には空白になっていた。
思い出してみると、水中を流されていく感覚というのか。

水中なのに息苦しくはない。
ありえないことだが、晴れた日の夜のことだが、歌舞伎町全体が水に浸かっていて、雑居ビルまですっぽりと水に浸かって、水中だから無音で無臭で、原色の光が幾筋も差し込む水底を直立のまま水流に押されて流されていく。
水中には濁りはなく浮遊物もない。
水温は生暖かいが不快さはない。

取調室では腕を出して注射痕の確認から

日記に戻る。
靖国通りでワンボックスに乗る。
新宿署に向かう車内の捜査員同士は、ひと仕事終えて緊張が一気に解けたといった騒がしさ。
雑談から、3日間の集中摘発で、4店舗が挙げられたのを知った。

10分も経たずに新宿署へ到着した。
建物の裏手から地下駐車場へのスロープを下り、ワンボックスを降りてからは階段を上がり3階へ。

鉄格子の窓がある小部屋が取調室だった。

取調室
逮捕されたらまずは取調室へ

スチールデスクの手前と奥に、折りたたみのパイプ椅子が1対づつ。
奥のパイプ椅子に座らされて、腰縄の先端は背もたれに2巡ほど通されてから窓の鉄格子に結わえられた。

外された手錠の輪が、パイプ椅子に連結された。
立ち上がったとしてもパイプ椅子が背にくっついていて、動けない仕様になっている。

メッシュベストとウェストポーチはここでいなくなり、入れ替わりで初見の署員がやってきて対面に座り、壁際にもパイプ椅子を広げた署員が座った。

2人とも見たところ30代で、無駄話は一切ない。
署員ではなく、刑事でいいだろう。
訊いてくる口調は丁寧だった。

「取調べの前に、いくつかの確認をします」
「はい」
「薬物はやってませんか?」
「はい」
「では、腕を見せてくれませんか?」
「・・・」

腕まくりして肘の内側を差し出すと、注射跡がないか確かめている。
誰にでもこうしているのか、それとも自分だけなのか。

それがかなり入念。
一見するだけでなくて、血管を指先で押したり擦ったりして、顔を近づけて凝視して、腕を持ち上げて肌を光にかざしてみたり、見る角度を変えたり、手首の脇の血管も確めたりしている。

こいつは覚醒剤を打ってるはず、という確信が伝わってくる。
そんなにも、自分がシャブ中に見えるというならば心外だ。
逮捕から神妙にしてるのに。

軽くショックでいると、刑事はあきらめきれないように、注射跡の確認を終えた。

黙秘権と弁護人選任権

無駄話は一切ないままで、次に逮捕状が机の上に置かれた。
枠内に日付やら氏名やら記入されている。

「これが逮捕状です」
「・・・」
「今回の逮捕について、なにか弁解はありますか?」
「弁解ですか?」
「はい」
「ないです」
「わかりました」
「・・・」

『弁解録取書』も机の上に置かれた。
逮捕事実に対して弁解があれば、この書面に記すのだ。

弁解があるないだけでない。
訊かれたことには黙秘権もあるし、その行使もいつでも自由にできる。
当番弁護士制度もあるし、任意の弁護士がいれば呼ぶこともできる、と同時に説明される。

当番弁護士は、いつでも呼ぶ意を示せば、警察から弁護士会にFAXが流されて、当番となる弁護士が接見にくる。
早ければ1時間ほどで接見となる。

ただし夜間は翌日扱いになるし、土日は弁護士事務所が休みなので月曜日の扱いとなる。
この当番弁護士制度は、被疑者の人権を守るためのボランティアなので料金は無料。
原則としては接見は1回のみ。

で、ボランティアに文句をいっちゃあいけないが、当番弁護士は当たり外れがある。
刑事事件に詳しくない弁護士が当番になるときもあるし、金にならない仕事はしない主義の弁護士が当番になるときもある。

接見して早々に『以降は別料金で依頼をしなければ応じません』と突っぱねてすぐに帰る弁護士もいれば、ノートを広げて話を聞いて『このくらいだったら料金はいりません』と3回ほどまでは接見にきて、事件の対応のアドバイスや、家族に連絡をしてくれたり、領置されている私物を家族に渡したりと、些少だが動いてくれる弁護士もいる。

任意の弁護士とは、私選弁護士のこと。
私選弁護士がついていれば、警察の取調べで無茶がないのは確かだ。
しかし、オーナーが弁護士を毛嫌いしている。
多分、過去によほど嫌な目にあったのだろう。

「ただの裁判屋・・・」と「あんな書類屋が・・・」と敵意をあらわにする。
自分も、先生と呼ばれる人達のほとんどはロクなもんじゃない、という説を唱えている人間だった。
22日勾留の罰金刑で釈放でもあるし、風適法違反は特に被害者らしい被害者がいる事件ではないので、最初から弁護士は考えてなかった。

警察は、弁護士がいるとやりずらいのは確かのようだ。
逮捕してからの弁護人選任権の告知は警察の義務というが、説明は親切ではない。
余計な説明はされない。

『私選弁護士をつけたい』といっても、拒まれることはないにしても、氏名や所属弁護士会や電話番号がわからなければ呼ぶに呼べないと、ごまかされる場合もあるとも聞く。

どの弁護士に私選の依頼していいのかわからない場合は『弁護士会に連絡をとってください』だけでもいい。
調べは中断される。

それに留置場には弁護士名簿が備えてある。
口頭で署員に申し入れれば閲覧を拒まれることがない。
が、そこまでの説明はない。

ちなみに国選弁護士は、取調べが終わり、検察に起訴されて被疑者から被告人となって、正式裁判の日が決まるときに裁判所により選任されるので、まだ逮捕の段階であり、略式起訴の罰金刑で釈放と見当がついている自分には全く関係ない制度となる。[編者註33-1]

逮捕事実に間違いありません

逮捕に心当たりがありすぎるのだから、差し出された逮捕状は改めて目を通すこともなかった。
黙秘権と弁護人選任権の告知をした刑事は、さらに机上の逮捕状を差し出してきた。

「もう一度、こちらも確認してください」
「はい」
「もう一度、よく目を通してください」
「・・・」

このとき改めて、逮捕状の文言を読んだ。
すると、記載されている容疑は3週間も前の日付け。
その日に飯塚昌弘という者に対して、営業が禁止されている区域の店舗で性的サービスを提供した、というもの。

そういわれても、まったく知らない飯塚昌弘の、いきなりの飯塚昌弘で、それも3週間前の飯塚昌弘など誰なのか見当もつかない。

警察としては、内偵をして飯塚昌弘の証言を得て容疑を固めて逮捕状の請求をした。
本日、逮捕の執行をしたところ、まだ営業をしていたので現行犯でも逮捕しました、という二段構えだ。

こちらとしては、正直なところは飯塚昌弘など知らないと言いたいが、20日勾留の罰金30万という相場さえ崩れなければ、逮捕事実がどうのと争うことなど考えてもない。
飯塚昌弘には、少しの苛立ちもあるがどうでもいい。

弁解はありませんし、弁護士もいいです、と応えた。
すかさず刑事はペンをとって弁解録取書に代筆した。

「逮捕事実に間違いありません、でいいですか?」
「ええ」
「では、つぎの行に署名をおねがいします」
「はい」

目の前に弁解録取書とペンを差し出した。
自分はいわれるがまま、ペンを手にした。

書類への指印は左手の人差し指で

ペンを手にしたとき、ちらと刑事に目をやると、こちらをじっと見て息を詰めている。

重要な署名なのがわかった。
そうとわかれば、意地悪して署名などしたくなくなる性格の自分だったが、今はふざけている場合ではない。

署名をすると、刑事は小さなケースを取り出した。
ケースを開けると黒インキのようだ。

「署名の後ろに指印を押してください」
「ええ」
「左手の人差し指でおねがいします」
「はい」

黒インキを指先にちょんとつけて署名の横に押した。
とたんに壁際のパイプ椅子のもう1人が立ち上がり、取調べ室のドアを空けて「ベンロクおわった!オッケー!」と大きく声をかけた。

次は “ 黙秘権の説明を受けました ” という内容の、なんとかといった書類に署名と指印。

その次は “ 弁護士制度の説明を受けました ” という内容の、なんとかといった書類に署名と指印。

「これから指印は、すべて左手の人差し指でしてください」
「ええ」
「ティッシュあります。これで拭いてください」
「いや、いいです」
「汚れてますから」
「もう、落ちたんでいいです」
「ここ、置きますから」
「いらないです」
「まだ、指印があるので」
「いや、いいです」

指先についた黒インキは擦り合わせると落ちる程度。
汚れたというほどでもないが、気を遣ってますアピールなのか、刑事はポケットティッシュを差し出してくる。

絶対にこのティッシュで指を拭かないでおこうと、自分は小さな抵抗をして指先を摺り合わせた。
机上のティッシュは放置された。

押収品目録交付書と任意提出目録交付書

書類と署名と指印は続く。
次は『押収品目録交付書』だった。

バッグの中の私物を机に広げて、鍵の束、携帯電話、メモ帳の3点は押収品となる。
ケースに入れられて、押収品目録交付書に記入された。
3点の押収品以外は、私物として留置場に持ち込むらしい。

そして押収品目録交付書に署名と指印。
店での押収品の目録は、ひとつひとつ確認して作成しているので後日に改めます、と説明された。

次に『任意提出目録交付書』が差し出されたときは、奥歯にモノが挟まった言い方だった。

「それで、これですが・・・」
「ええ」
「押収もできますが、これだけ別で任意提出にしようかと思いまして」
「そうですか」
「まあ、どっちでも同じことですが」
「じゃ、どっちでも同じだったら、まとめて押収にしてください」
「え、どうしてですか?」
「なんか、まぎらわしいんで。押収だとか任意だとか」

押収と任意の提出の違いにどんな意味があるのか知らないが、どっちでも結局は同じだったら正直どっちでもいいし、まとめたほうが書類だって1枚で済んですっきりするし、こっちは急いでるのでもないから後でもいい。

単純にそう思って返事したのだが、向こうとしては不都合がある様子だ。
慌てて署名と指印を迫ってきた。

「いやいやいや、こっちはちっともまぎらわしくないです」
「あとで店の分と一緒に署名しますよ」
「いやいやいや、こちらとしては別々のほうが、まぎらわしくないです」
「そうですか?まとめたほうが、そちらも手間がかからなくてよくないですか?」
「いやいやいや、こちらとしては別々でも手間はかかりません」
「もう、まかせます」
「じゃ、この分は任意提出でいいですか?」
「ええ、いいです」
「じゃ、署名をおねがいします」
「ええ」

こんなやりとりをするのだったら、署名と指印したほうが早かった。

『任意提出目録交付書』には、貴重品袋、ローションの容器、バスタオル1枚、ティッシュの箱、といった細々とした物品が記入されている。
摘発のとき、途中で店に現れたお偉いさんが『ニンテイ!』『これもニンテイ!』と指差して、捜査員が回収していた物品が記入されていると気がついた。

なんだ、なんだ、なんだ。
『ニンテイ』とは『任意提出』だったのか。

なんでも略すな。
なにか『認定』されたのかと思ったじゃないか。
なにを『認定』されたのかと気を揉んだじゃないか。
ぜんぜん任意の提出じゃないし。
勝手にやってるし。

はいはいと応じてばかりも癪なので、ここらで『任意じゃないです』と署名を拒んで嫌がらせしてやろうかなとも頭をかすめたが、とにかくもこの先は弁護士なして留置になるのだから、ささやかな抵抗はやめる。

さっさと署名と指印を終わらせたかった。

– 2020.1.13 up –