割り切るとは?
夜、道玄坂の店の前まで迎えに行くのが日課になった。
それから軽く飲んでメシを食べ、ウチに帰り、セックスして寝るのが2人の生活となった。
セックスは欠かさなかった。
折を見て「キンコ」を口にするのも、生活の一部になっていた。
「マユミ」
「なに?」
「キンコしようか?」
「うん」
「いくらだった?」
「きょうは5だった」
「5か。・・・がんばったな」
「・・・ハイ、これ」
「この、千円札は持ってな」
「うん」
「じゃ、あとはキンコね」
「うん。キンコ」
「あしたは?」
「遅番。4時から」
「そうか。じゃ、服でも買いにいくか?」
「ホント?」
「うん。買いたいって言ってたじゃん」
「うん」
「じゃあ、これ、服代ね。先、渡しておく」
「ヤッター!!」
「あと、これ、払っておいて」
「うん」
飲み食いやタクシー代は彼女が済ませた。
そして自分が「キンコ」を言うと、残りの稼ぎを彼女は手渡した。
端数の千円札だけは彼女に持たせる。
万札は自分の財布に収めた。
買い物をしたいと彼女がいえば、その金額を渡し、同じように家計も支払わせた。
回りくどく家計のやり取りをすることも「キンコ」に含まれた。
その日も、彼女は店がある雑居ビルから出てきて、自分の姿を見つけると手を振ってきた。
スッピンでボディーソープの匂いをさせながら、笑顔でうれしそうに言った。
「きょう、すごく稼いだよ」
「そう」
「10だったよ」
「がんばったな」
「賢さん、喜ぶだろうなっておもって」
「エ・・・」
「すごいでしょ」
「うん・・・、じゃ、キンコするか」
「うん、キンコしよ」
「・・・」
「はい、キンコ」
「ん」
笑顔で彼女が「キンコ」を口にした。
そして、おカネを受け取るとき、自分の中に違和感は確かにあった。
その違和感はしこりになった。
胸にあるしこりが咽元につかえて、彼女の笑顔の前でときどき無口にさせたように思えた。
しかし実際は、自分の口調は変わることなく、彼女と接していたのかもしれない。
財布は、出すよりは入る金額が多かったから、1週間せずマン札で厚くなった。
その札入れを手にしても、以外に自分は冷静だった。
自営業をやっていただけに、それ以上のカネを手にしたことも何度かはあったし、動かしたこともあったし、商売につきものの波も経験していた。
貧乏のときもあったし、カネに関しては持論はある。
厚くなった財布は、自分を支えているその根本からずれている気はしていた。
彼女を風俗嬢にしたのが、自分自身で以外に割りきれていない。
というよりも、割りきる・・・という言葉が飲みこめない。
その1ヶ月の間は、スカウトを始めるにも集中できなかった。
風俗店にいる彼女のことをばかり考えていたような気がする。
彼女には、スカウトの“ ス ”の字も出してない。
なぜか言えなくて隠していた。
それだったらスカウトをやめよう、とも考えた。
おカネのためと思いたい
そんなとき。
新宿で高橋と飲みにいった。
週末の新宿は、人出と騒がしさが増している。
その日、彼女は通しで出勤していた。
自分の前職を知ってる彼女には、知り合いとの打ち合わせや手伝いしてるということで、仕事をしている体裁は十分にできていた。
高橋に近況をいい、万札ビッシリの財布を見せた。
「おお、すげえ、オマエ」
「そうか」
「よ!錬金術師!現代の錬金術師!」
「だけどさ。・・・けっこうパワーつかうぞ」
「いま、スカウトは?」
「やってない」
「なんで?」
「・・・なんか、できなくてさ」
「なにかオゴれよ」
「ん」
「キャバクラ行こうぜ」
「ん、パッといくか」
ノンキな高橋を連れて、安いキャバクラに行く。
一同で乾杯し、飲んで、くだらないギャグで笑い、ちょっかいを出し騒いだ。
勢いでソープに行く。
すべて風俗嬢になった彼女が稼いだカネだった。
そのカネを、くだらないことにパーと遣えば、何かに吹っ切れて、割りきるという言葉が理解できる気がしていた。
しかしソープの待合室のソファーで「オレ、なにやってんだろ・・・」と気が滅入っただけだった。
そうしてると、ボーイが案内をした。
綺麗に日焼けしていたソープ嬢は、明るくて愛嬌があって、カラーコンタクトで目がブルー。
そんな健康的な明るさが、立ち直りが異常のように早い自分を、調子のいいアホに急変させた。
ありがちな「なんでこの仕事しているの?」と聞くと、「彼がサーフィンしていて、店を開きたい」と彼女が言う。
笑顔で話す彼女を見ていると、それ以上は客として振舞えなくなった。
マユミのことを考えながら、ソープ嬢を抱きながら腰を打ち付けて射精した。
ソープを出たあと、近くの路上でタバコを吸っていると、高橋が手を挙げながらやってきた。
靖国通りを渡りながら、高橋が満面の笑みで、楽しそうにソープのことを話す。
ヤツとは10年来の連れで、良いときも悪いときも一緒だったが、このときは距離を感じた。
察しのいい高橋とは、東口の交番前で別れた。
いつもの日課の迎えの時間より大分早くて、周辺は楽しそうな集団で騒がしい。
騒がしさを抜けて、渋谷に向かって歩いた。
南口から明治通りに出て右に曲がる。
歩きたかった。
1人で。
このまま渋谷まで歩こう。
歩いて彼女を迎えに行こう。
なんだろう?
胸が、気持ちが、呼吸が収まらない。
もっと彼女に、いや、女に対して冷淡なスカウトマンになりたかった。
そんなことを考えると、歩調は早くなり、大股で歩いた。
エリのことも吹っ切れてない。
ウジウジした男から変わってない。
こんなはずじゃあなかった。
取りたてて悲しくもないのに、ともすれば泣きそうにもなった。
代々木を過ぎて、原宿を通りぬけた。
ファイヤー通りを歩き、右に曲がりセンター街に向かう。
どんどんと通行人を追いぬいた。
ジャマな通行人には、ぶつかったりもした。
早歩きのせいなのか、昂揚と苛立ちのせいなのか、呼吸で胸が大きくなっていた。
自分はなんで彼女に風俗をすすめたのだろう。
おカネの為と思いたかった。
雑踏の中で疎外感が、・・・渋谷のセンター街を歩いた時に強く感じたのだけど、その雑踏が何かに対しての疎外感を湧きあがらせた。
彼女の中にも、この疎外感は在ったのではないか。
だからお互いが一緒にいるとき、いや、離れているときでも、お互いが強く結ばれていたことは確かだった気がする。
にぎやかな109を通り抜けて、道玄坂のいつもの待ち合わせ場所についた。
とにかく女は強い
店の在る雑居ビルの窓を見ながら、しばらく立っていた。
そして、彼女の店に客として行こうと思い立つ。
風俗ビルとなっているエレベーターで4階に降りた。
店入口のカウンターで、「いらっしゃいませ!!」と、不必要な大声で店員がいった。
風俗嬢となってる彼女はなんとなく見たくなかったから、他の女のコを指名した。
また店員が、不必要な大声で、「どうぞ!こちらへ!!」と言いながら奥に案内した。
店内の内装は手をかけているという訳でない。
いろんな匂いが、独特の湿気と混ざって店内に充満していた。
どこからか、女のコの笑い声が漏れる。
耳が彼女の笑い声かを確かめた。
個室といっても天井はなく、ボードで囲まれ薄いドアが付いているだけで、よく聞けばとなりの部屋の会話は筒抜けだった。
それを掻き消すためのようにして、有線放送の歌謡曲が耳ざわりに流れている。
指名したヘルス嬢は疲れたような感じで、店員と有線放送のボリュームに比べれば元気がなく、さらに自分もツボにはまったように暗くなった。
お互いに会話もない。
今までの呼吸は、ため息まじりの勃起になった。
そしてマユミのことを考えながら、ヘルス嬢の口内に射精した。
シャワーを浴びて、着替えて出た。
「ありがとうございました!」という店員の大声と同時に、店を出てエレベーターに乗る。
エレベーターには、上階の風俗店の帰りらしい男が乗っていた。
そのさえない男が、マヌケ面でチラッとこちらを見て、やはり話しかけてきた。
「その店はどうでした?」
「・・・」
「いや、もう、まいったな~」
「・・・」
「まるでブタでしたよ~。5階の店は」
「・・・」
「まいったな~、もう」
「・・・」
口をきくのもわずらわしく、ニヤついた顔をみると苛立った。
彼女達はあの騒がしい店内で、朝10時から夜24過ぎまでどんな気持ちで、客にサービスをしているのか・・・とふと思ったが、それ以上は考えたくはなかった。
ここに入店する前、無責任に「お客さんをオレだと思えば、できるだろ?」と彼女にいうと「・・・うん。・・・そう思わないとできないよ」と答えたことを思い出す。
女が客にサービスするのは、男が考えている以上に大変かもしれない。
しかしそれができるということは、女は強い、よくわからないがとにかく強い・・・という結論を思いこむことで、さらに彼女との日常は続いていった。
風俗嬢になる共通点
それからも、毎日のように彼女は出勤した。
金曜日が最も客入りがよく、平日昼間、日曜夜はヒマだった。
月の中頃もヒマで、25日過ぎが一気に忙しい。
1ヶ月と少し経つと、そんなことがわかり始める。
風俗といえども彼女は仕事に対して熱心で、自分も一緒にウチを出て店の前まで送っていた。
その帰りにブラッとして、コーヒーを飲んで、午前の雑踏を眺めていた。
そうしてスカウトが始まった。
スカウトで結果を出すまで、このままやめるなどできない。
付き合ってる彼女を風俗で働かしたくらいでは、スカウトとはいえなかった。
それ以外に変わったことと言えば、当初感じた、なんともいえない罪悪感と違和感が入り混じった気持ちはなんだったのだろう・・・というくらい、自分は「キンコ」を実行できるようになったことだった。
いつものように夜に迎えに行くと、彼女はしばらくしてから雑居ビルから姿を見せた。
その日は、顔を合わせても彼女は無言で笑顔がなかった。
なにかいやなことでもあったのか?
「どうした?」
「・・・ウン」
「どうした?」
「・・・」
「やなことあったか?」
「・・・なんだか、くやしくて」
「なにが?」
「・・・きょうぜんぜんお客さんがつかなくて」
「そっか」
「となりの部屋のコは、ひっきりなしにお客さんついて」
「・・・そっか」
「なんだかくやしくて」
「・・・」
状況はなんだかわかる。
待機している個室では、となりの会話が筒抜けなのだろう。
あの騒がしい店内の、狭い個室に客もいなくて1人でいたのでは気が滅入るのもわかる。
頭を抱いて慰めたにもかかわらず、彼女はベソをかき始めた。
自分が何かを言わなければならない。
「最初から上手くいかないよ」
「・・・ウン」
「そのコだって最初から指名があった訳じゃあないよ」
「・・・ウン」
「気持ちはわかるけどさ」
「・・・ウン」
「泣くな」
「・・・ウン」
「・・・」
しばらくすると泣き止んだ。
自分が道端でいちゃつくのを嫌がるのを彼女は知っていたが、甘えるように自分の腕をとる。
店を続けられるか、と訊いた。
明日からもがんばる、と彼女は答えた。
彼女は素直さを持っている。
その素直さが、彼女を風俗嬢っぽく、・・・少なくとも自分がスカウトで接した風俗嬢というものに感じさせた。
スカウトのとき、渋谷の雑踏で感じたことが彼女にも当てはまるようにも思えた。
女は誰でも風俗嬢になれるのではない、ということはわかってきていた。
あるタイプが共通点にある。
彼女も、そのタイプのような気がした。
この素直な女のコは、やさしさもあり、感受性も強く、正直さもあった。
ある面から見れば、やさしさは未熟さに 感受性の強さは幼稚さに、正直さはバカをみるというように映るのかもしれない。
そんな彼女に、客は何を感じたのだろうか。
客のことで驚いたことがあれば、彼女は自分に話した。
「きょうね」
「ン・・・」
「キスしてっていうお客さんいて」
「ン・・・」
「キスしたらね、呼吸困難みたいになって」
「どんな感じに?」
「あのね、フガッフガッってかんじに」
「ハハッ、なにそれ」
「そしたらね、キスしたのはじめてなんだって」
「えっ、いくつぐらい?」
「25くらいかなー」
「ふーん」
彼女が話す客のことを笑い飛ばせば、・・・笑い飛ばすほど、そんな客がブザマに思えた。
そして一方で、やはり嫉妬なのだろうか。
見えない客とは、何処かで対峙していた。
それもブザマな客を笑って見下すことで、ショボい男の女に対する願望もアホらしく思うことで、自身に割り切りがつくことがわかってきた。
消えた自己嫌悪
性感ヘルスの全盛期は、後にも先にもこの頃。
繁華街には、派手な風俗店の看板が競い合うようにして乱立。
風俗案内所の割引チケットは、煽り文句が溢れている。
風俗情報誌は、風俗嬢のカタログといったように100名以上の写真が並んでいる。
これらが一体となって、サービスもどんどんと過激にもなってきていた時期だった。
ディープキス、素股、全身リップ、口内発射、アナル舐め、顔射、放尿、ごっくん、AF、・・・など、彼女も過激なサービスをして客を射精させていた。
そして半数以上の客が「入れたい・・・」と、要求を剥き出しにすると彼女から聞いた。
本番行為は店で禁じていたし、それでなくても、彼女は客と本番するのだけは絶対に嫌だと言う。
それが彼女なりの貞操だと・・・、という過去の時代に造られた言葉以外に、何と示せばいいのだろうか。
かなり変化し、かなり拡大解釈された貞操でも、・・・貞操が道徳的だとすれば、彼女には普遍な道徳心はあった。
ただ、彼女が風俗嬢である以上、他人には理解されづらくて、自分との2人の間だけにしか存在しない、狭義な貞操だった。
「外で会おうっていう、お客さんいて」
「・・・断われよ」
「当たり前でしょ」
「そっか。そういう男は、やりたいだけだからな」
「うん。もう、しつこかった」
「カレシに殴られるっていっときな」
「うん。そうだ、電話欲しいって名刺を渡された」
「かせ」
「ハイ」
「イタ電でもカマしておくか?」
「いいよ。しなくて」
「じゃ、捨てるぞ」
「うん」
「カレシはオレだろ」
「うん」
手にした名刺は路上に投げ捨てて、足で踏みつけた。
客を踏んづけることにより、カレシという存在を、彼女に簡潔にハッキリと示すことができるものだった。
「オレがカレシだ・・・」と言って聴かせると、彼女には笑みが浮かんだ。
それは喜ぶような、安心するような表情に見えた。
貞操という言葉が時代遅れでも、男は誰でも女性というものに対して求めるものだと思う。
そして、難しい顔で貞操なんて言わなくても、どのような女のコでも、理屈でなく、その本能と体で、男の性欲に対しては一線を引くようにできていると思う。
風俗嬢の彼女はなおさらだった。
だから「カレシ」という言葉が、2人の間で特別な対象に変化したのではないのか。
そして「キンコ」と同じように、「カレシ」という2人だけの様々な存在を含む響きになった。
彼女の稼ぎが「キンコ」されて、自分の札入れに納まることも平然となっていった。
平然どころか、優越的な快感すら湧きあがってきた。
こうして3ヶ月が経つころには、ときどき感じていた自己嫌悪は消えていた。
” 女を動かすこと “に、自信がついてきたのは確かだった。
根拠がない妙な自信が、自己嫌悪を打ち消していたのかもしれない。
スカウトも順調になっていくのも確かだった。
そして気がつくと、最初に2人で決めた、3ヶ月だけ風俗をしよう、という約束の時期が過ぎていた。
彼女はその約束があったから、とりあえず風俗を始めたようなものだった。
だけど自分は、彼女に風俗を止めさせるつもりはなかった。
彼女が稼ぐおカネに魅力が伴っていた。
2人の付き合いがダメになっていくのは感じていた。
ただ、それがいつなのかは全くわからない。
「あのさ」
「うん」
「最初は、3ヵ月だけって言ってたじゃん」
「・・・うん」
「どうする?」
「・・・」
「あと、もう少してみるか?」
「・・・」
「もっと貯めよう」
「・・・」
「ね?」
「・・・」
「いいでしょ?」
「・・・」
「ね?」
「・・・うん」
彼女は黙って自分を見つめていたが、視線を落してうなずいた。
彼女の気持ちは、どうでもよくなっていた。
– 2001.5.4 up –