橋本ひとみ、22歳、服飾デザイナー、スカウト通りで声をかけて


スカウト通りの取り決め

スカウト通りにある百果園。夜遅くになって。

暑い季節が終わろうとしている頃。
くもり空の日。
平日の夕方6時近く。

新宿駅東口を出るとスカウト通りがある。

スカウト通りは通称になる。
正式には《 モア 一番街 》という。

歩行者用道路で、中央には街路樹。
両側には、どこの繁華街にもあるような店が並んでいる。

スカウト通りには、5人ほどの同業者がいた。

同業者とは顔見知りでもあり、必要があって何回か言葉を交わした程度のことはあるが、決して親しいつもりはない。

競争相手でもあるし、手の内を明かしたくない、というのがお互いにあるのか。
挨拶もしないし、口もきかない関係。

同業以外は、エステのキャッチセールスも2人ほどが動き回っている。

張り合うようにして、狂ったように「おねがいします!」と声を出しながら動き回って、募金活動をしている者も3人。

少し先には、サラ金のティッシュ配りが1人。
ゲーム喫茶の看板持ちも1人立っている。
休日には、大道芸人も現れる。

暗くなるにつれて、カラオケボックスと居酒屋のチラシ配りも混ざり、一目でホストとわかる集団がうろついて、という光景になる。

外国人の露天商がアクセサリーを広げる。
ホームレスの集団が100円雑誌を広げる。

完全に夜になると、餅を焼く屋台が出る。
トルエン売人が行き来する。

深夜に差しかかると、客引き、白タク、ときどきミュージシャンも出てくる。

スカウト通りとはなっているが、多様に生業の場として使われている。

スカウトで使うには、知っていなければならない場所の取り決めがある。

どこの誰が決めたのかといえば、地回りのヤクザ者ということになるのだろうか。

何年もの前の最初の頃は、そんな取り決めは知らなかった。

そのうちに『●●会だけど』と威勢よく3人に取り囲まれたとき、小心者の自分は、正直、足が震えた。

「勝手につかうな!」「ジャマだ!」とも言われたのには、神妙に「スミマセンでした」「カンベンしてください」で応えた。

しかし「スカウトなどやめろ!」と言われるのには、なぜか腹が立ってきた。

他人の指図で動いたら、スカウトはできなくなる。
「ちょっと待ってください!」ともなる。

そんな開き直りや、ゴタゴタにならない程度のずうずうしい根性が役に立つときもある。

これが自分の生活だという、真剣さと必死さがあれば、彼ら相手になんとか話し合いになるものだった。

わけわからない人間を、現代の彼らは、まともに相手はしないらしい。

「ウチが面倒みてる連中が優先、あとはゆずり合いでやってよ」ということになる。

そして、いまどき珍しい代紋入りの名刺を渡そうとする。
そんな変な名刺などいらない、とは言えない。

そうして今日までに、取り決めは刻々と変化してきた。

「あのビルの角からこの看板の2mぐらい先までの場所は、早い者優先のゆずり合いだが、6時からはあの連中が使うからどいてほしい。それで、この街路樹からそのビルの角までは、7時ぐらいからスカウト禁止だが、●●会の●●を知っていれば、ここの緑のレンガまでの場所は使える。そのときに街路樹からの右半分に女のコが立ち止まったら、なるべく30秒までに脇にどいてほしい」

各々の言い分が混ざった、ごちゃごちゃの取り決め。
地回りとも、好む好まざるは別にして顔見知りになる。

「ジャマなヤツいたら、ウチが追い払うから」と頼むつもりも、関係もないつもりなのだが言い出してくる。

スカウト通りでは、様々な連中と顔を合わせても挨拶するわけでもないのだが、妙な連帯感だけはある気がするのは自分だけだろうか。

必ず背筋を伸ばして声をかける

スカウト通りに通行人が増してきた。
ほとんどの通行人は、帰宅を急いでいる。

立ち並んで動く足は、カツカツという早い靴音に合わせて進んでいる。
人の流れからは、ざわめいた声や笑い声は、まだ響いてない。

通りの中程に立ち止まっていた。
歩く人と人の隙間に女のコが見える。

長めの明るい茶パツに、脚にぴったりを張りついたデニム。
その姿に早歩きで進み、通行人をかわす。

3歩ほどで、また通行人をかわすと、彼女の少し後ろだった。
人が多いから、こちらには気がついてない。

歩きながら手を伸ばすと、彼女の肩に指先が届いた。
ツンツンと肩口をつつく。

彼女はこちらを向くこともなく、そのまま歩く。
つついている者は、わずらわしいキャッチの類だとわかっているのだろう。

そのまま無視して、人通りにまぎれて歩いていった。
自分は足を止めた。

デニムのヒップラインを見送って、しっかりと視姦もする。
反対に向きをかえた。

次から次へと、1時間で50人以上は浅く広く声をかけたが、こんなことの繰り返しだった。

しかし、スカウト通りで動いていると勢いがつく。

パワーがある人混みを跳ね除けてると勢いがつく。
あえてここでスカウトすると、自分の内側に勢いがこもる。

背筋を伸ばした。
場の動きが早くて、こっちにも勢いがつくと、自然に前屈みになりがち。

前屈みになると女のコは逃げる。
仰け反るくらいに背筋は伸ばしたほうがいい。

目配せしていると、少し先を女のコが通りかかるのが目に入る。
こちらには気がついてない。

足を進めた自分にぶつかると思ったのか、急いで足を止めた通行人の後ろをすり抜けて、大股で歩いて、彼女に追いついた。

肩をポンポンとした。
栗色の髪で覆われている横顔の目が、少しだけこちらを向いた。

「どーも」
「・・・」

目線に先に手を振った。
声は聞こえたようだが、プイッと目線を前に戻して、足早になって素通りした。

自分は足を止めた。
行列のような人通りから抜けて、通りの真ん中に立ち止まる。

通りの双方から、次ぎから次ぎへと人が歩いてくる。
そのうちの1人の女のコと目が合った気がした。

足を進めた。
大股で歩いた。

通行人の前をすり抜けた。
足を止めて、次ぎの通行人をやり過ごす。

大股で歩き、次ぎの通行人を追い抜いた。
彼女の後ろ姿に追いついた。

手を伸ばした。
彼女の肩口に指先が届く。
ツンツンとすると、少しだけ後ろを見る素振りをした。

「どーも」
「・・・」

傍らの中年男性が、ジロジロと見てるのがわかる。
マヌケ面に見えた。

かまわずに、そのマヌケ面の中年を体で押しのけると、彼女と横並びになった。

「こんちわ」
「・・・いそいでるので」
「AVだけど」
「・・・」

またチラッと自分を見てきた反応に、思わず彼女の腕に手を添えたけど、その手を振りほどく素振りはない。

しかし、通行人の団体の早い流れに押される感じで、その腕がすり抜けた。

ああ、やりづらい。
3歩か4歩だけ追いかけて、それ以上は諦めた。

プライドが高い女はすぐに鼻柱を折る

首を回して前を向くと、通りの端を、背の高い女のコが歩いていた。
長い髪に覆われた横顔。

雑踏の中は音が飛び交っているが、カツカツというヒールの音が彼女のものだとわかる。

出遅れ気味だったが、飛び出すようにして歩を進めて、通り過ぎようとする彼女の後ろ姿に手を伸ばすと指先が届いた。

その肩をポンポンとした。
彼女は歩きながら、顔がこちらに向く。
同時に、目線の前に手を差し出して、少し上下に振った。

「どーも」
「・・・」

チラッと目を向けてきた彼女の『アレッ?』という表情がわかった。
そんなような顔を、自分もしたと思う。

「こんちわ」
「・・・」

彼女に見覚えがある。
というよりも、向けられた目元の感じに見覚えがある。
お互いの早歩きが、早い調子で続けさせた。

「まえ、声かけたよね?」
「・・・」

正確に思い出した。
つい昨日のことだった。
随分と前に、1週間も2週間も前に声をかけた気もしたが。

「あれ?きのう?」
「うん」

やはりこの時間帯に、同じように声をかけた。
もっとも昨日は、目を向けてから、すぐさま素通りされたのだけど。

「やっぱり」
「・・・」

1秒か2秒にすぎない彼女の目元の印象が、一瞬にして記憶として出てきたことに、自分でびっくりした。

「じゃあ、きょうは聞いてくれる?」
「・・・」
「すこしだけ」
「・・・」

腕に軽く手を添えた。
カツカツというヒールの音は、添えた手を振りほどいて歩き去る返事にも感じていた。

しかし以外に。
彼女はスッと立ち止まる。

「ごめんね」
「・・・」

彼女は脇のビルの壁を背にして、こちらと向かい合った。
自分よりも背が高く感じる。
ヒールを履いて175cm以上はあるだろうか。

「ヒマなところわるいね」
「・・・」

黒いジャケットと黒いバッグ。
そのバッグの金色のエンブレムがシャネルだった。

それだからだろうか、すましたような表情のせいだろうか。
向き合ってすぐに、プライドの高い女・・・という感じがした。

このタイプ。
最初にその鼻柱を叩いてへし折ることができなければ、話は聞かないな。

「あやしい話だけどさ」
「・・・」

尖る言いかたになってしまう。
彼女は返事なく軽く腕を組んで『なんなの?』というような、やはり、すました目をして自分を見ていた。

顔立ちは整っているが、派手さはなく、色気はない。
細身のシルエットは、男が期待するような肉感はあるわけでもない。

それでもこのスッキリとした感じ。
出来あがってるというのか。

「もう、どこか入ってる?」
「・・・」
「まって」
「・・・」
「モデル事務所」
「・・・うん」

彼女の口元に少し笑みが浮かんだ。
美人の基準なんてあいまいだが、姿勢の悪い美人はいないというのは、ホントだと思う。

人に見られることなど意識してないような、彼女のすました姿勢は、そんなことを思わせた。

「周りがほっとかないか。AVなんだけど」
「・・・」
「ゴメンな、いきなり。でも、やらないでしょ?」
「うん」
「オレもそう思う」
「・・・」

自然な清潔さがあるあたりが、出来あがってると感じさせたのだろうか。
いずれにしても、これだけ出来あがってる彼女には引っかかりがない。
そんな見切りはできていた。

「なんだか、物わかりよすぎるなぁ」
「・・・」

彼女が急ぐ素振りを見せたらバイバイするつもりだった。
一瞬、彼女の動作を確かめていたのだが、彼女もこちらの出方を見てる様子。

「いいのかな、こんなんで」
「・・・」

ひと呼吸ぐらいの間が空く。
彼女は少し時間があるようだ。

「ちょっとタバコ吸わせて」
「うん」

色遣いはシンプルに黒で統一されていて、素材感は合わせてある。
おしゃれの黒だった。

歌舞伎町で黒っぽい服装の女のコというのは、やさぐれ生活からの汚れやシワや埃っぽさを目立たなくするための実用からの黒だが、彼女の黒は正真正銘のおしゃれの黒だった。

「このシャネルのジャケットいいじゃん」
「これ、シャネルじゃない。お母さんがつくったの」
「あぁ、よくできてる。すごいね。お母さんって本職?」
「うん。わたしも、普段は服飾のデザインしてるんだよ」
「へぇぇ。んで、名前なんていうの?オレは田中だけど。下の名前?」
「・・・ひとみ」
「ひとみでいいでしょ? ひとみちゃんなんて、オレが言えば気持ちわるいし」
「いいよ」

お友達口調も、最初から下の名前を明かしてくるのもいい。
呼び捨ても二つ返事でOKなのもいい。

プライドが高い女・・・は、全くの自分の勘違い。
シャネルのエンブレムのせいだ

笑顔が妬ましい

明るく話す彼女だった。
表情豊かに。

「だいたいさ、身長が同じくらなのに、足がオレより長くない?」
「そう?」
「その、モデルってたってなにやってるの?」
「なにって?」
「さしつかえない程度で、いろいろ訊くけど」
「うん」

モデルとしては広告関係のスチール媒体がメイン。
ファッションショーのプロモデルは、この身長だからムリだけど、と話し方もスッキリとしていた。

そんなことを話ながら、自分は彼女の髪が気になっていた。
自分の目線の位置に、彼女のツヤのある黒い髪がある。

肩を覆うような、キレイな黒い髪に柔らかそうな曲線がある。
黒い髪は和風というよりも、無国籍というのか、オリエンタルとでもいう響きの華やかさがあり、見ていてあきなかった。

それだけキレイな髪は、実際に目に入れると、フェティズムともいえる感じが興るほどだった。
髪を触りたいような、触らせてと言たいような気持ちもした。

しかし、AVのスカウトをしてる自分が、いきなりそんなことを言おうものならば、彼女はきっと驚いて、確実にヘンタイ扱いされるだろう、という想像はすぐにできた。

そんなことが冗談で流せる爽やかな男になりたい、と脈絡もなく思った。

「新宿はなにか用事で?」
「うん。そこのマン喫にいくの」
「なんで、そこのマン喫?」
「リクライニングシートがすごくいいんだよ」

頭に浮かんだ、マンガ喫茶でくつろいでいる彼女のイメージ図はコミカルだった。
つい、からかいたくなって、いじわるを言い放つ。

「はははは。ヒマなんだ。予定ないんだ? オーディションとか?」
「いまはヒマなの ! 」

ムキになって返してくるのは、やはり20代前半の女のコを思わせた。
このときはかわいく感じた。

で、女のコはムキになると多めに話す。

「ゴメン、ゴメン」
「もう」
「でもさ、ヒマっていいことなんだよ」
「このまえね、K-3ってあるでしょ?」
「うん、ある」
「あの、ラウンドガールの最終選考まで残ったんだよ」
「おぉ、すごい、すごい」
「そしたらね、関係者とデートできないと、ラウンドガールはダメなんだって」
「デートくらいいいじゃん」
「だって、あのね、最後までみたいなこというんだよ」
「そうなんだ。じゃ、あのラウンドガールって、みんなやられちゃってんだ」
「うん、そうだよ。わたしはできないなぁって思って断ったけど」
「なんでダメなの?」
「だって、お母さんにわるいし」

ニコリとしながら、当たり前のように彼女は言う。
わずかに温かみを感じさせる笑みだった。

表情が豊かなのは、その笑みが感じさせていたんだ。
で、間違っても、むやみに脱がない女のコだ。

母親を困らせることも、悲しませることもできない女のコだ。
自身を傷つけることもできない女のコだ。

一瞬にして、自分は複雑な気持ちになる。
その笑みに対して、どんよりと妬ましい気がする。

同時に、突然に、智子に会いたくなり、智子の笑みに接していたい気もする。
それらが入り交わっている複雑な気持は、確かに自覚できた。

それはそうと。
彼女とは番号交換ができたが、電話をするつもりはなかった。

なんのかんの言いながら、携帯を取り出させて、自分の番号を押させて、ワン切りさせて、メモリーさせた。

そんなことが、彼女に対しては区切りになった。
「それじゃ」と手を振ると、少し口元に笑みを浮かべた彼女は、クルリッと身軽に、長めの髪を振り撒くようにして、駅の方向に向いて歩いていく。

すぐに人混みにまぎれた。
そろそろ、歌舞伎町を仕事場にしてる女のコが、その通りを歩く頃だ。

目に入った女のコに、すぐに足を進めて声をかけた。
そして全くの無視で素通りされた。

次ぎに声をかけた女のコには、足早で素通りされた。

– 2003.12.12 –