筆者の田中には、理解不足、うろ覚え、早合点、思い込み、が多々あります。
歌舞伎町について、わかる限り注釈をつけてます。
▼横断歩道の先が歌舞伎町と改称したのは、たしか昭和の20年代。[編者註01-1]
1948年(昭和23年)に、角筈(つのはず)一丁目と西大久保一丁目辺りの地名が歌舞伎町と改称された。
▼九州ラーメンの角の五差路から、電車道は緑地の遊歩道に接続される。[編者註01-2]
正式名称は《 新宿遊歩道公園 四季の路 》となる。
▼狭くて暗い路地には、不気味に裏DVD屋が並び、入りにくい中華屋がある。[編者註01-3]
正式名称は《 新宿センター街 思い出の抜け道 》となる。
戦後の青線地帯(違法売春街)が基となっている。
▼久しぶりにアルタ裏のイタトマに行った。[編者註06-1]
《 イタリアン・トマトカフェ 》が正式名称になる。
新宿東口に2店舗ある。
▼「九ラーにしようか?」[編者註18-1]
九州ラーメン。
24時間営業のラーメン屋となる。
当時はとんこつラーメンをやってなくて、どこがどうして九州なのかは不明だった。
▼健心流の個室で、いつも通りの打ち合わせと称した飲みだった。[編者註28-3]
新宿に2店舗ある。
24時間営業。
飲み放題には多くの日本酒の銘柄が含まれており、料金は2000円である。
▼「歌舞伎町2丁目の幸永の話しただろ?」[編者註47-1]
歌舞伎町にある炭火の焼肉店。
朝まで営業している。
このあと5店舗ほどに拡大していく。
▼コマ劇の4階にある『CODE』までエレベーターで上がるときには、最初にした30分だけの約束は、お互いに気持ちよく破棄された。[編者註60-1]
正確には新宿東宝会館4階。
ワンフロアー470坪、収容数最大1800人の大型クラブ。
ディスコ時代から30年以上営業していたが、2008年2月に閉店。
新宿で営業許可を持ったクラブは完全になくなった。
▼歌舞伎町で医療に関係する施設とは、大久保病院となる。[編者註67-1]
しっかりと歌舞伎町の真ん中に所在するのに、名称は大久保病院となる。
7階建ての大きな病院。
▼ボリューム大きめの甲高い声の、『入会金無料!1時間、はーっぴゃくえん!』というテレクラのアナウンスが耳に障る。[編者註68-2]
テレクラは全国的に下火にはなっていたが、歌舞伎町ではしっかりと営業していた。
コマ劇前では、能天気な声のアナウンスが大音量で繰り返し流されていた。
2007年頃、テレクラの閉店でアナウンスもなくなる。
▼「オカマどう?」とキャッチしてきたエメロンを無視した。[編者註68-3]
1999年創業の歌舞伎町の老舗オカマバー「ヒゲガール」のキャッチ。
エメロンは180センチほどの身長で厚底ブーツを履いているので、すごく目立っていた。
▼そう思いながらも、なにをするのかわからないのがヤクザ屋さんなのだから、挨拶には行くだけいこうと、代行との電話を終えてから花道通りの信濃屋に一升を買いにいった。[編者註71-1]
信濃屋 新宿店。
28時まで営業している酒屋。
▼弁護士はあとのこととして、差し当たっては歌舞伎町交番に相談にいった。[編者註71-3]
歌舞伎町にある交番。
『犯罪24時』といったテレビ番組では《 マンモス交番 》と紹介される。
もうひとつの交番がゴールデン街の脇にもあるが、こちらは小さくて夜しか開いてない。
▼歌舞伎町交差点のマリオンクレープくらいはおごった。[編者註82-3]
歌舞伎町交差点のゲームセンターの1階にあったクレープ屋。
カスタードクリームがおすすめ。
都内にいくも店舗がある。
▼待ち合わせたじゅらくビルの2階の喫茶店で、純子はしょんぼりして座っていた。[編者註82-5]
新宿駅東口にあったビル。
出版社の入れ込み場所は、じゅらくビル前が多かった。
2008年頃、全階がビックカメラとなってビル名は変更される。
▼純子には「カフェアヤでまってて」と電話して、さらに待たせている扱いとなってしまった。[編者註83-1]
歌舞伎町に2件あるカフェ。
正式な名称は『CAFE AYA』
セントラル通りと区役所通りに2店舗あり。
風俗の面接にもよく使われる。